2020年6月5日金曜日

同じことをする。同じ反応を返す。


ほんとうにヘビメタ騒音で、俺がほかの人から悪く言われるところに落ちていくんだよな。これ、必然なんだよな。きちがい兄貴の態度の必然。どれだけきちがい的な態度で夢中になって、普通の人が想像できないような音を鳴らしたか? ほかの人は、経験がないから、わからない。頭で聞いて、普通の騒音だと思ってしまう。普通の「あにき」だと思ってしまぅ。普通の親だと思ってしまう。そうなると、言わない俺が悪い、ということになる。どれだけ、夢中になって言ったか。そして、ほんとうに、続くとなると、普通の人が想像できない範囲に影響がおよぶ。騒音の影響がおよぶ。これも、ほんとうにそういう生活を経験しないとわからない。俺が、勝手に、妄想で、そうなると言っているように思われる。彼らにとってみれば(自分は経験してないので)そうなる必然性があるということがわからない。だから、必要がないことで、俺が言い訳をしているようにしか思わない。説教をしてくる奴というのは、そういうやつらだ。で、そういうやつらのほうが多い。親友にすら、言ってみれば「説教」をされたわけだけど、そんな関係が続くわけがないだろ。これ、生まれ変わって、人生を入れ替えて経験すればわかる。「そういうことだったんだ」ということがわかる。どれだけ俺が誠実な人でも、どれだけ俺に才能があっても、きちがい兄貴の態度で、ずっと騒音を鳴らされ続けたら、「言い訳をしている人」にならざるをえない。俺は、佐藤の反応についてかなり詳しく書いているけど、あれが、「普通の人」の反応だ。それは、俺が無職になったときに発動されるものではなくて、最初から構造として成り立っている。ようするに、小学六年生のときから、ああいう構造のもめごとがなりたっている。中学一年生になると、(小学六年生時より)もっとひどくなる。求められることが(小学六年生の時よりは!)職場に近くなるからだ。いろいろなトラブルがしょうじる。それは、働いてなくてもそうなんだよ。働く年齢に達してなくてもそうなんだよ。学校なんて職場の「うつしえ」みたいなものだからな。あるいは、練習場所みたいなものだからな。同じ構造が成り立っている。きちがい野郎……相手の表情をまったく読めない家族にやられると、そういうことになってしまう。これは、おやじと兄貴の関係でも成り立っている、おやじと俺の関係でも成り立っているし、兄貴と俺の関係でも成り立っている。きちがい兄貴ときちがいおやじの頭の構造が同じなんだよ。自分にとってやりたいことがあると、それを夢中になってやる。ほかの人に迷惑がかかることでもまったく気にしないでやる。その場合、相手がどれだけすごい形相で、「やめてくれやめてくれ」と言っても無視する。発狂して無視する。そして、無視してやり続けた言うことも無視する。そして、夢中になって、やり続けたことは「やってないこと」になってしまうのである。あるいは、「やってたってやってなくたってどうでもいいこと」になってしまうのである。また、相手が「やめてくれ」と何回も(ものすごい形相で言ってきた)ということが、記憶から消えてしまう。自分は、だれからも反対されずにやったということになってしまう。騒音ではなくて、ようするにもののことではなくて、もとのことについて、こういうことがあったということを言われれば、「おなじじょうたい」になって発狂して、はねのけて!!!しまう。発狂して!!!はねのけたら、「あったってないこと」なんだよ。自分がやったことについて文句を言われた時とおなじ構造が成り立っている。同じ頭の構造が成り立っている。同じ行動の構造が成り立っている。同じ認識の構造が成り立っている。こういうことが、よその人にはわからない。もめたなら、もめたということを覚えているはずだと、よその人は前提してしまう。けど、そうじゃない。実際はそうじゃない。そして、時系列なことを考えれば、何回も上書きされてしまうのである。何万回繰り返しても、何万回、実際にはもめていても、「そんなの知らない」ということになってしまう。きちがい兄貴の頭の中では、俺と兄貴がヘビメタ騒音についてもめたという記憶が、ない。何万回もめても、ない。そういう状態で、何万回目も現在進行形で、同じことをする。同じ反応を返す。だから、どれだけ繰り返しても、あっちには、「たまる」ということがない。いつもいつも、過去においてもめたということはない……という認識のもとで、きちがい兄貴が爆音できちがいヘビメタを鳴らすのである。で、その時、俺が「やめてくれ」と文句を言いに行っても、同じ反応が返ってくるだけなのである。自分がかかわっているという「気持ちが」ない。まったくない。「認識」としてない。こういう状態が、ほかの人にはわからない。だから、「言えばいいのに言わないから」だめなんだ。「ちゃんと言えばやめてくれるのに、ちゃんと言わないからダメなんだ」と(ほかの人が)思ってしまうのである。だから、佐藤なんて、ほんとうに典型。典型的な反応。「そんなのはおかしい」のである。「そんなのはおかしいから(そうじゃないんじゃないか)」と思ってしまうのである。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。