あと、日本語の「せいにする」というのは、相当に問題がある表現なのだ。ほんとうは、「その人のせいじゃないのに、その人のせいにしている」というニュアンスがかならず、付け加わる。たとえば、Aさんと、Bさんと、Cさんがいたとする。Aさんが、Bさんを非難していたとする。非難という言葉も問題があるかな? じゃあ、AさんがBさんの責任を追及していたとする。そして、Cさんが「Bさんのせいにしている」と言ったとしよう。もちろん、「Aさんは、Bさんのせいにしている」という意味だ。その場合、Cさんは、AさんのBさんに対する責任追及は不当なものだと思っているのである。Cさんが、AさんのBさんに対する責任追及は、不当なものではないと思っている場合は、「せいにしている」とは言わない。かならず、「せいにしている」というときは、責任追及しているほうが、まちがった、責任追及をしているという認識と、それこそ、それに対する非難の気持ちが、背後にあるのである。なので、Cさんの認識では、Bさんに責任はないのに、AさんがBさんの「せい」しているということになるのでる。Bさんには責任がないのに、Aさんが、誤解して、あるいは、悪い性格なので、Bさんのことをせめているという認識なのである。Cさんがもっている認識というのは、そういう認識なのである。なので、それこそ、Cさんは、Aさんを非難している。責任のないBさんに、責任をおわせようとしている悪い人なのだ。Cさんにとって、Aさんは。こういうことが「せいにする」という言葉のなかには含まれている。
Aさんが「Bさんのせいだ」と実際に言ったとする。その場合、たしかに、「せいだ」と言っている。だから、「Bさんのせいだ」と言っているのだから「Bさんのせいにしている」ということになり、別に、「Bさんのせいにしてる」という点では、まちがってない……ということは成り立つだろうか? 実際に言っている。「せいだ」と言っている。だから、「せいにしている」わけであって、「せいにしている」という認識は正しいと言うことができるかということだ。
ぼくは、できないと思う。たしかに、言ってるけど、その場合は、「責任がBさんにある」ということを言っているのである。その場合の「せい」には、別にいままで説明してきたような意味が込められていない。つまり、「せいだ」とは言っているけど、この場合の『生だ』という言葉には、自分の認識がまちがっているという意味が含まれていない。ただたんに、「責任がある」という意味で「せいだ」と言っているのだ。しかし、他人(Cさん)が、その状態を判断するときに使う「せいだ」という言葉のなかには、いままで説明してきたとおり……Aさんの判断はまちがっているというCさんの認識(判断)を表現している。