きちがい親父は……兄貴がちゃんとしたハンダゴテを学校にもっていけないようにした……張本人なんだよ。
ところが、兄貴が、ちゃんと、きちがい親父に「親父が使えると言い張っていたけど、(そのハンダゴテは)使えないものだった」ということを言っても、きちがい親父が事実を無視して「使える使える」と言い張って、認めない。
この、「認めないということ」が、二回繰り返されているのだ。この時点で、二回繰り返されている。
そして、普通の人たちは「ちゃんと言えば(お父さんだって)わかってくれる」と思っている。
そうであるならば、「ちゃんと言わなかった(エイリの)兄貴が悪い」ということになってしまうのだ。普通の人たちのなかではそうなる。
ヘビメタ騒音で、宿題ができないということにも、まったくおなじことが成り立っている。
きちがい兄貴がやりきった場合、きちがい兄貴は、やりきった気持ちがないのだ。自覚がないのだ。認知がないのだ。認識がないのだ。ほんとうは、きちがい兄貴は……きちがい的な意地でやりきって、やりきってやりきってやりきって、相手の言い分を認めなかったのに、相手の言い分を認めなかったという認識がないのだ。
だから、きちがい兄貴は、どれだけ、なにを言われても、「自分の騒音が、弟に影響を与えている」ということを認めない。
弟が、その日の宿題をやりきることができるかということについて、きちがい兄貴の騒音が影響を与えているのにもかかわらず、どれだけ「兄貴の騒音で宿題ができないから、しずかにしてくれ」ということを言われても……わからないままなのだ。
自分が影響を与えているということがわからない。きちがい親父が、自分(親父)が絶対の意地で、子ども(兄貴)にもたした、ハンダゴテのことで、兄貴が、学校で恥をかいたということを認めないように……兄貴も……弟が学校で恥をかいたということを認めない。
認めない。どれだけ、はっきりと言われても、きちがい回路で、はねのけて、認めない。認めない場合、親父も兄貴も、どれだけ何回やっても、「やっていない」ということになってしまうのである。
「そんなことはやっていない」という前提で、相手との人間関係を考える。あるいは、相手との人間関係を無視する。
でっ、それが脳みその、ものすごく深いところで起こっていることなんだよ。
だから、本人は、ほんとうに「悪気」がないんだ。
これが、「こっち」にとって、どれだけこまることか、きちがい家族やきちがい兄貴タイプのきちがい家族と一緒に住んだことがない人にはわからない。