2025年6月19日木曜日

だいたい、「言う」ということ自体が、物理的な現象なのである

  もう、書いたことだけど、言霊主義者が、階段から落ちて腕をいたくした場合、「階段から落ちたから、腕がいたくなった」と考えるのである。

しかし、これはおかしい。

「階段から落ちて、腕がいたくなる」と言ったあと、腕がいたくなるべきなのである。

たとえば、階段から落ちるには、重力が必要だ。

落ちるとき、階段を構成する部分に、自分のからだを構成する要素である腰があたり、その結果、腰がいたくなったのである。あるいは、地面や床を構成するものに、自分のからだを構成する要素である腕があたり、その結果、腕がいたくなったのである。

「階段から落ちて、腕がいたくなる」と言わなくても、「階段から落ちて、腕がいたくなる」という出来事がしょうじたということに、もっと注目しなければならないのである。

ようするに、言わなくても、出来事が発生する。

そして、言霊主義者といえども、物理的な現象を認めているのである。

階段から落ちている最中、あるいは、落ちたとき、階段を構成する要素や、地面や床を構成する要素と「ぶつかった」ので、自分のからだの一部がいたくなったと(言霊主義者だって)思っているのだから、当然、(言霊主義者は)物理的なしくみを知っているのである。

以降、階段を構成する要素のことを階段と言い、地面や床を構成する要素のことを、単に、床と言うことにする。道路なども地面という言葉に含めるとする。

言霊主義者だって階段から落ちた「から」からだの一部がいたくなったと思っている。これは、物理的な力によって、からだの一部がいたくなったということを(言霊主義者が)認めているということなのである。

言霊主義者だって、「からだがいたくなる」と言った「から」からだがいたくなったと考えているわけではなくて、階段や床に自分のからだがぶつかった「から」からだがいたくなったと考えているのである。

言霊主義者だって物理的な衝突が発生した「から」から、自分のからだがいたくなったと思っているのである。

言霊が出てくる余地がないのである。

言わなくても、物理的な法則にしたがって、出来事が発生するのである。

自分が一倍速で、体験したことについては、「言っていなくても、出来事が発生する」ということを、ごく自然に認めているのである。

物理現象は、言霊によって、発生したのではない。

言霊主義者は、言霊について説明するとき、じつは、言霊法則のほうが物理法則よりも上位の法則だと考えているのである。

言霊主義者が、言霊について考えているときは、言霊主義者の頭のなかでは、物理的な現象も、言霊の力によってしょうじることになっているのである。

そして、言霊について考えているときは、言霊主義者の頭のなかでは、非・物理的な現象も言霊の力によってしょうじることになっているのである。

実際には、言霊の力によって発生する非・物理的な現象はないのだけど、言霊の主義者の頭のなかでは、言霊の力によって、非・物理的な現象(超自然的な現象)が発生するということになっているのである。

出来事がしょうじたなら、それは、言霊の力によってしょうじた出来事でなければならないのである。

なぜなら「言えば、言ったことが現実化する」からである。

現実化するときに、物理的なプロセスを必要とするものであったとしても、その物理的なプロセスを含めて、言霊の力によって、しょうじなければならないのである。

「そうでない」と言うのであれば、言霊とはまったく関係なく、物理法則が成り立っていて、物理的な現象がしょうじるということになる。

これは、物理的な現象は、(言霊の力とはまったく関係がない)物理的な運動によってしょうじるということを意味している。

言霊の力が介在する余地がないのである。

言霊主義者だって、自分が一倍速で経験したことに関しては、言霊について考えることがないまま、物理的な力でしょうじたと思っているのである。

自分の意識が言霊に集中しているときだけ、言霊の力によって、言ったことが発生すると考えるのである。「言ったこと」というのは、言った内容にそくした物理的な出来事のことなのである。

もちろん、物理的な出来事がしょうじれば、そのことによって、人間のからだが影響をうけることがある。

自分に関係した物理的な出来事は、自分の精神的な反応を発生させるのである。自分の身体的な反応も、自分の精神的な反応も、ほんとうは、物理的な反応の結果なのである。

だいたい、「言う」ということ自体が、物理的な現象なのである。

だれかが、何事かを言うとき、発話に関する物理的な運動が発生している。

たとえば、空気がなければ、言ったって言葉にはならないのだから、「言ったことが現実化する」ということ自体が成り立たない。つまり、言うということも、物理的な運動の結果なのである。

そして、聞く側が、話す側の言葉を聞きとることができるということも、これまた、物理的な運動の結果なのである。

なので、じつは、言霊の力というものは、物理的な力に依存しきったものなのである。

言霊の力なんてものはないけど、あるとしたら、物理的な力に依存しきったものなのである。

言霊法則なんてないけど……あるとしたら、物理法則のほうが、言霊法則よりも上位の法則なのである。

ところが、言霊主義者は、言霊法則が成り立っていると考え、さらに、言霊法則のほうが物理法則よりも上位の法則であると考えているのである。

あるいは、そのような言霊の性質について、(言霊主義者は)まったくなにも考えていないのである!!

言霊なんてないから、言霊の性質について考える必要もないのだけど……彼ら、彼女ら……言霊主義者が……そう仮定しているのだから、そう仮定した場合について、いま、ぼくが語っているのである。

*     *     *

もし、言わなくても発生するのであれば、言えば発生するということを言う必要がないということになる。そりゃ、そうだろ。言わなくても発生するし、言っても発生するのであれば、「言えば、発生する」と言うことの意味はなんなんだ?

言えば、現実化する。言わなくても、現実化する。だったら、言っても言わなくても現実化するのだから、「言えば、現実化する」と言う意味がない。『現実化する』というのは、発生するということなのである。

なんらかの出来事が、実際に起こるというとなのである。なんらかの出来事が起こると言わなくても、なんらかの出来事が起こるのであれば、「なんらかのできごとが起こると言えば、なんらかの出来事が起こる」と言うことに、いったい、なんの意味があるのか?

言わなくても、出来事が発生するのだから、「言えば出来事が発生する」と言うことに、いったい、なんの意味があるのか?

*     *     *

「人類が発生する」とだれがが言うまえに、人類が発生したのである。「地球ができあがる」とだれかが言うまえに、地球ができあがっていた。だったら、言わなくても、発生するのである。言わなくても、できあがるのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。