2025年6月29日日曜日

言霊主義者は、言霊の力を使えるので、そんなことは、しない。

 「言えば、言った通りになる」「言えば、言ったことが現実化する」というのが、言霊主義者の主張だ。言霊主義者は、この内容が、正しいと言っているのである。しまいには、宇宙をつらぬく真実だと言いやがる。けど、ちょっとまて。「言えば、言ったことが現実化する」なら、言った内容は、なんでもいいことになる。「ある内容は、言えば、現実化するけど、別のある内容は、言っても現実化しない」と言っているわけではないのである。どんな内容でも、ともかく、言ってしまったら現実化すると言っているのである。なら、満員電車の中で、言霊主義者が、小便をしたくなったとき、どうするか? 瞬間移動して、一度、家のトイレにもどり、小便をすればいいのである。あるいは、「小便をしたくならない」と言えば、それで、問題解決できるのである。ところが、次の駅で降りて、小便をしようと考えて、ドア側によるというような行動をする。あるいは、「しばらくのあいだ、まとう」と思うわけである。言霊で、解決しようとしないのである。こういう現実的な問題に関しては、言霊で解決しようとは、思わないのである。自分が一倍速で経験していることは、一倍速で経験しているので、「理由が明らか」なのである。自分にとって、理由があきらかなのである。感情的な動きも、一倍速で経験しているので、時系列的な感情の流れが、自分にとって、明らかなことなのである。「自分にとって、明らかなこと」だと、普通に物理的な思考をしてしまうのである。言霊が出てくる余地がまったくないのである。自分にとって明らかではないことに関しては、言霊思考が割り込んでくるのである。未来の希望などは、未来のことなので、まだ自分が、一倍速で経験したことではない。だから、空想の余地がある。他人のことなら、自分が、一倍速で経験したことではないので、経験を理解するということが、不十分なのである。自分の経験ではないので、思考でカバーしなければならない。状態や、理由を、思考でカバーしなければならなくなるのである。自分が一倍速で経験したことではないので、自分にとって、「理由」や「感情の流れ」があきらかではないのである。言霊主義者が、「他人の理由」や「他人の感情の流れ」を空想で、おぎなって、理解するのである。つまり、解釈に余地がある。「他人の理由」や「他人の感情の流れ」を理解するとき、理解度が、人によってちがうのである。言霊主義者は、自分勝手で、自己中心的な思考をしてしまうので、「他人の理由」や「他人の感情の流れ」をうまく理解できないところがあるのである。ようするに、「他人の話」を聞いて、「どういうことが起こったか」解釈しなければならないのだけど、解釈するにしろ、それは、「自分の経験ではない」ということが、最初から決まっているのでる。自分のことではないので、解釈の余地がしょうじるのだけど、この解釈の余地が生じたときは、言霊思考になってしまうのである。「小便をしたくない」と言えば、小便をしたくなくなるのである。しかし、その場合も、けっきょく、死なない場合は、近い未来のある時間に、小便をするのである。小便をがまんすることができるのだけど、我慢は、体には悪いので、我慢のしすぎには注意しよう。「小便をしたくないと言ったら、なんとなく、小便をしたくないような気持になり、我慢できた」ということを、言霊主義者が言ったとする。「けど、どのみち、小便をしたんでしょ」と言いたくなる。体のしくみがある。からだのしくみの範囲内のことを、やっただけなのである。尿意をがまんするということは、別に、「小便をしたくない」と言わなくても、できることだ。からだのしくみによって、最初からできることなのである。それを、「言霊の成果」のように言ってしまうのが、言霊主義者だ。自分の経験について語っている場合は、体のしくみによって、可能なことが、多い。そして、ストレス対抗期間内のことが多い。しかし、それは、体のしくみによってできたことであって、言霊の力によってできたことではないのだ。「なんとなく、そういう気分になった」ということは、言霊の力ではなくて、言葉の力だ。言霊の力と、言葉の力というのは、峻別しなければならないのである。そうしないと、「言霊」と言われているものの正体がわからなくなる。 

まあ、言霊主義者は、言霊の力で、瞬間移動できるので、満員電車の中にいるときは、なにか、ほかの理由で、満員電車の中にいるのだろう。まさか、通勤のために、乗りたくもない満員電車に乗るなんてことは、ないと思う。言霊主義者は、言霊の力を使えるので、そんなことは、しない。

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小便をがまんしすぎて、膀胱が破裂した人が実際にいるので、バカなことはやめましょう。

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自分の感情に関することは、「なんとなくそういう気分になる」とか「なんとなくそんな気がする」ということがある。とりあえず、「気分類」と言っておこう。実際にそうなるということを、とりあえず、「実体類」と言っておこう。その場合、気分類と実体類には差がある。よく、言霊の説明で、「気分になる」というのがでてくる。「眠たくない」と言ったら「眠たくなくなった」と言うような話である。「眠らない」と言ったら、眠らずにすごすことができた……だから、言霊は真実だと彼らは言いたいのである。けど、「眠らない」と言ったあとも、言ったあとのどこかの時点で、けっきょくは、眠るのである。死ななければ……。「眠らない」と言ったあと、しばらくのあいだは、起きていたということにすぎない。「眠らない」と言ったあと、実際には、眠っているのである。「眠らない」と言ったあと、実際には「眠った」のである。生きていれば……。 「眠らない」と言うことに関しては、気分類であって、実体類ではない。しかし、言霊主義者は、気分類と実体類の区別をしていないので、気分類の例で、実体類を説明しようとする。「言えば言ったことが実体化する」ので、気分類と実体類の区別をしていない。つまり、言ったことの内容には、気分類と実体類が含まれているのである。気分類で成り立ったことは、実体類でも成り立つと、仮定しているのである。しかし、言霊主義者にとっては、仮定ではなくて、事実なのだ。これが、やっかいなところだ。ここでも、言霊主義者は、一〇〇%詐欺をして、法則性詐欺をしている。

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相手も「気分類」なら、できることなのである。気分類は、一倍速で体験可能なことであり、体のしくみに依存しているものであり、ストレス対抗期間内のことだ。しかし、相手の状況や相手の状態をまったく理解していない、言霊主義者は、相手に対して「実体類」であることを、おしつけるのだ。おしつける根拠は、自分が気分類で体験したときは、言霊の力で乗り切ったと思っているからだ。実際には、言霊の力で乗り切ったわけではないけど、ストレス対抗期間内に、言霊的な対処をしたので、言霊的な対処が「どんな場合でも」有効だと誤解をしている状態なのである。言霊的な対処と書いたけど、これは、言葉による対処だ。まるまるというような気分になった。「アファーメーションをした」「言葉で気合を入れた」ということだ。これらは、言霊の力で現実化されたことではないのである。そして、気合を入れるにしろ、身体がかかわっている。身体のしくみがかかわっている。身体のしくみをこえたことは、できないのである。

言霊主義者は、誤解をして、相手にむりなことをおしつけることがある。言霊主義者の「助言」というのはあ、相手に、むりなことをおしつける内容であることが多い。相手の状態を推し量ることが、苦手なのである。相手の状態が、わからないので、「気分類」を根拠にして、言霊が永遠の真理だから、言霊的な助言が相手にも役に立つと思っているのだ。しかし、実体類に関係することは、言霊主義者・本人だって、言霊で問題を解決することができないのである。ここがまったくわかってないないのが、言霊主義者だ。 

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。