2020年6月18日木曜日

言えば願いがかなう…と…何回も言えば願いがかなう について


●「回数が足りないだけ」のトリック(かなってないとしたら、回数がたりないだけですよ(にた~~) 私は願いがかないましたから(にた~~)

「言えば願いがかなう」とAさんがBさんに言ったとする。Bさんは、自分の願い事を言葉に出して言ったが、願いがかなわなかったとする。そのとき、AさんがBさんに「何回も言えば願いがかなう」と言ったとする。.

じつは、Aさんのなかでは、「言えば願いがかなう」ということと「何回も言えば願いがかなう」ということは、それほど矛盾したことではない。Aさんにとってみれば、「何回も言えば願いがかなう」ということは、「言えば願いがかなう」の拡張バージョンみたいなもので、特に矛盾した意味を含んでいないということになる。

しかし、本当は、矛盾した内容を含んでいる。

何回も……というのが、実際何回かは、あとで考えることにしよう。とりあえず、何回もという場合の回数をn回だとする。

その場合、じつはn-1回目まで、どれだけ願いを言葉に出していっても、かなわないということを言っている。「何回も言えば願いがかなう」ということは、「何回も言わないと願いがかなわない」ということなのである。必然的にそういう事を言っているということになる。

かりに、n回を1000回だとする。その場合、1000回言えば、願いがかなうけど、1回目から999回目までは願いがかなわないということを言っているのだ。

一方「言えば願いがかなう」というのは、1回でも言えば願いがかなうということを言っているのである。1回でも、口に出して言えば、かならず!願いがかなうのである。

この「言えば願いがかなう」というのは、「言えば願いがかなうこともある」ということを言っているのではない。そうでなくて「言えば、かならず、願いがかなう」ということを言っているのである。

じつは、「言えば願いがかなう」という言葉は、使うときによって、意味が違う。それは、言霊信者のAさんにとっても、意味が違うのである。しかし、言霊信者のAさんは、自分でその言葉を使っているのに、言うたびに意味が違うということに気がつかない。

意味が違うということに気がつかないということを利用して、困難を避けている。自分が言っていることが当たらないこともあるという現実にむかいあうことを避けている。

ひとつの言葉に、まったくちがったふたつの意味を込めて使っているのに、そのことがわかってない。使っている本人がわかってない。

だからこそ、現実の認知を回避することができるのである。最初に(言霊信者が)言えば願いがかなうと言った場合は、「言えばかならず、願いがかなう」という意味で言っているのである。

「言えば願いがかなう」ということを「言えば願いがかなう場合もあるし、願いがかなわない場合もある」という意味で、使っている言霊信者はいない。「願わない場合もある」ということは、認めないのが、言霊信者なのである。

だから、言霊信者が「言えば願いがかなう」と言った場合は、「言えばかならず!願いがかなう」という意味で言っている。

しかし、実際には、「かなわないばあい」がある。けど、言霊信者は、かなわない場合があるということを認めるわけにはいかないのである。

そこで、時間をずらすのである。今はかなわないかもしれないけど、何回も言えばかなうということにして、「かなわなかった」という現実を無視する。

言霊主義者のAさんはBさんのような人に対して、「回数がたりないからだめなんだ」ということを言う。けど、「回数がたりないからだめなんだ」と言ったときには「言えば、かならず、願いがかなう」ということは、1回目からその回数マイナス1回の範囲で、部分的に否定されている。

1回でかなわなければならないのである。「言う」か「言わないか」の二値しかないからだ。

未来に先延ばしすることで、延命している。もう、本当は否定された理論を、未来に先延ばしすることによって延命する。だから、その時点で、じつは、本来の意味での「言えば願いがかなう」ということは、否定されている。

けど、言霊信者はそれに気がつくことはない。気がついたら、「言っても願いがかなわないことがある」というアタリマエの現実を認めなければならないからだ。「言っても願いがかなわない場合もある」という現実は、無視される。

かわって「回数がたりないからだめなんだ」という、破綻した理論が持ち出される。

「1000回言えば願いがかなう」と言った場合は、999回目までは、いったって願いがかなわないということを、言っているのである。100回なら99回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。「10回言えば願いがかなう」と言った場合は9回目までは、「言っても願いがかなわない」ということをいっているのである。

●わからない人に、繰り返して同じことを言うとこうなる。

言えば願いがかなう……言えば願いがかなうこともあるし、かなわないこともある。「言えば願いがかなう」と言霊主義者が言ったとき「言っても願いがかなわないこともある」ということは、認めていない。言霊主義者の場合、「言えば、かならず、願いがかなう」という世界観を持っているのだから、かなわないということは考えないのである。だから、言えば願いがかなうというのは、二値の世界なのである。

言ったか言わないかの二値と、かなうかかなわないかの二値があるだけなのである。言えばかなうのであって、言ったのにかなわないということはないのだ。

しかし、言ったのにかなわないという現実を認知しなければならないときがある。そのようなときに、言ったのにかなわないことがあるという現実を認知することを避けて、「何回も言えば願いがかなう」と思うことにしているのだ。

しかし、これは、今まで見てきたように、理論的に破綻している。1000回言えば願いがかなう」という場合は、1回だけ、言っても、願いがかなわないということを、意味しているのである。2回でも、3回でも、願いがかなわないということを言っているのである。

999回でも願いは、かなわないのだ。999回言えば願いがかなうのか? かなわないのか? 999回では願いがかなわない。1000回、言えば願いがかなう」ということを言っているときは、999回、言っても、願いがかなうことはないということを言っているのである。ただ、それに気がついてない。「言えば願いがかなう」と言っているときと「1000回言えば、願いがかなう」と言っているときでは、その人の気分が違うので、込められた意味の違いに気がつかない。

言霊主義者にとって「何回も言えば願いがかなう」は「言えば願いがかなう」の拡張バージョンにすぎないから、矛盾しているとは考えない。

「何回も」と言った場合、何回が実際に何回目を意味しているのかわからないので、n回ということにしておこう。この場合、1回目から、n-1回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。

気がつかないのだろうけど、これは、「1回言っても願いはかなわない」ということを含んでいる。なので、「言えば願いがかなう(2値バージョン)」とは、正反対のことを言っている。「言えば願いがかなう(2値バージョン)」の場合は、1回願いを言えば、どんなことがあってもかなうのである。かなわないなんてことはないのである。「かなわない場合」のことは考えてないのである。「かなわない」ということはないのだから、考えない。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。