2025年7月6日日曜日

「なおると言えばなおるので、なおると言いましょう」

 たとえば、Dさんは、「言霊(理論)が絶対に正しい」と言っているとする。そのDさんは、工場で働いているとする。工場の機械がこわれたとする。

このとき、Dさんは「なおると言えばなおるので、なおると言いましょう」とほかの人に言うかというと、言わないのだ。「なおる」と言っても、なおらないと思っているので、「なおると言えばなおるので、なおると言いましょう」とは、言わない。

もし、Dさんが、ほかの社員に「なおると言えばなおるので、なおると言いましょう」と言ったら、ほかの社員は、どう思うか?

「冗談を言っているのかな」と思うだろう。

もし、Dさんが、本気で言っているのなら、喧嘩になる。

「じゃあ、なおると言ってなおしてみろ」とほかの社員がDさんに言って、Dさんが「なおる」と言ったにもかかわらず、なおらないということが発生する。そういうことが、Dさんもわかっているので「なおると言えばなおるので、なおると言いましょう」 などとは言わない。

「今日中に、一〇〇〇個、この製品ができあがる」と言えば、言っただけで、一〇〇〇個の製品ができあがるのだ。これが、言霊による解決方法だ。けど、じゃあ、言えば、言っただけで、一〇〇〇個の製品ができあがるのか?

できあがらない。

言霊主義者のDさんも、それがわかっているので、「今日中に、一〇〇〇個、この製品ができあがると言えば、一〇〇〇個、この製品ができあがるので、今日中に、一〇〇〇個、この製品ができあがると言いましょう」とは、言わないのだ。

ようするに、言霊主義者のDさんも、言霊の力なんて、ぜんぜん、信じていないということだ。「言ったって、言っただけでは、一〇〇〇個の製品なんてできあがるわけがない」と思っているのだ。

もし、現実的な場面で、言霊的な解決方法を口にしたら「精神病患者だと思われる」のだ。

だから、言わない。

実際に、言霊主義者だって、「言えば言ったことが現実化する」とは思っていないのだ。

だから、「できるできると言って、がんばればいい」と言うことになる。けど、「できる」と言えばできるのだから、がんばらなくたっていいのである。

そして、たとえば、一日に一〇〇〇個の製品をつくりたい場合は、「一日に一〇〇〇個の製品が、この空間に出現する」と言えばいいのだ。

そうすれば、出現する。言えば言ったことが現実化するので、言うだけで、一〇〇〇個の製品を出現させることができる。

どうして、「一日に一〇〇〇個の製品が、この空間に出現する」と言わないかというと、言霊主義者は『言霊の力なんて、ない』と思っているからだ。

『言霊の力によって、言ったことが現実化することはない』と思っているので、「一日に一〇〇〇個の製品が、この空間に出現する」と言わないのだ。

ところが、現実的な問題でこまっている人には、「言えば言ったことが現実化する」と自信満々で言ってしまう。

「言えば言ったことが現実化するので、言えばいい」「言えば、言った通りになるので、言えばいい」と言ってしまう。もう、精神が完全に分裂していると言っていい状態だ。

ひとごとなら、「言えば言ったことが現実化する」と本気で思って助言することができるのだ。

けど、自分の現実的なことだと「言えば言ったことが現実化する」と言うこと自体を、はばかるということになる。自分の現実的な問題というのは、自分が関係している現実的な問題も含まれている。

工場で、みんなで働くときに、言霊的な提案をするかというと、しないのである。言霊的な解決方法なんて、口にしない。

けど、そんな彼らでも、言霊的な解決方法を口にすることがある。

それは、「できると言えばできる」というようなことだ。

たとえば、なにかをやろうとしている人がいるとする。

その人がEさんだとする。Eさんに対して、言霊主義者が「できると言えばできる」と言うのだ。

けど、けっきょく、作業をするのは、Eさんなのである。Eさんの身体を使って、Eさんが現実化していることなのだ。

たとえば、Eさんは、ある材料を組み立てて、一日に、一〇個の製品をつくっているとする。言っておくけど……Eさんは、「一〇個の製品ができあがる」とか「一〇個の製品が、出現する」と言って、一〇個の製品をつくっているわけではない。

Eさんの身体を使って、非常に現実的な方法で、一〇個の製品をつくっているのだ。

けど、一〇個つくるのが、きつくて、普通にやると、一日に、七個ぐらいしかできないので、「七個にしてほしい」とEさんが言ったとする。

ようするに、限界までがんばれば、一日に一〇個つくることは可能なのだけど、むりをしてつくっているので、毎日続けることはできないということだ。

これ以上やると、からだが悲鳴をあげて、一日に一個もつくれなくなるので、七個にしてほしいという意味で、「できない」と言っているのである。Eさんが「一日に一〇個つくるのは、できない」と言ったとする。

そうしたら、言霊主義者が「できると言えばできる」と言うのである。

実際に、Eさんは、一日に一〇個つくってきた。

だから、「一日に一〇個つくるのは、できない」ということは、まちがっているわけだ。実際に一〇個つくれた日もあるのだから、一日に一〇個つくれるというのは、事実だ。

けど、Eさんは「これ以上、続けることはできない」と言っているのである。

言霊主義者は、Eさんのかわりに「一日に一〇、この製品ができあがる」と言ってあげればいいのである。言ったことが現実化するのだから、Eさんが(おのれの)身体を使って、つくらなくても、言霊主義者が言っただけで、一日に一〇の製品をつくることができるのである。

ようするに、「できると言えばできる」というような言霊主義的な言葉というのは、現実的な方法でつくることを前提にして言っているわけである。言霊の力でつくってしまうわけではないのである。

Eさんが実際に、物理的な材料を使って、物理的な作業をして、つくるのである。

言霊……関係ない。

言霊の力……関係ない。

関係ないことに、言霊的な解決方法を提案するのである。その場合、Eさんが作業を背負うことになる。言っただけでは、できないのである。

だから、Eさんが、実際に動かなければならないのである。実際に動くのがしんどいので「もう、続けることはできない」という意味で、「できない」とEさんが言ったのである。

「できると言えばできる」と言ったほうも、EさんがEさんの身体を使って、製品をつくるということは、認知しているのである。実際の身体と実際の作業に関しては、メタ認知が成り立っている。

実際に、Eさんがやることだから、言霊主義者は、Eさんに負担をかけようとして、あるいは、Eさんの負担をガン無視して「できると言えばできる」と無責任にはっぱをかけたのである。

まあ、言霊主義者が、わざとEさんに負担をかけようとして言ったわけではないとする。

しかし、実際に、Eさんが言霊主義者のいうことを聞くと、Eさんに負担がかかるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。