2023年1月3日火曜日

効率主義には問題がある

 楽しみ、うんぬんについて言うと、意識的な意志とは関係がないところに、正体がひそんでいる。なので、楽しんだほうが得だから楽しむということは、できない。けど、「楽しんだほうが得だから楽しむ」という意識的な意志をもって、楽しむ人もいるだろう。矛盾しているじゃないか」って? 矛盾してない。ぜんぜんしてない。

 「楽しんだほうが得だから楽しむ」という意識的な意志をもって、楽しもうとして、楽しめる人は、条件を満たしているのだ。条件を満たしているのかどうかということが重要だ。条件を満たしていなければ、「楽しんだほうが得だから楽しむ」という意識的な意志をもって、楽しむということはできない。こういう条件に関して、鈍感な人たちがいる。たしかに、その条件は目には見えないし、主観的なものだというベールをかぶっている。しかし、条件はある。楽しめなくなる人は、楽しめなくなるような経験がたくさんある。本人が、どういうふうに、主観的にそれらの出来事を理解しているかどうかは関係なく、それらの出来事が、楽しめるかどうかを決めてしまう。様々な出来事がつみかさなって、「楽しめなくなっている人」は楽しめない。どれだけ、意識的な意志をもって、楽しもうとしても、楽しめない。そういう人の場合、楽しめないのだから、「楽しんだほうが得だから楽しむ」ということは、まったく意味をなさない。

わかるかな?

法則的なことを言うのは、よくないと思う。法則じゃないのだから。条件を無視して「人間ならこうだ」と言ってしまう。これは、よくない。だいたい、「楽しんだほうが得だから楽しむ」と思って楽しんでいる?人は、楽しんでいない人たちのことを軽蔑する。どうしてかというと、「損得」がわからないようなバカなやつだと思うからだ。「楽しんだほうが得だから楽しむ」と言っている人たちは「効率」を問題にしている。「効率主義」なのである。なので、効率的にまさっているということがわかっているのに、効率的まさっていることをしないという選択をする人が、バカに見えるのである。「楽しんだほうが得だから楽しむ」人から見ると、効率的な問題がわかるなら、効率的に言って、楽しむことを選択するはずなのである。「その単純なことがわからないのはばかだ」という見なし方をするようになる。

けど、この効率主義には問題がある。楽しめない人たちがかかえている条件をガン無視しているのだ。楽しめない人たちがかかえている、過去の出来事と、過去の出来事の影響を無視している。「こういうふう思おうと思えば、思えるはずなのだ。しかし、そういうふう思わず、非効率的なことにこだわっているのは、バカだ」と思ってしまうのだ。バカはどっちか? 範囲を狭めて、その狭い範囲のなかでしか思考しないやつがバカだ。そして、その狭い範囲から、広い範囲を見ることができない。狭くて、低い視点からしか、物事を見ることができない。範囲が狭いから、そう確信しているだけなのに、自分は、「全体」を考えていると思っている。たとえば、「人間全体」を考えていると思っている。「こころの全体」を考えていると思っている。「脳みその全体」を考えていると思っている。だから、バカだ。 

損得勘定では、制御できないから、こまっているのに、「全部のことが損得勘定で制御できる」と思ってるのだ。それは、経験が少ないからそう思えるだけだ。たまたま、ラッキーな場所に生まれて、すごしてきたから、そう思えるだけのことだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。