2025年7月7日月曜日

「一〇円玉が、宙に浮き、自分の財布にもどってくる」

たとえば、Sさんが、銀行のATM付近で、財布からお金をとりだそうとしたとき、一〇円玉が、落ちてころがったとする。Sさんは、言霊主義者だけど、普通に、一〇円をひろうために、ちょっと歩き、腰をかがめて、一〇円玉を拾って、その一〇円玉を財布の中にもどしたとする。

言霊主義者の場合、ほんらいなら、「一〇円玉が落ちる」と言わなかったのに、一〇円玉が落ちたことに疑問を感じなければならない。

「一〇円玉が落ちる」と言うと、言ったことが現実化すると思っているからだ。

「一〇円玉が落ちる」と言わなかったのに、「一〇円玉が落ちる」ということが現実化した。おどろくべきだろ。

なぜ、一〇円玉が、下方向に運動するのか?

それは、言霊のせいなのである。

言霊の力が、一〇円玉を下に運動させたのである。言霊の力によって、運動が起こらないのであれば、いったいなんの力によって運動が起こったのか?

おかしいじゃないか。

しかも、自分が歩いて、一〇円玉をとりに行った。どうしてだ?

「一〇円玉が、宙に浮き、自分の財布にもどってくる」と言えば、言霊の力によって、一〇円玉が宙に浮き、自分の財布にもどってくるのである。

あるいは、「一〇円玉がとんで、自分のところにくる」と言えば、自分のところにとんでくるのだ。とんできた一〇円玉を、自分でつかんで、財布の中に入れればいい。

おかしいしゃないか? 

どうして、「歩く」と言わなかったのに、歩くことができたのか?

言霊のことなんて、ぜんぜん考えていないじゃないか。

どうして、一〇円玉を拾うことができたのか?

「一〇円玉を拾う」と言わなければ、一〇円玉を拾うことさえ、現実化しないのである。

「言ったことが、現実化する」と言霊主義者は、口を酸っぱくして言っている。言わないのに、現実化したじゃないか。しかも、自分がやったことだ。

なぜだ?

どうして、「一〇円玉が、宙に浮き、自分の財布にもどってくる」と言って、問題を解決しようとしないのだ?

言霊主義者だって、手でつかんでいたものをはなしたら、手でつかんでいたものが、下に落ちるということを、普通に、受け入れている。

「下に落ちる」と言えば、下に落ちるけど、下に落ちると言わなければ下に落ちないのではないのか?

なんで、人間の感覚で、下方向に移動するということに、疑問をもたないんだよ?

おかしいじゃないか。

「下方向に移動する」と言わなくても、下方向に移動した。

そして、言霊主義者なのに、それをなんの疑問もなく、受け入れている。

言わなくても、移動したのだから、これは、言霊の力によって移動したわけではないということが、あきらかだ。言霊主義者だって、普通の物理的な運動に関しては、物理的な運動が(言霊の関与なく)発生するということを知っているのだ。

普通に、そういうものだと受け止めている。言霊主義者は、まったく疑問に思わない。

言霊の関与なく、動いた。言霊の力、以外の力が、働いているのである。

言霊の力が、下に移動するということを、現実化させたのではないのである。

そして、言霊主義者も「言霊の力が、下に移動するということを、現実化させたのではない」ということを、普通に受け止めている。

*     *     *


たとえば、Sさんが、一〇円玉を落としたとき、銀行員の人が、一〇円玉を拾ってくれたとする。そして、銀行員の人が、一〇円玉をSさんに手渡し、Sさんは、自分の財布に一〇円玉を入れた。……こういうことが起こったとする。

Sさんは、まったく疑問に思わないけど、「言わなかったことが、現実化した」のである。Sさんが「銀行員が拾う」と言ったから、言霊の力によって、銀行員の人が拾ったのか。ちがう。

銀行員の人の意思で動いた。銀行員の人が、一〇円玉を拾ってあげたほうがいいだろうと思って、拾ってあげた。Sさんは、「銀行員の人が一〇円玉を拾う」と銀行員の人が一〇円玉を拾うまえに、言っていない。

そして、銀行員の人も、無言で一〇円玉を拾ったので、一〇円玉を拾うまえに「私は一〇円玉を拾う」と言ってない。一〇円玉を拾ったあと、Sさんに手渡しをしてあげるときも「私は、あの人に拾った一〇円玉を手渡しする」と言っていない。

ようするに、言わなかったことが、現実化したのである。

「言えば、言ったことが現実化する」という理論からすると、これは、おかしなことなのである。

ところが、言霊理論を妄信しているSさんが、まったく疑問に思わないのである。疑問に思わないということ自体が、おかしなことなのである。

普通に起こるとは、言わなくても普通に起こることだと思っているのである。物理的なことに関しては、特に言わなくても普通に発生すると思っているのである。なので「言わなくても現実化する」と思っているのである。

何度も言うけど、言霊主義者は、普通に発生することに関しては、言わなくても普通に発生すると思っているのである。

「言ったことが現実化する」のだから、言わなかったことが現実化してしまうのはおかしなことなんだよ。

「言ったことが現実化する場合もあるし、言わなかったことが現実化する場合もある」ということを主張しているのであれば、そのように言えばよいのである。

ところが、言霊主義者は「言ったことが現実化する」と言ってきかないのである。

しかも、言ったのに現実化しなかったことは、ガン無視だ。言ったのに、言ったことが現実化せず、言ったこととは真逆のことが現実化した場合も、ガン無視だ。



 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。