なんか、ぎりぎりのことろで、生きている感じがする。そして、けっきょく、歳をとる。さきのばしにしても、根本的な解決にはならない。
そして、ヘビメタ騒音の結果、人間関係が切れてしまったので、だれに話せるわけでもないのだ。まあ、ヘビメタ騒音に関する、ほかの人の理解というのは、いたいほど、わかっている。
いたい。いたい。
だれも、けっきょくは、わかってくれなかったんだよな。
ごく少数の人が理解を示してくれたけど、それだって、時間がたてばかわるかもしれない。ほんとうに、ヘビメタ騒音の問題はでかいけど、ほかの人には、でかさがわからない。
自分で、一倍速で経験したわけではないからだ。
そうなると、ぼくが、「勝手に」ヘビメタ騒音の問題にこだわっているように思えるのだ。
実際に経験している人と、実際に経験していない人の差はでかい。
この感覚の差は、うめられない。長期間にわたって、ぼくがヘビメタ騒音のことについて言えば、最初は理解を示していた人だって、だんだん、いやになってくるだろう。
けど、じゃあ、ぼくにとってヘビメタ騒音の問題が、無視できるレベルの問題かというと、そうではないのだ。「今現在」も、なまなましい問題なのである。
そして、時間の経過では、ふさがらない傷を負った。時間がたてば治ると思っている人たちばかりなのだけど、時間の経過が、傷口をひろげることだってあるのだ。
まるでわからないと思うけど。
ぼくにとって、ヘビメタ騒音の問題というのは、終わった問題じゃない。ヘビメタ騒音の効力がなくなったわけではないのだ。
ヘビメタ騒音の「影響」がなくなったわけではないのだ。
そりゃ、きちがいヘビメタ騒音で、勉強することがまったくできない中学生生活、高校生生活をおくれば、職業選択に影響を与える。ほかの人の評価に影響を与える。
そりゃ、きちがいヘビメタ騒音で、睡眠回路を破壊されれば、職業選択に影響を与える。ほかの人間関係に影響を与える。
今現在の問題なのである。