「もう、むりだ」と言っているのに、「できると言えばできる」と言い、「今現在に集中すればできる」と言うのだから、「つかれをためて死ねばいい」と言っているのとおなじだ。「むりをして、つかれはてて、死ねばいい」と言っているのとおなじなのである。
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たとえば、条件をよさを一段階目から一〇〇段階まで考えたとする。一段階目が、一番よくて、一〇〇段階目が、一番悪いということにしておく。そうすると、八〇段階目の人は、普通よりも、悪い条件だということになる。
ところが、八一段階目の人よりは、条件が相対的によいのである。そうなると、八〇段階目の人は、八一段階目の人には「できると言えばできる」「今現在に集中すればいい」「目の前の作業に集中すれば、できる」とえらそうにいうのである。
かりに、八〇段階目の人も、「できると言っても」できないことがいっぱいある。
いっぱいあるのだけど、ほかの人には……「できると言えばできる」と言ってしまうのである。いい格好をしたいのである。「自分は、できるできると言ったら、できるようになった」と威張りたいのである。そういうレベルの人間なのである。
けど、七九段階目の人には、「できると言えばできる」「今現在に集中すればいい」「目の前の作業に集中すれば、できる」とは言えない。立場がある。
今度は、七九段階目の人が八〇段階目の人に「できると言えばできる」「今現在に集中すればいい」「目の前の作業に集中すれば、できる」と言うわけよーー。
そうやって、上から下へ、圧力をかけていく。そうなると、条件が悪い人は、自殺してしまう。
たとえば、九九段階目の人や一〇〇段階目の人は、どれだけ、目の前のことに集中してがんばっても、むりがたたって、死んでしまう。むりなことを、やらせるための言葉なんだよ。なんで、わからないかな?