きちがい兄貴が、きちがい親父の態度で、きちがいヘビメタを、きちがい的な音のでかさで、鳴らしたことから、すべてがはじまったのだ。ほかの人にはどうでもいいことだけど、俺にとっては、死ぬほどつらいことなのである。死ぬほどつらいことだったし、いまも、その影響で、死ぬほどつらい。基本的に、「なおっていない」のである。過去だから関係がないということにはならないのである。
きちがいヘビメタ騒音のハンディのでかさと言ったら、ほんとうに、人の一生を台無しにしてしまうものだ。きちがい家族のハンディがない人には、それがわからない。実際、一倍速で経験してみろ。きちがいだから、絶対に言うことを聞かない。きちがいだから、ほかの人が、家では絶対にやらないことを、普通にやってしまう。そして、きちがい親父の態度で認めないのである。認めないで、頑固にやりきることに命がかかっているのである。一秒だってゆずったら、腹がたって腹がたって憤死してしまうような状態なのである。しずかにするはずがないだろ。そして、平日は、学校から帰ってきた時間から、ちょっとの休み時間を抜かして、午後一一時一〇分まで鳴っているということが、僕の日常のすべてを破壊するのである。もちろん、ほんとうに、勉強なんてすることができないのである。あの中で……あの騒音のなかで……勉強しようとすると、その時間に、すでに覚えたことを忘れてしまって、普通なら、解ける問題も解けなくなってしまうのである。頭がこんがらがってそうなる。ずっと、発狂状態が、「騒音」で強制的に続くのである。どれだけつらいことか、みんなわかってない。
「ひとごと」だと思って、好き勝手なことを言いやがって。普通の人が、ヘビメタ騒音の影響を無視して、言うことは、全部、腹がたつことだ。刺しちがえてもいいと思えるほど、腹がたつことだ。ぜんぜんちがうことなのである。普通人たちは、ぜんぜんちがうことを言う。実際に、一倍速で、家族にやられたらわかることなんだけど、やられたことがない人たちは、わからない。わからないで、適当にものを言っている。
これ、みんなわかってないんだよなぁ。実際に経験したら、どれだけつらいかわかってない。すべてのことが、ヘビメタ騒音で汚れてしまう。全部が、不可避的に影響をうける。あれだけ影響があることを、無視してやっている。やった。あれだけ影響があることなのに、影響がないと思って、ずっとずっとずっと、やった。こっちがどれだけ説明しても、きちがいがきちがいの感覚で鳴らしたいので……一秒も(ほんとうには)ゆずらずに鳴らしたいので、絶対の意地で鳴らし続けるのである。ほんとうに、毎秒毎秒、殺したかった。ずっと、持続して殺したかった。殺さないと、ぼくの人生がないのである。実際、殺せなかったので、ぼくの人生がない。
ほんとう、普通の人だったら、「言われなくても」わかることが、何十万回言われても、わからない。きちがいモードではねのけたことは、言われたって、言われたことにならないのである。きちがいだから、そういうモードでやりのけることができる。そして、相手が言っていることは、まったく気にしないことができる。きちがいだからできることなんだよ。普通の人は、そもそも、あのでかい音で、鳴らそうとしないのだよ。頭のねじが一〇〇〇〇本ぐらい、本人にとってだけ都合がよいように、ぬけているから、できることなんだよ。ところが、ほかの人はそれがわかってないから、俺がおかしな人に見えるのである。俺が、宿題をやってこない、遅刻をよくするダメな人に見えるのである。こんなの、ない。そんなことがずっと、中学三年間、高校三年間続いていいわけがない。高校を卒業したら鳴り終わったわけじゃない。ずっと、おなじモードで鳴らしていた。
普通の人は、俺が言っていることがへんだと思うのだ。きちがい兄貴が、へんだから、きちがい兄貴について、正直に言うと、俺がへんな人だと思われるのだ。きちがい兄貴が、きちがいだから、きちがい的な感覚で、自分がやりたいことを押し通してしまうのに、俺がまるで、「交渉力がない」ように思われるのだ。こんなことが毎日続いていいわけがない。
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きちがい兄貴は、きちがい親父と「おなじ」で、相手がこまっているということが、まったくわからないのである。悪意なく、ぬけているのである。相手がこまっているということを感じ取る脳みそがない状態なのである。相手が、自分のやっていることでこまっているということを、認める神経回路がないのである。だから、言われたあとも本人が、きちがい的な意地でやってしまって、なにも、感じないのである。やりたいことは、絶対の意地で、めちゃくちゃに、小さい量だってゆずらずにやることに、命がかかっているのである。だから、自分がやりたいことを、ほんとうに我慢しなければならないことは、感覚器のレベルで認めないのである。自分がやりたいときだけ、きちがい兄貴の聴覚が、おかしくなるのである。だから、まったく悪いと思わないまま、ずっと、きちがい的な迷惑行為をやり続けているのである。やり続けているけど、やり続けているあいだ、まったく自覚がないのである。自覚がないから「やってないのとおなじ気分」でいるのである。まったくやってないのと同じ認識が成り立っているのである。相手との関係も、「まったくやってない」のとおなじ認識が成り立っているうえでの相手との関係なのである。自分が意地になってやっていることは、全部抜け落ちてしまうのである。それで、きちがい兄貴は、きちがいなので、やり方が、普通じゃないのである。普通だったら、一日に二時間もやれば、あきるのに、すべての時間を絶対の意地で、一秒もさげずにやり通さなければ、気がすまない状態なのである。それが毎日、おなじテンションの高さで続くのである。きちがいだから、やり方も、きちがいじみているのである。もちろん、本人は、一秒も鳴らしてないときと、おなじ感覚なのである。一秒も鳴らしてないなら、となりの部屋の俺に(弟に)迷惑をかけているとは思わないわけだけど、そういうことが、一秒もゆずらずに鳴らしているのに、成り立っているのである。きちがいの頭のなかでは、一秒もゆずらずに、自分が好きなようにでかい音で鳴らした場合と、相手が言うように、一秒もでかい音で鳴らさなかった場合が、まったく、区別なくおなじなのである。本人は、きちがい的な意地ですべての時間をがめて、譲らずに鳴らしてしまうのに、本人の意識としては、まったくヘビメタを鳴らしていないときとおなじなのである。俺に対する感情がおなじなのである。自分がきちがい的な意地でやっていることは、すべてガン無視なのである。すべてガン無視だということは、まったくやってない状態と等価なのである。これが、どれだけ狂った感覚か、ほかの人にはわからない。ほかの人には、これが見えないのである。だから俺が、へんなことを言っているように思えるのである。普通の家族というものを想定して考えているので、「ちゃんと言えばわかってくれるよ」とか「家族なんだから、ちゃんと言えばわかってくれる」とかと言うのである。普通の人は、きちがい兄貴について、誤解をしている。そして、俺の話を聴いたあとも、本人の感覚が残っているので、誤解したままなのである。