二〇歳の時にくらべれば、おカネをもっている。これが、だいぶちがうんだよね。失ったものは、あるけど、得たものもある。おカネ……。
あと、二〇歳の時にもっていなかったけど、今は持っているものは、クレジットカードだ。これも、カネ関係か……。あの時は、ほんとうにくるしかった。くるしかった。
「働く」ということについて、ちょっとだけ書いておく。「働く」ということを考える場合「働く」という文字を使うことによって、抽象化されてしまうのである。具体的な内容は、捨象されてしまうのである。
「働く」というのは、じつは、個々人の条件が、一番とは言わないまでも……かなり反映されるところなのである。ようするに、個人によって、「働く」と言っても、「働く内容」がちがうのである。
なので、まったく別のことについて、話しているということがよく、しょうじる。
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金持ちというのも、人それぞれに、ちがった意味で使っているので、金持ちの定義から始めなければならないのだけど、特権階級的な金持ちは、基本的に、働くのが楽なのである。
まず、健康であることは、重要なのだ。働くとき、どうやって働くのかというと、自分の身体を動かして働くわけだから、健康というのは、重要なのである。働いているあいだ、つねに、いたいところがある場合は、問題がある。
楽しくは働けない。
それとおなじように、身体的なだるさというのも、問題がある。だるさにも、程度がある。ぼくの場合、きちがいヘビメタ騒音によって、ひどいだるさを経験するようになった。
睡眠回路がこわされた。そして、睡眠回路以外の回路も、実際にこわされたと思う。
手短に言うと、働いているあいだ、つねに、身体的にだるいので、おもしろくないのである。楽じゃないのである。根性論だと、個人の「だるさ」というのは、無視される。
「俺だってつかれている」と一言いえば、きちがいヘビメタ騒音が毎日続くという、異常な出来事によって引きこおこされた「だるさ」も、普通の人間が日常生活の中で感じるだるさも「おなじ程度のだるさだ」ということになってしまう。
「俺だってつかれている」と言っている人の「つかれ」とぼくが、感じている「つかれ」はちがうのである。
「だるさ」と「つかれ」で、表現はちがうけど、めちゃくちゃにつかれている状態は、だるい状態とほぼおなじ状態になる。
だるい状態というのは、つかれた状態のうえに、さらに、病的な不快がつみかさなっている状態なのである。
ここちよい「つかれ」はあるけど、ここちよい「だるさ」はない……と言ってみたくなる。
ともかく、だるさというのは、ここち悪いつかれの、上位バージョンなのである。だるさのほうが、つかれよりも、悪いほうに、傾いているのである。