うんと手短に言うと、名前だけ店長に「できると言えばできる」というような言葉をかけてしまう人というのは、相手の状態がわからない人なのである。
相手が、「こういうふうにつかれている」ということを言っても、それは、無視してしまう。
即座に「自分だって、つかれている」と言って、それで、相手と自分のつかれを同レベル化してしまう。
けど、その同レベル化がほんとうに正しかったのかどうかということは、わからないのである。
まあ、そのような人たちは、同レベル化をしたときに、同レベル化が間違ってるという可能性については、考えないのだろう。
そして、言霊理論の矛盾に気がつかないほど、「ぬけぬけ」なのである。
普段から、言霊理論にあわない現象は、ずっとずっと、何回も何回も、何十回も何十回も、何百回も何百回も、何千回も何千回も、何万回も何万回も、無視しているのである。
そして、無視しているということにも気がつかない。
矛盾を感じる能力が低いのである。
ともかく、相手の状態を理解することが不得意で、理論的な矛盾にこだわらないタイプなのである。
その場合、この人たちが、「人に親切にする」ということを考えても、自分の思った「人に親切にする」ということだけを考えて、相手が本当になにを望んでいるのかということについて、考えないということになる。あるいは、考えても、間違った考えが浮かんでしまう可能性がある。
相手の状態を読み取る力に欠けているのだから、相手に親切にするということを考えても、的外れなものになってしまう可能性がある。
しかし、「人に親切にしよう」ということは考えられるのである。的外れでも、考えられるのである。
だから、この場合も、トラブルの数が増えてしまうかもしれない。
ようするに、何度も言うけど「人に親切にしましょう」という掛け声がどれだけ増えても、社会は、よくならないのである。「人に親切にすることはいいことだ」と思う人が、どれだけ増えても、社会が(そのぶん)よくなるとは、限らないのである。
だって、相手の状態がわからない人が、相手に親切にしてあげようと思って行動しても、空回りになってしまう。あるいは、その行動の結果、相手が、被害を被ることだってある。
実際、言霊主義者は、「名前だけ店長に、いい助言をしてあげた」「名前だけ店長に、助言をしてやることで、名前だけ店長に親切にしてあげた」と思っているのである。
しかし、名前だけ店長は、言霊的なことを言われて、自分の主張と自分の気持ちをおられてしまう。
名前だけ店長は、サービス残業をしたくないのだ。もう、続けたくないと思っている。
それに対して、言霊主義者が「できないと言うからできないんだ」「できると言えばできる」と言って、サービス残業を続けさせようとするのである。
こんなのは、名前だけ店長が求めていることではない。
むしろ、名前だけ店長が求めていることの……正反対のことだ。
名前だけ店長にしてみれば、いやなことをされたということになる。親切にされたのではなくて、いやなことをされたということになる。
けど、相手の状態がわからない「言霊主義者」は、「いい助言をしてやった」「親切にしてあげた」と思っているだけで、名前だけ店長の気持ちには、まったく気がつかないのである。