むかし、精肉加工・なんとかハム工場のバイトをしたことがある。
おなじ時期にバイトに入った人をAさんとしておく。正社員の人をBさんとしておく。
基本、ぼくが、ヘビメタ騒音で、ジョーーダンやギャグに反応できなくなったという話だ。
ぼくが、正社員の人から、ある場所の仕事を指定されて、バイト仲間のAさんが別の場所の仕事を指定された。で、ぼくが指定された場所の仕事(Xの仕事)が、いやだったんだよ。苦手だったの……。
で、社員のBさんがいなくなったときに、なんか、ちょっと、バイト仲間のAさんと話をする時間があり、そのときに、バイト仲間のAさんに、「この指定された場所の仕事(Xの仕事)はいやだな」と(ぼくが)言ったわけ。
そのあと、ぼくが、「別の場所(Yの仕事)」の仕事を任されたわけ。
でっ、「別の場所(Yの仕事)」の仕事は、楽だった。
ところが、「別の場所(Yの仕事)」の仕事から、また、「前のいやな仕事場所の仕事(Xの仕事)」に移動させられたわけ。
そうしたら、ぼくが、その仕事(Xの仕事)をきらっているということを知っている、バイト仲間のAさんが……大阪漫才のようなノリでぼくのほうを指さして、大げさに笑うアクションを(何回も)したわけ。
で、そのとき、社員のBさんが、ぼくに「なんで、あいつ笑っているの」と訊いたわけ。でっ、ぼくは、説明する気になれず、「知りません」とこたえた。
「ぼくがその場所の仕事(Xの仕事)をいやがっている」ということを、社員のBさんに説明するのがいやだったのだけど、その話をしないと、どうして、バイト仲間のAさんが、ぼくのことを、見て大げさに笑っているのかを、説明できないのだ。
バイト仲間のAさんとしては、これまた、大阪漫才のようなノリで「うるさいなぁ。笑うな。ぼけーー」みたいなリアクションがほしかったみたいなんだよな。「いらん・いらん」という感じで、手をピピっとふるようなアクションがあればもっとよかったのかもしれない。
ともかく、Aさんとしては、そういう感じのアクションを返してほしかったのだと思う。
けど、ぼくは、ヘビメタ騒音でつかれまくっていて、そんな元気がないのだ。
これ、もう、小学六年生のころから、ヘビメタ騒音が毎日、鳴って、そのときは二一歳ぐらいだったので、一〇年間ぐらいずっと、ヘビメタ騒音を鳴らされていたということになる。早生まれなので、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らし始めたとき、ぼくは一一歳だった。
なので、一日でも大変なヘビメタ騒音が、一〇年間毎日積もっていたので、そんな状態ではないのだ。
「こころがおちる」というのがある。
これも、「どれだけつかれていても元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってくる相手にはわからないことなのだけど、ほんとうに、一日でも、「こころがおちる」のである。
それがずっと毎日続いていたのだから、落ちまくりなのである。まあ、ともかく、もう、ヘビメタが鳴り始めて、何年間もたつと……基本、相手の冗談やギャグに対応できなくなってしまうのである。
それから、「どれだけ、つらいことがあっても、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」ということを言う人たちには、わからないことなのだけど、明るくふるまっても、いいことがないのである。これ、ちがうんだよ。きちがいヘビメタ騒音がはじまるまえの「不幸度」「いやなことが起こる頻度」と、きちがいヘビメタ騒音期間中と、きちがいヘビメタ騒音後の「不幸度」「いやなことが起こる頻度」があまりにもちがいすぎるのである。
きちがい親父がきちがい行為をするので、ヘビメタ騒音がはじまるまえから「不幸度」が普通の人よりも、高い状態で暮らしていた。
けど、それでも、冗談やギャグには普通に対応できていたのである。「こころがおちて、冗談やギャグに反応できない状態」ではなかった。
それが、きちがいヘビメタ騒音の連続で、くだけちって、反応できない状態になったのである。
ほかの人が言う……言霊的な発言だって、ヘビメタ騒音がはじまるまえなら「そうですね」ぐらいの反応はできた。
言霊的な発言をする人は、ヘビメタ騒音前のぼくの感覚で生きているのだと思う。
これ、ほんとうに、ちがうんだよ。そして、不幸でも明るい言葉を使って、明るくふるまえば……(運があがって)……いいことがある……というような(考え方)も、ぜんぜん、成り立たなくなってしまうのである。
これも……この感覚も、きちがいヘビメタ騒音以前の状態とおなじレベルで暮らしている人には、わからないと思う。
けど、言霊主義者や普通の人は、みんな「自分だって苦労した」ということを言うのである。それは……「不幸でも明るい言葉を使って、明るくふるまえば……(運があがって)……いいことがある」……というような(考え方)を保持できるような苦労なのである。
そういうレベルの「いやなこと」なのである。
基本的には……「明るい言葉を使って、明るくふるまえば……(運があがって)……いいことがある」という考え方は間違っている。これ、条件を無視している。「運があがって」という部分を入れて書いたけど、明るい言葉を使って、明るくふるまえば、いいことがあるとは、言えないのだ。
一〇〇%詐欺になってしまう。たとえ、「明るい言葉を使って、明るくふるまったらいいことがあった」としても、明るい言葉を使って、明るくふるまえば、いいことがあるとは、言えないのだ。いいことがない場合だってあるし、悪いことが起こる場合だってあるのだ。
法則性があるようなことを言うべきではない。