たとえば、Sさんが、銀行のATM付近で、財布からお金をとりだそうとしたとき、一〇円玉が、落ちてころがったとする。Sさんは、言霊主義者だけど、普通に、一〇円をひろうために、ちょっと歩き、腰をかがめて、一〇円玉を拾って、その一〇円玉を財布の中にもどしたとする。
言霊主義者の場合、ほんらいなら、「一〇円玉が落ちる」と言わなかったのに、一〇円玉が落ちたことに疑問を感じなければならない。
「一〇円玉が落ちる」と言うと、言ったことが現実化すると思っているからだ。
「一〇円玉が落ちる」と言わなかったのに、「一〇円玉が落ちる」ということが現実化した。おどろくべきだろ。
なぜ、一〇円玉が、下方向に運動するのか?
それは、言霊のせいなのである。
言霊の力が、一〇円玉を下に運動させたのである。言霊の力によって、運動が起こらないのであれば、いったいなんの力によって運動が起こったのか?
おかしいじゃないか。
しかも、自分が歩いて、一〇円玉をとりに行った。どうしてだ?
「一〇円玉が、宙に浮き、自分の財布にもどってくる」と言えば、言霊の力によって、一〇円玉が宙に浮き、自分の財布にもどってくるのである。
あるいは、「一〇円玉がとんで、自分のところにくる」と言えば、自分のところにとんでくるのだ。とんできた一〇円玉を、自分でつかんで、財布の中に入れればいい。
おかしいしゃないか?
どうして、「歩く」と言わなかったのに、歩くことができたのか?
言霊のことなんて、ぜんぜん考えていないじゃないか。
どうして、一〇円玉を拾うことができたのか?
「一〇円玉を拾う」と言わなければ、一〇円玉を拾うことさえ、現実化しないのである。
「言ったことが、現実化する」と言霊主義者は、口を酸っぱくして言っている。言わないのに、現実化したじゃないか。しかも、自分がやったことだ。
なぜだ?
どうして、「一〇円玉が、宙に浮き、自分の財布にもどってくる」と言って、問題を解決しようとしないのだ?
言霊主義者だって、手でつかんでいたものをはなしたら、手でつかんでいたものが、下に落ちるということを、普通に、受け入れている。
「下に落ちる」と言えば、下に落ちるけど、下に落ちると言わなければ下に落ちないのではないのか?
なんで、人間の感覚で、下方向に移動するということに、疑問をもたないんだよ?
おかしいじゃないか。
「下方向に移動する」と言わなくても、下方向に移動した。
そして、言霊主義者なのに、それをなんの疑問もなく、受け入れている。
言わなくても、移動したのだから、これは、言霊の力によって移動したわけではないということが、あきらかだ。言霊主義者だって、普通の物理的な運動に関しては、物理的な運動が(言霊の関与なく)発生するということを知っているのだ。
普通に、そういうものだと受け止めている。言霊主義者は、まったく疑問に思わない。
言霊の関与なく、動いた。言霊の力、以外の力が、働いているのである。
言霊の力が、下に移動するということを、現実化させたのではないのである。
そして、言霊主義者も「言霊の力が、下に移動するということを、現実化させたのではない」ということを、普通に受け止めている。
* * *
たとえば、Sさんが、一〇円玉を落としたとき、銀行員の人が、一〇円玉を拾ってくれたとする。そして、銀行員の人が、一〇円玉をSさんに手渡し、Sさんは、自分の財布に一〇円玉を入れた。……こういうことが起こったとする。
Sさんは、まったく疑問に思わないけど、「言わなかったことが、現実化した」のである。Sさんが「銀行員が拾う」と言ったから、言霊の力によって、銀行員の人が拾ったのか。ちがう。
銀行員の人の意思で動いた。銀行員の人が、一〇円玉を拾ってあげたほうがいいだろうと思って、拾ってあげた。Sさんは、「銀行員の人が一〇円玉を拾う」と銀行員の人が一〇円玉を拾うまえに、言っていない。
そして、銀行員の人も、無言で一〇円玉を拾ったので、一〇円玉を拾うまえに「私は一〇円玉を拾う」と言ってない。一〇円玉を拾ったあと、Sさんに手渡しをしてあげるときも「私は、あの人に拾った一〇円玉を手渡しする」と言っていない。
ようするに、言わなかったことが、現実化したのである。
「言えば、言ったことが現実化する」という理論からすると、これは、おかしなことなのである。
ところが、言霊理論を妄信しているSさんが、まったく疑問に思わないのである。疑問に思わないということ自体が、おかしなことなのである。
普通に起こるとは、言わなくても普通に起こることだと思っているのである。物理的なことに関しては、特に言わなくても普通に発生すると思っているのである。なので「言わなくても現実化する」と思っているのである。
何度も言うけど、言霊主義者は、普通に発生することに関しては、言わなくても普通に発生すると思っているのである。
「言ったことが現実化する」のだから、言わなかったことが現実化してしまうのはおかしなことなんだよ。
「言ったことが現実化する場合もあるし、言わなかったことが現実化する場合もある」ということを主張しているのであれば、そのように言えばよいのである。
ところが、言霊主義者は「言ったことが現実化する」と言ってきかないのである。
しかも、言ったのに現実化しなかったことは、ガン無視だ。言ったのに、言ったことが現実化せず、言ったこととは真逆のことが現実化した場合も、ガン無視だ。