普通の騒音じゃないんだよ。普通の騒音みたいに言うやつがあらわれると、ぶん殴りたくなる。ゆるせない気持ちになる。普通の騒音じゃないといっているだろ。きちがいの騒音なんだよ。そして、きちがいの騒音に一五年間もさらされると、普通の騒音にも、普通の人よりも敏感になるんだよな。けど、真横にでかい幼稚園があり、幼稚園の建物(園舎)と一〇メートルも離れていない状態でくらしている。これだって、普通のよりも、ずっと、騒音がある状態だ。いまだって、幼稚園の先生が言っていることがまるぎこえで、幼稚園児の奇声がまるぎこえだ。けど、これは、別いにいい。ちがうんだよ。普通の騒音じゃなくて、きちがい家族による騒音なんだよ。普通の騒音じゃなくて、きちがいによる騒音なんだよ。きちがいによる、至近距離の騒音なんだよ。これが、どれだけ苛烈なものになるか、みんなわかってない。これ、ほんとうに、すべてがうばわれる。「鳴り終わったら関係がない」とか「鳴ってたって関係がない」というやつらが想像しているようなつらさじゃないのだ。これは、こいつらには、永遠にわからないのだろう。きちがい家族に……一緒に住んでいるきちがい家族に……一一歳から二五歳までやれるということを経験したことがないやつには、一生涯わからないことだ。けど、わからないだけで、きちがい家族の騒音は、絶大な効果があるんだよ。絶大な影響があるんだよ。おまえらが、無視したってあるんだよ。いまも、ものすごい影響が残っている。これを理解しないで、頭がおかしいことを言いやがって。しかも、きちがい家族の騒音に、学生時代をとおしてずっとたたられたことがないやつが、多数派なので……絶対的な多数派なので……頭がおかしいことを言うやつらが、絶対的な多数派なのだ。こんなのない。きちがいが、きちがい感覚で、ずっと、普通の家では鳴らせない音で、きちがい騒音を鳴らし続けるということが、どういうことなのか、経験してわかってないやつが、みんな、俺のことを、軽く考えるようになる。実際に、いろいろな属性がつく。実際にいろいろな出来事が発生する。みんな、わかってない。これがどういうことなのか、みんな、わかってない。そりゃ、みんな……苦労はしている。みんな……いろいろないやな出来事を経験している。けど、普通に通勤して、普通に生きている人には、きちがい家族による、きちがい的な騒音はない。人生経験のなかにないのだ。だから、ちがう。世の中には、自己責任論のほかに「人のせいにしている」という言い方がある。これ、人の責任じゃないことについて、人の責任だと言っていると、その人が判断しているということなのだ。「人のせいにしている」と言っているほうは、だれかが言っていることを聞いて、「人のせいにしている」と判断しているということなのだ。これも、やられたことがない人が、まったくわかってない状態で、発する言葉なんだよね。きちがい家族による騒音に関してはそうだ。きちがい家族による騒音を経験したことがない人が、きちがい家族による騒音を経験したことがある人に向かって、あたかも、きちがい家族による騒音が、きちがい家族による騒音を経験した人の不幸の原因ではないと想定して(判断して)そのように発言しているのである。こいつらも、ぶん殴ってやりたくなる。ぜんぜん、ちがう。そもそもが、まちがっている。こいつらは、きちがい家族と一緒にすんだことがなく、きちがい家族による苛烈な騒音を経験したことがないので、そんなことが言えるだけだ。こいつらがまちがっている。こいつらの見当違いだ。こいつらの勘違いだ。
きちがい家族にやられて、凡人から、バカにされる人生になってしまった。俺にとって、こいつらは、悪質な凡人だ。きちがい家族にやられて、九九・五%の普通の人が、出来事について、勘違いするようになった。そもそも、出来事自体の理解ができないのである。九九・五%の普通の人には、僕の身に起こった特殊な騒音について、理解することができないのである。だから、理解せずに、勝手なことを言う。勘違いしたまま、まちがったことを、言う。そして、それが変更不可能だ。だって、凡人だから、経験しないと、わからない。経験すれば、凡人にもわかる。けど、その凡人は、ぼくとおなじようになっているので、ぼくの言うことに反対しないだろう。経験してない凡人が、ぼくの言うことに、反対する。そもそもの、経験を、理解していないからだ。凡人のくそ理解なのである。凡人は、一生涯、そういう理解のままなのである。つまり、ぼくと凡人が和解することがないのである。一生涯、ぼくと凡人が和解することはない。 きちがい兄貴は、ぼくと凡人の間に、そういう溝を作った。きちがい兄貴は、きちがい感覚で、ほかの人が信じられないような音で、ほかの人が信じられないようなしつこさで、きちがい騒音鳴らして、ぼくと、凡人の間に、一生消えることがない、溝を作ったのだ。ふっかい、ふっかい溝だ。そして、溝があるから、苦労するのは、九九・五%の凡人じゃなくて、俺だけなのだ。
ヘビメタ騒音という出来事について、自動的に勘違いするやつらと一緒にいたって、おもしろくない。おもしろいわけがないだろ。おもしろくない。実におもしろくない。
言霊主義者は、ヘビメタ騒音という出来事について、自動的に勘違いしたあと、言霊的な解決方法について語りだすのだ。おもしろくないだろ。おもしろくない。実におもしろくない。