2015年7月18日土曜日

人のせいにするな について。

人のせいにするな について。

これ、けっこう問題なんだよな。僕の考えを最初に述べておく。人のせいである場合もあるし、人のせいではないばあいもある。ケースバイケースだ。AさんとBさんとCさんがいたとする。AさんがBさんに、なんらかのことをして、Bさんの人生を台無しにしたとする。その場合は、Bさんのせいで、Aさんの人生が台無しになったのだから、Bさんは、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」ということができると思う。しかし、世の中には、なんでも、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言いたくなる人がいる。そういう人も、一定数いる。

もうひとつ、別のケースを考えてみよう。AさんがBさんに、なんらかのことをせずに、Bさんの人生を台無しにしたわけではないのに、Bさんが、脳みその病気で、「Aさんのせいで、自分がこうなった」と思っているケースだ。この場合は、Aさんは、Bさんの人生を台無しにするようなことはしてないので、Bさんの言っていることは、間違っているということになる。その場合、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言う人は、一応、正しいことを言っているということになる。

だから、Cさんの発言は、正しい時もあるし、間違っている時もある。けど、このCさんのパーソナリティーにも、問題がありそうな気がする。自分がよく知らないことについて、ともかく、「だれだれのせいだ」という発言に反応して、「自己責任自己責任」と言いたくなる人は、やはり、「だれだれのせい問題」に関して、ある種の精神的な問題を抱えている可能性が高い。たとえば、本当は、「だれだれのせいだ」と言いたい気持ちがあるのだけど、そういうふうには言いたくなくない別の考え方があって、言いたい気持ちと別の考え方の間で葛藤しているというようなことが考えられる。

さらに問題なのは、「本人だけは別」という考え方が、ごく自然に成り立っている場合だ。「人のせいにするのはけしからんが、自分の場合は別」という無意識が成り立っているばあいがある。自分以外の人が「だれだれのせいで、こうなった」というのは、とてつもなく頭にくるので、すぐに「人のせいにするな」と反論したくなる。個別のケースについて、考えようとする、時間的な余裕や、精神的な余裕がない。「なんであれ、人のせいにするのはけしからん」という考え方なので、すぐに、「だれだれのせいで……」と言っている人を攻撃したくなる。まるで、自分が好きな宗教指導者をバカにされた時のように、「人のせいにするな」と批判したくなる。

「すべては自己責任」と考えているがいるとしよう。とりあえず、Dさんということにしておく。「すべては自己責任」なので、どんな事柄が発生したとしても、それは自己責任だと考えているのである。たとえば、交通ルールを守って道を歩いていたのに、車がぶつかってきて、下半身付随になったとしよう。この場合も、自己責任なのである。その時間に、その道路を、歩いていた自分が悪いのである。だから、車を運転していたEさんのせいではないのである。だから、Dさんは「自分がこうなったのは、Eさんのせいだ」とは言わない。こういう人は、一応、矛盾がない。

Dさんのような人が、実際にいたら、たぶん、ほかの人のことについてはあんまり言わないのではないかと思う。なおさら、自分がよく知らないことについては、発言を控えるのではないかと思う。「すべては自己責任」の範囲を、自分に限定しているからだ。どんなことが発生しても、人のせいにはしないという、価値観には、決意がある。そして、自分がした決意についてよく知っている。完全に、意識化されている。すべては自己責任なので、自分の発言から生じたことも、また自分に責任があると考えるだろう。そのような考えを持っている人が、むやみやたらに人を攻撃するわけがない。

実際には、Dさんのような人は少なくて、自分が言ったことにも責任が持てない人のほうが多いのではないかと思う。普段自己責任自己責任と言っている人の中には、自分だけは例外、他人の場合は自己責任と思っている人が多いのではないかと思う。

注 小説の三角さんが他人には「自己責任自己責任」という割には、自分のことになると、とたんに「○○のせい」と言い出す人のモデルです。ほかの人のことを言ったのではありません。






わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。