もう、書いたことだけど、言霊主義者が、階段から落ちて腕をいたくした場合、「階段から落ちたから、腕がいたくなった」と考えるのである。
しかし、これはおかしい。
「階段から落ちて、腕がいたくなる」と言ったあと、腕がいたくなるべきなのである。
たとえば、階段から落ちるには、重力が必要だ。
落ちるとき、階段を構成する部分に、自分のからだを構成する要素である腰があたり、その結果、腰がいたくなったのである。あるいは、地面や床を構成するものに、自分のからだを構成する要素である腕があたり、その結果、腕がいたくなったのである。
「階段から落ちて、腕がいたくなる」と言わなくても、「階段から落ちて、腕がいたくなる」という出来事がしょうじたということに、もっと注目しなければならないのである。
ようするに、言わなくても、出来事が発生する。
そして、言霊主義者といえども、物理的な現象を認めているのである。
階段から落ちている最中、あるいは、落ちたとき、階段を構成する要素や、地面や床を構成する要素と「ぶつかった」ので、自分のからだの一部がいたくなったと(言霊主義者だって)思っているのだから、当然、(言霊主義者は)物理的なしくみを知っているのである。
以降、階段を構成する要素のことを階段と言い、地面や床を構成する要素のことを、単に、床と言うことにする。道路なども地面という言葉に含めるとする。
言霊主義者だって階段から落ちた「から」からだの一部がいたくなったと思っている。これは、物理的な力によって、からだの一部がいたくなったということを(言霊主義者が)認めているということなのである。
言霊主義者だって、「からだがいたくなる」と言った「から」からだがいたくなったと考えているわけではなくて、階段や床に自分のからだがぶつかった「から」からだがいたくなったと考えているのである。
言霊主義者だって物理的な衝突が発生した「から」から、自分のからだがいたくなったと思っているのである。
言霊が出てくる余地がないのである。
言わなくても、物理的な法則にしたがって、出来事が発生するのである。
自分が一倍速で、体験したことについては、「言っていなくても、出来事が発生する」ということを、ごく自然に認めているのである。
物理現象は、言霊によって、発生したのではない。
言霊主義者は、言霊について説明するとき、じつは、言霊法則のほうが物理法則よりも上位の法則だと考えているのである。
言霊主義者が、言霊について考えているときは、言霊主義者の頭のなかでは、物理的な現象も、言霊の力によってしょうじることになっているのである。
そして、言霊について考えているときは、言霊主義者の頭のなかでは、非・物理的な現象も言霊の力によってしょうじることになっているのである。
実際には、言霊の力によって発生する非・物理的な現象はないのだけど、言霊の主義者の頭のなかでは、言霊の力によって、非・物理的な現象(超自然的な現象)が発生するということになっているのである。
出来事がしょうじたなら、それは、言霊の力によってしょうじた出来事でなければならないのである。
なぜなら「言えば、言ったことが現実化する」からである。
現実化するときに、物理的なプロセスを必要とするものであったとしても、その物理的なプロセスを含めて、言霊の力によって、しょうじなければならないのである。
「そうでない」と言うのであれば、言霊とはまったく関係なく、物理法則が成り立っていて、物理的な現象がしょうじるということになる。
これは、物理的な現象は、(言霊の力とはまったく関係がない)物理的な運動によってしょうじるということを意味している。
言霊の力が介在する余地がないのである。
言霊主義者だって、自分が一倍速で経験したことに関しては、言霊について考えることがないまま、物理的な力でしょうじたと思っているのである。
自分の意識が言霊に集中しているときだけ、言霊の力によって、言ったことが発生すると考えるのである。「言ったこと」というのは、言った内容にそくした物理的な出来事のことなのである。
もちろん、物理的な出来事がしょうじれば、そのことによって、人間のからだが影響をうけることがある。
自分に関係した物理的な出来事は、自分の精神的な反応を発生させるのである。自分の身体的な反応も、自分の精神的な反応も、ほんとうは、物理的な反応の結果なのである。
だいたい、「言う」ということ自体が、物理的な現象なのである。
だれかが、何事かを言うとき、発話に関する物理的な運動が発生している。
たとえば、空気がなければ、言ったって言葉にはならないのだから、「言ったことが現実化する」ということ自体が成り立たない。つまり、言うということも、物理的な運動の結果なのである。
そして、聞く側が、話す側の言葉を聞きとることができるということも、これまた、物理的な運動の結果なのである。
なので、じつは、言霊の力というものは、物理的な力に依存しきったものなのである。
言霊の力なんてものはないけど、あるとしたら、物理的な力に依存しきったものなのである。
言霊法則なんてないけど……あるとしたら、物理法則のほうが、言霊法則よりも上位の法則なのである。
ところが、言霊主義者は、言霊法則が成り立っていると考え、さらに、言霊法則のほうが物理法則よりも上位の法則であると考えているのである。
あるいは、そのような言霊の性質について、(言霊主義者は)まったくなにも考えていないのである!!
言霊なんてないから、言霊の性質について考える必要もないのだけど……彼ら、彼女ら……言霊主義者が……そう仮定しているのだから、そう仮定した場合について、いま、ぼくが語っているのである。
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もし、言わなくても発生するのであれば、言えば発生するということを言う必要がないということになる。そりゃ、そうだろ。言わなくても発生するし、言っても発生するのであれば、「言えば、発生する」と言うことの意味はなんなんだ?
言えば、現実化する。言わなくても、現実化する。だったら、言っても言わなくても現実化するのだから、「言えば、現実化する」と言う意味がない。『現実化する』というのは、発生するということなのである。
なんらかの出来事が、実際に起こるというとなのである。なんらかの出来事が起こると言わなくても、なんらかの出来事が起こるのであれば、「なんらかのできごとが起こると言えば、なんらかの出来事が起こる」と言うことに、いったい、なんの意味があるのか?
言わなくても、出来事が発生するのだから、「言えば出来事が発生する」と言うことに、いったい、なんの意味があるのか?
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「人類が発生する」とだれがが言うまえに、人類が発生したのである。「地球ができあがる」とだれかが言うまえに、地球ができあがっていた。だったら、言わなくても、発生するのである。言わなくても、できあがるのである。