2023年1月1日日曜日

じつは、普通に生活が成り立つということはすごいことだ

 夢ノートとか、モーニングノートとか、目標達成ノートとか……まあ、ノートを書いているときが、本番で、ノートに書いてあることが現実化されることは、ほとんどない。まあ、日常生活のなかであることを、書けば、もちろん、日常生活のなかであることは、達成できる。けど、それは、書く前から、達成していたことだ。

まあ、いまの時代、夢を現実化したいなら……目標を達成したいなら、まず、ワクチンをうけないということが必要だ。ワクチンをうけたらうけたで、なるべくはやく、自分が納得できるもので解毒するということが必要になる。まずは、それからだ。

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書けば達成できる……というような理論には弱い部分がある。それは、書くというのは、現実のなかのある部分を「カット」して書くということなのだ。ほんとうは、現実のなかで、いろいろな条件に埋め込まれて、生活をしている。じつは、普通に生活が成り立つということはすごいことだ。これは、引きこもり生活でも、なにも夢を現実化してないような状態での生活でも、そうだ。じつは、「普通に暮らす」ということが、ものすごく、むずかしいことなのだ。「普通に暮らすということが普通の状態として成り立っている」……場合、たいして難しいことではないと思うだろう。ところが、病気になってみればわかる。どれだけいろいろなことが成り立っているか? 普通の生活を支えるために、どれだけいろいろなことが成り立っているか、わかるようになる。病気が長引けば、普通に暮らすということがどれだけむずかしいことかわかるようになる。

夢の場合は、……夢の生活について想像する場合は、現実に対処しているようだけど、じつは、現実対処してない。切り取った現実にしか対処してない。切り取った現実しか考えることができない。切り取られなかった現実が、影響をあたえる。切り取った現実……ではない、残された現実のほうが、現実を形づくっている。だから、「夢の生活」はもろくも、崩れ去るか、あるいは、そもそも、到達できない。

なので、夢の生活について想像しているときが楽しいということになる。「残り」を切り取っているから、うまくいかないのである。「残りの現実」が反撃をしてくる。「残りの現実」が存在感をかもしだす。

計画をたてているときだけは、なにかできそうになって、「できそうになった気分」を楽しむことができる。けど、実際に実行するとなると、「無視したはずの」「残りの現実」が、足をひっぱるのであーーる。「無視したはずの」「残りの現実」が、おもみを増してくる。

まあ、「無視したはずの」「残りの現実」があらわれたばあいには、それに関しても「夢ノート」で対処すればいいということになっていると思う。けど、「無視したはずの」「残りの現実」が強敵なのである。こうすれば(Xをすれば)こうなるはず(Yになる)と思っていたのに、そうならなかったりする。ならなかったなら、ならなかった現実が現実だ。計画をたてる段階……夢を見ている段階では……多数のことに関してこうすれば(Xをすれば)こうなるはず(Yになる)と思って無視しているのである。けど、こうしても(Xをしても)こうならない(Yにならない)現実が多数しょうじることになる。こうしても(Xをしても)こうならない(Yにならない)現実に対峙することになる。これは、わりと、日常生活の根幹を形成している部分だ。複数ある。ありすぎるほどある。計画の段階?では、無視していた現実が現実になる。

なので、映画のように終わってしまう。本人がつかれて、関心をなくしたら、それでおしまいだ。で、つかれがとれたころに、思い出して、もう一度やってみるということになる。けど、この場合も、おなじように、ほんとうは無視できない多数の現実を無視して、計画をたててしまう。なので、「現実」から反撃をくらう。「まるで思ったとおりにならない」「まるで夢が現実化しない」ということになる。で、これの繰り返し……。

本棚に、夢を現実化する方法に関する本がたまるけど、実際にはおなじところをぐるぐるまわっているだけで、平凡な日常が続く。けど、その平凡な日常を維持することさえ、ほんとうは、ものすごく難しいことなのである。

まあ、ぼくの本棚には、その手の本がないけどね。これは、すてたからないのではなくて、最初からない。けど、どんなことが書いてあるのかなと思って、図書館で読んだことはある。だから、内容は、知っている。

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とくに、意識しなくても、日常生活のなかに「夢」の部分が含まれているというのが、のぞましい。まあ、目標達成ノートや夢ノートを書くというような現実も、悪くはない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。