たとえば、ガンになった人は「ガンになる」と、言ったから、ガンになったのか。
ちがうね。
言霊主義者が言っていることが正しいなら「ガンになる」と言って、ガンになったということになる。ところが、多くのガン患者が「ガンになる」と言わなかったにもかかわらず、ガンになったのである。
もう、この時点で、言霊理論が間違っているということがわかる。
ガンではないときに「俺は、ガンになるぞ」と突然思って、「俺は、ガンになる」と言ったから、ガンになったのか?
ちがうね。ほかの原因で、ガンになっている。言ったからガンになったのではなくて、ほかの原因でガンになっている。
ガンだけではない。ほかの病気にもあてはまる。
「なんとか症」というような場合でも、あてはまる。 なんとか症ではないときに、「なんとしても、わたしは、なんとか症になる」と言って、なんとか症になったのか?
ちがうねーー。
言ったから、なんとか症になったのではないのである。
だいたい、言ったから、なんとか症になるという理論が正しいなら、なんとか症になった人は、みんな、過去のある時点において「わたしはなんとか症になる」と言ったということになる。
そして、ほかの原因ではなくて「言った」ということが、原因でなんとか症になっていなければならないということになる。
なんとか症になると言わなかった人が、なんとか症になっている時点で、言霊理論は間違っているということがわかる。
間違ったことを言って、ほかの人を不幸にするのは、よくない行いだ。言われたほうは、「気になる」場合がある。
その場合、言われなければ、発生しなかった「不安」がしょうじる。これが悪いことでなくて、なんだ?
* * *
たとえば、ガンになりたい人が、「自分はガンになる」と言ったあと、発がん性があるとされる食べ物をいっぱい食べて、ガンになったとする。言霊主義者は、発がん性があるとされる食べ物をいっぱい食べたということは、無視して「自分はガンになる」と言ったから、ガンになったのだと考えてしまう。
これは、恐怖をさそう考え方なのである。これは、感じ方でもある。
ようするに、そういうふうに言うと、なんだかわからない神秘的な力によって、そうなってしまうという危惧あるのだ。これが、猛烈に強くあらわれると、ある種の神経症になる。
言ってしまったということが、気になるということや、言わないように気をつけているけど、言ってしまうかもしれないという不安が(頭のなかを駆け巡って)消えないということになる。
これは、人間の脳のしくみだ。
理不尽なことが起こる……ということについて、なんらかの「原始的な」理由をつけないと、安心できないのだ。「脳のしくみ」が……これまた……「言ってしまうのではないか」というような不安を引き起こすのである。
* * *
逆に、たとえば、「このくらいジュースを飲んだって、糖尿病にならない」と思って、ジュースを飲んでいたのだけど、ある日、会社の健康診断で糖尿病の疑いがあるということが指摘され、実際に検査をしたら糖尿病だったことが明らかになったということについて考えてみよう。
「このくらいジュースを飲んだって、糖尿病にならない」と思っていたのに、糖尿病になったのである。これは、言霊ではなくて、思霊なのだ。思霊理論に従えば「思ったことが現実化される」ので「糖尿病になる」と思った人が、糖尿病になるのである。
どうして、「このくらいジュースを飲んだって、糖尿病にならない」と思った人が、糖尿病なるのか? この場合、ジュースを飲みすぎたから、糖尿病になったのである。
「自分は糖尿病になる」と思わなかったのに、糖尿病になった。
思霊理論も、間違っている。
思ったことが現実化するなら、「糖尿病になった人」は、みんな、過去のある時点で「自分は糖尿病になる」と思ったことがあるということになる。
ところが、多くの糖尿病の人は、「このくらいなら大丈夫だ」「自分は糖尿病にならない」と思っていたのに、糖尿病になったのである。
糖尿病になろうと思っても、糖尿病になるような具体的な物理的な理由がないと、糖尿病になれないのである。
ガンの場合もおなじだ。
どれだけ「ガンになるぞ」と頑張って言ってみても、ガンになるような具体的な物理的な理由がないと、ガンになれないのだ。