うーーん。じつに、おもしろくない。おもしろくない。まあ、あたりまえだよなぁ。みんな、長期騒音のことが、わっかていない。あれがどういうことなのかわかっていない。あそこから、ずっと陸続きだ。
気分というのは、やはり、人生のなかで発生した出来事と関係がある。関係なしに「楽しい楽しい」と言ったって楽しくなるわけじゃない。ものすごく楽しくないやつらが「楽しいと言えば楽しくなる」などと言う。楽しくない。そいつらの人生のなかで起こったことは、俺よりもましなんだよ。連続という意味ではね。余裕のある人が「俺だって苦労した」と、ドヤ顔で言う。こいつらは、きちがい家族のきちがい的な騒音なんて経験してない。うちのなかで、きちがい家族がどういうふうにふるまうのか、まったくわかってない。だったら、同レベルの苦労なんかじゃない。
きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、猛烈に不愉快なのに、わかっていないやつらが、ろくでもないことを言ってくる。もっと、不愉快になる。そういう毎日の連続で、いいはずがない。
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あーーあ。もう、俺、つかれたなぁ。土曜日の午後5時6分かぁ。きちがいヘビメタががんがん鳴ってたなぁ。言っておくけど、 「楽しいと言えば楽しくなる」と言う人も、「楽しいと言えば楽しくなる」とドヤ顔で言う人の家族も、みんなみんな、きちがい兄貴とはちがうのである。だから、気ちがい兄貴みたいに、「ものすごい音」で鳴らそうと思わない。普通に、「迷惑だからやめておこう」ということになる。ところが、きちがい兄貴は、きちがいなので、それがわからない。そして、もしわかっているのだとしたら、「迷惑だから鳴らせない」ということが、いやなのだ。自分が、鳴らせなくなるのがいやなのだ。だから、うちでだけ、そのリミッターをはずしてしまう。きちがい秋にしたって「よそ」では、リミッターがついている状態なのである。この家は、きちがい親父が作った家だから、きちがい親父みたいなことをしてもいいという、暗黙の認識がある。そりゃ、きちがい親父が、きちがい行為をしているときは、きちがい親父だって、ほんとうなら、わかることを、わからないようにして、やってしまうわけだから、そうなる。だから、無意識的にはやってはいけないことだとわかるので、無意識的なレベルでやっていいことにするために、無意識的なベルで「やってない」ということにしてしまうのである。ほんとうは、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らすために、無意識的なレベルで、この音は、鳴らしていい小さな音だと認識してしまうようにしてしまうのである。これが、どれだけ言われても、本人がそうしているつもりがない状態なので、無意識な催眠術にかかったような感じで、やってしまう。ようするに、ものすごくでかい音で鳴らしているのだけど、でかい音で鳴らしているということが、まったく頭に浮かばない状態になってしまうのである。どうしてそうなるかというと、「やってはいけない音で鳴らしたいから」だ。そういうきちがい構造をもっている人と、一緒に住んだことがない人は、当然、そういうきちがい構造をもっている人が鳴らす騒音というものを、聞いたことがないのである。そういうきちがい構造をもっている人が、普段、鳴らす騒音というものを経験したことがないのである。当然、一日のなかでも、実際の影響がどのようなものになるかわからない。つたない想像力で想像するしかないのである。自分のことだと、わかるのに、ほかのひとのことだと、とたんにわからなくなるやつらがいる。あるいは、単に経験がないから、見積違いをしてしまう。影響の度合いについて、まちがった考え方をもってしまう。けど、影響の度合いについて、まちがった考え方をもっている」とぼくが、その人たちにどれだけ説明しても、そいつらは、腹をたてて、認めないのである。腹をたてたいのはこっちなんだよ。きちがい兄貴の無意識的な問題が、そのような事態を引き起こしているのである。そして、きちがい兄貴が、夢中でやっているにもかかわらず、まったくやってないつもりのままだから、問題がでかくなるのである。これは、普通の人が、普通に設定している……自分がやっていることは、自分でわかるはずだという考え方を、裏切るものなのである。ようするに、きちがい兄貴が、「よそのいえ」では、鳴らせないような音で、ガンガン、自分のヘビメタを鳴らしたいと思ったとする。そうすると、無意識的なレベルで、変換をしてしまうのである。変換が必要なのは、「よそのいえ」では、絶対に鳴らせないようなでかい音で鳴らしたいから、なのである。けど、その過程が、無意識的な過程だから、意識的なきちがい兄貴の意識には、一切合切のぼってこないのだ。だから、ここにはずれがあるのだけど、きちがい兄貴は、そのズレがわからない。そして、きちがい兄貴だけではなくて、ドヤ顔で「言ったことが現実化する」「楽しいと言えば楽しくなる」と言っている人たちも、そのズレがわからないのである。まったくわかっていないのである。
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ともかく、ずっと、ずっとずっと、四六時中鳴らされていたので、ほんとうにつらかったよ。そのつらさというのが、「現在進行形で」何時間も何時間もずっと続いてしまうのだから、何時間も何時間もずっと続いてしまうということの、影響をうけるのである。そして、これは、事実であり、実際の出来事だ。だから、不可避的に、自分の身体に影響をあたえるのである。不可避的に、自分のこころに影響をあたえるのである。これらの影響を無視して、「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなるかというと、楽しくならない。影響を無視したって、影響があるので、「楽しい楽しい」と言ってみたところで、ぜんぜん楽しくならないのである。
けど、ドヤがの連中は、自分が、俺(エイリ)と同レベルの騒音生活を一倍速でおくったことがないので、それが、経験としてわからない。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」なんて言っているやつらが、どれだけ「自分だって苦労した」と言ったって、それは、たいした苦労じゃないということがわかる。絶対に「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」なんて言っていられなくなる。
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この、ヘビメタ騒音の影響を認めないというのが、きちがい兄貴とドヤ顔・言霊主義者でおなじなのである。そりゃ、ドヤ顔・言霊主義者は、兄貴じゃないから、逸脱行為をしないのだろう。ドヤ・顔言霊主義者は、実際に俺の横で、ものすごくでかい音で、騒音を鳴らし続けたわけじゃない。それは、わかる。しかし、ヘビメタ騒音の影響を認めないというのが、きちがい兄貴とドヤ顔・言霊主義者でおなじなのである。