2023年1月5日木曜日

つかれとか、眠れないとか、そういうことの意味がちがってしまうのである

 毎日のしんどさをほんとうに経験したわけじゃないのだから、わかるわけがない。たとえば、「休みの日は、ヘビメタ騒音が十三時間鳴っていた」とぼくが言ったって、あのヘビメタ騒音が十三時間鳴っている、休みの日がどういうものか、経験したことがない人にはわからない。一倍速で、経験してみろ。「休みの日は、ヘビメタ騒音が十三時間鳴っていた」と三秒で言える。そして、「意味」はつたわる。「意味だけ」はつたわるのだ。文章の意味はつたわる。けど、十三時間鳴っていた場合の、つかれなんてわからない。一倍速で、経験したわけではない、怒りややるせなさなんてわからない。きちがい兄貴の部屋に行って、「こまるからやめろ。勉強するからやめろ」「うるさいからやめろ」とどれだけ言ったって、きちがい兄貴が、無視して鳴らしているときの腹立たしさなんて、つたわらない。ヘビメタが鳴り終わったあと、やらなければならない宿題がまだ残っているときの、むなしさなんて、つたわらない。宿題をしてないけど、眠るしかないと思ったときの、やるせなさがわかるわけがない。そして、眠ろうとしても眠れないときのつらさがわかるわけじゃない。これ、眠れないんだよ。じゃあ、起きて、宿題をしようとしても、できない。脳みその九十九%は、眠ろうとしているのだけど、脳みその一%が、猛烈に反発している状態だ。使い物にならない状態なんだけど、けど、じゃあ、眠れるのかというと、まったく眠れないという異常な状態だ。気を失いかけているのに、どうしても、あとひとつ……一%の脳みそが猛烈に反対している状態だ。ヘビメタ騒音がなかった期間は、そんなことはない。ようするに、十一歳の十月まで、そういう、頭の状態になったことがないのである。特殊な状態なのである。きちがい家族がやる、きちがい的な騒音によってもたらされた「特殊な状態」なのである。こんなの、ほかの人にわかるわけがない。しかも、あびてしまったら、そうなるのである。意志でどうすることもできない。きちがい家族の、特殊な騒音を、あびてない人は、普通の生活ができるので「意志の力」を普通に信頼できるのである。これは、ぼくが、十一歳までは、信じられたことだけど、ヘビメタ騒音がはじまってから「意志の力でどうにでもできる」あるいは「意志の力でどうにかできる」というのは、まったくの嘘だということに気がついた。ほかの人が、意志の力を信じることができるのは、きちがい家族によるきちがい騒音を、十数年間、毎日、経験しなかったから……。ほんとうに、きちがい家族によるきちがいヘビメタ騒音を経験すると、「眠れなくなる」のである。それ自体が、「意志の力ではどうすることもできない」ということの証明なのである。もちろん、ぼくにとって証明だけど……。「そんなことがあるわけないだろ」と思う。「意志の力で、どれだけ、ヘビメタ騒音を浴びせられても、ヘビメタ騒音が鳴り終われば眠れる」……そんなわけがないだろ。そんなわけがない。けど、それは、きちがい的な態度で鳴らし続ける、きちがい的な感覚をもった、きちがい的な家族がいない人には、わからない。実際にそういうことが続かなければ、わからない。わからない。わからない。わからない。わからないとなったら、それは、その人にとって「事実」じゃないのである。「真実」じゃないのである。エイリさんが言っているだけのことなのだ……。その人にとっては……。こんなのはない。ここからして、「誤解」だ。こんなのはない。つかれとか、眠れないとか、そういうことの意味がちがってしまうのである。ぼくだって、きちがい親父にやられながらも、十一歳の九月までは、ヘビメタ騒音なしですごしたので、そういう日常生活における「眠れない体験」がある。けど、それはちがう。ヘビメタ騒音がはじまってからの「眠れない体験」はちがう。ぜんぜん、ちがう。ちがうのだけど、ほかの人にはまったくわからない。だいたい、ほかの人は、ぼくの人生についてそんなに興味がない。なので、その人が持っている「感覚」で「話」を判断する。「他人の話」を判断する。その判断の基準になるのが、自分の経験だ。きちがいヘビメタ騒音にやられた続けたことがない人が、わかるわけがない。あの状態についてわかるわけがない。あの状態が「次の日」にあたえる影響なんてわかるわけがない。みんな、わからないまま、勝手に自分の感覚で判断して、決めつける。「そんなのは、たいしたことじゃない」『影響をうけないという強い意志をもてば影響をうけない」「影響をうけないと言えば、影響をうけない」……などなど。

ふざけんな! 毎日!! なんだぞ!!

毎日!毎日!毎日!

影響がないわけがないだろ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。