「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というようなことを、言う人たちがいる。
けど、実際に、暗いことを経験してきた人は「明るいことを考えなかった」人たちではないのである。
もし、ほんとうに、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」のであれば、つらい思いをしている人たちなんて、たちどころにいなくなる。
「明るいことを考えただけで」明るいことが起こるからだ。
『きちがい兄貴がヘビメタを、すぐに、やめてくれる』と思っただけで……『きちがい兄貴がヘビメタを、すぐにやめてくれる』のであれば、もう、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことで悩む必要なんてないのである。
「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言っている人たちは……「考える」……ということを、なにがすごいことのように言っているけど、そんなのは、すごいことじゃない。明るいことを考えるということは、自分にとって明るいことを考えるということだ。
そして、自分にとって明るいことを考えるということは、自分にとって都合がいいことを考えるということだ。人間は、小さいころから「思い通りになればいい」と考えて生きているのである。
すぐに、生活の中で、思いつくことなんだよ。
なにか、不都合なことが実際にしょうじたら、その不都合なことがしょうじなくなればいいと、だれだって、すぐに考えることなんだよ。
ところが、生活のなかの条件がそれを許さないのである。たとえば、きちがい兄貴という条件がそれを許さない。きちがい兄貴の脳みそという条件が、それを許さない。
きちがい兄貴が、きちがい的な思考をしてしまう脳みそを搭載しているので、きちがい兄貴は、きちがい兄貴が思ったように行動してしまうのである。
そして、「やめてくれ」ときちがい兄貴に言ってもやめてくれないのである。「これこれだからこまる」ときちがい兄貴に言っても、きちがい兄貴が「こまる」ということをまったく理解しない状態で鳴らし続けるのである。
だから、こまるのである。
他人が、きちがい的な行為を、きちがい的な意地でやるから、こっちがこまるのである。
「鳴らさないでくれ」「鳴らさないでほしい」と思えば、それが、現実化するかというと、そうではないのである。
こういう、現実を無視して、あたかも、思っただけで現実化するようなことを言うな!という話だ。
そして、「思っただけで現実化する」というようなことを言っている人は、きちがい兄貴のように、こまっている状態を認めないのである。
明るいことを思ったって、明るいことが起こらずにこまっている状態を認めないのである。こいつらは、「思い方がダメだから、思ったことが現実化しない」ということを言いだすのである。
「思ったことが現実化する」のであれば、ほんとうに、だれも苦労なんてしていない。
なにか、いやなことが起こったら、それを否定するような明るいことを思えば、すぐに、問題解決して、苦労しないので、苦労がずっと続くなんてことはないんだよ。
ようするに、思っても、思っただけになってしまうという問題が、だれにでも成り立っているわけ。それを……そういう重要なことを、思霊主義者の人たちは、無視してしまうのである。
この、無視の構造というのが、完ぺきなのである。
言霊主義者が、ほんとうは、言霊のことを無視して暮らしているということを書いたけど、おなじことが思霊主義者にも成り立っている。