時間通り、歯医者に行けそうだけど、憂鬱。憂鬱。だるい。腹がしくしくする。めんどうだな。これで、歯医者を治療がおわれば、すっきり爽快というわけではなく、帰ってきたあとも、だるいまんまだと思う。
しかたがない。ヘビメタ騒音で、憂鬱になった。ヘビメタ騒音で人生、ボロボロだ。俺は、最大限の努力をしたけど、けっきょく、それも、憂鬱の一因になっている。
ヘビメタ騒音がない世界に行きたい。ヘビメタ騒音がなかった人生を歩みたい。
ヘビメタ騒音がなかった人生……。
ヘビメタ騒音がなければ、普通に勉強することができて、普通に眠ることができた。親父は問題だけど、ヘビメタ騒音がない状態で進学して就職すれば、『親父重力圏』から抜け出すことができた。
まあ、俺が小さなころ……きちがい親父がやったことというのは、ゆるせないけどね。
ともかく、きちがいヘビメタ騒音生活が問題なんだよ。きちがいヘビメタ騒音生活の積み重ねが問題なんだよ。普通の人には、きちがい兄貴がいないので、普通に生活することができた。
だから、健康な体と、健康な精神を維持できる。きちがいヘビメタを、毎日やられて、それで、健康な体が維持できるわけがない。
どうしたって、だるくなる。
きちがいヘビメタを毎日やられて、それで、健康な精神を維持できるわけがない。どれだけ無視したって、どれだけ影響を受けないように努力したって、影響を受ける。
やられていない人は、影響がないから、影響を無視できるだけ。実際にやられたことがないので……影響を受けていない。影響を受けていないから、(話として聞いた)影響を無視できるだけ。
「できると言えばできる」なんてことはないのだ。「無理だというから無理なんだ」……。ちがうね。ヘビメタ騒音で、勉強することができなくなった。
ヘビメタ騒音が鳴っていないのに「勉強することができない」と言って勉強することができなくなったわけではない。「元気だ元気だと言えば元気になる」……。
ちがうね。
ヘビメタ騒音が鳴っているから、不健康になるのである。
ヘビメタ騒音が毎日毎日ずっと鳴っていたから、元気じゃない状態になったのである。
ヘビメタ騒音が鳴っていないのに、「不健康になる」と突然言って、「不健康になる」と言ったから、不健康になったわけじゃない。
状態がある。
状況がある。
環境がある。条件がある。ヘビメタ騒音という条件が、ぼくの体を破壊した。ぼくの「体の機能」を破壊した。ヘビメタ騒音のストレスでいろいろなところが悪くなった。
自分がきらいな音に、(ぼくとおなじ程度、さらされなかった人が)きらいな音が、爆音で、長時間鳴っているということの影響を無視して、言っているだけ。
* * *
ただ歯医者に行くだけなのに、こんな状態になってたらダメだよなぁ。腹がしくしくする。体がだるい。
ヘビメタ騒音プラスの日常生活というのは、残業をしているサラリーマンの一〇〇倍ぐらいくるしい生活なのだ。
ヘビメタ騒音プラスの日常生活で、そのくらい、追い込まれる。
毎日ずっと、何年間も何年間も続いたら、そりゃ、影響を受ける。
不可避的な影響を受ける。
不可逆的な影響をける。
しかたがない。
それは、体のしくみによっ引き起こされることなのである。
言葉で書き換えれば、その通りになるというものではない。でたらめを言っているのは、言霊主義者のほうなのに、社会では、言霊主義者がでかい顔をしている。
こっちが間違ったことを言っているような感じになる。
これも、ストレスだ。
ともかく、一定時間、一定日数をこえると、不可逆的な影響を体に及ぼすようになる。
「騒音」が、不可逆的な影響を体に及ぼすようになる。
たまたま、きちがい的な兄がいなかった人が、『自分なら平気だ』と思って、好き勝手なことを言ってくる。
「あまえだ」「いいわけだ」「ネガティブだからダメなんだ」と言ってくる。
ただ単に、俺とおなじレベルの騒音生活をしなかっただけなのに、えらそうに言ってくる。
そりゃ、きちがい家族が、毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も騒音攻撃をしてくれば、ネガティブにもなる。
憂鬱にもなる。
体がだるくなる。
頻尿になる。
忘れ物が多くなる。
遅刻しがちになる。
宿題をやっていけない状態になる。なる。なる。なる。
こいつらは、たまたま、きちがい家族がいなかったから、きちがい家族がもたらす、常識外の騒音にさらされることがなかっただけなのだ。
こいつらが経験した騒音というのは、常識内の騒音だ。ぜんぜんちがう。
ところが、こいつらは「自分だって騒音ぐらいあった」と言って、同量化、同質化してしまう。
ぜんぜんちがうのに、わかっていない。
* * *
ヘビメタ騒音で、つらい状態になってしまう。ヘビメタ騒音の後遺症で、つらい状態になってしまう。
基本、つらい状態で暮らしている。
だれに言っても、しかたがない。
天使のような女性があらわれても、たぶん、救われない。
けっきょく、くるしい状態のまま生きていくしかないのか。
ヘビメタ騒音で日常生活がつらくなるプロセスというのがある。ヘビメタ騒音で日常の時間がつらくなるプロセスというのがある。
どれだけ、やっても、つらかったな。
どれだけい改善しようとしても、つらかった。
つらい状態がつみかさなっていくだけだ。
つらい時間がつみかさなっていくだけだ。
つらい時間がつみかさなると、つらい状態になる。
改善しようとしても、けっきょく、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、よそのうちでは鳴らせないようなでかい音で、きちがい的な騒音を鳴らしている状態がかわらない。
騒音のほうの状態がかわらないと、こっちがどれだけ改善しようとしても、だめだったのだ。
改善しようとしてもがけばもがくほど、きちがいヘビメタにやられる度合いが強くなる。
改善しようとしても努力すれば努力するほど、ストレスが強くなってしまうのである。圧力が高くなってしまうのである。疲労の度合いが、強くなってしまうのである。
じゃあ、改善しようと努力しなければよいのかというと、そうではないのだ。改善しようと努力しなくても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音ストレスが、マックスなのだ。上限を超えている。
上限を超えているところで、こっちが、どれだけ努力をしても、上限を超えているわけだから、徒労に終わるのである。
こういうことを、自分の体で理解していないやつが、クソを言ってくる。妄想的なクソ発言をしやがる。
「実際に、きちがい家族にやられていない人たち」が、ストレス、圧力、疲労の度合いを無視して、無理なことを言ってくるようになるのである。