2026年8月31日月曜日

●無職である人のなかにも、いい人と悪い人がいる■社会※2026/08/31 5:16

じつは、無職やひきこもりに偏見をもっている人は、偏見の内容に従って、無職である人やひきこもりである人に対して、悪口を言っていることになる。

ところが、悪口を言っている本人は、別に悪口を言っているとは思わないのである。こういうことが、起こりえる。

じゃあ、まあ、無職ほうから、話をはじめよう。

無職である人のなかにも、いい人と悪い人がいる。条件が悪いので、悪い出来事が発生し続けて、無職にならざるを得ない人がいる。

この人たちは、悪い人ではないのである。

ただ、いろいろな不幸が重なって、仕事ができない状態になっているので、無職であるだけなのである。

ところが、無職に対して偏見がある人は、偏見の内容に従って、その人の人格を判断して、その人はこういう人であると決めつけてしまうのだ。

その「この人はこういう人である」という内容と、現実のその人の内容が、食い違う場合がある。ステレオタイプで、決めつけるわけだから、ステレオタイプで決めつけたことになる。

ようするに、無職であれば、一〇〇%の人が、悪い人になるのである。

たとえば、Aさんは無職に対して偏見があるとする。

そうすると、一〇〇%の無職の人が、その偏見の内容の通りの人だとAさんは見なしていることになる。

ところが、無職というのは、ただ単に、無職であるということを示しているだけなのである。Aさんがもっている偏見の内容を、すべての無職の人がもっているわけではないのである。

ところが、Aさんは、どの無職の人を見ても、「こういう人である」と決めつけてしまう。

おなじことが、ひきこもりにも成り立つ。ひきこもりに対して偏見がある人は、偏見の内容に従って、その人の人格を判断して、その人はこういう人であると決めつけてしまうのだ。

ところが、ひきこもりというカテゴリーに属している人?のなかには、どうしようもない理由でひきこもりになった人もいるのだ。

ようするに、ひきこもりというのは、単なる属性の問題であり、「偏見の内容」のような「性質」もっているということを保証するものではない。

ところが、すべてのひきこもりが、「偏見の内容」のような「性質」をもっていると偏見がある人は、決めつけてしまうのである。

たとえば、Bさんはひきこもりに対して、偏見があるとする。そうすると、一〇〇%のひきこもりの人が、その偏見の内容の通りの人だとBさんは見なしていることになる。

ところが、ひきこもりというのは、ただ単に、ひきこもりであるということを示しているだけなのである。Bさんがもっている偏見の内容を、すべてのひきこもりの人がもっているわけではないのである。

ところが、Bさんは、どのひきこもりの人を見ても、「こういう人である」と決めつけてしまう。 

くそおろかなことをしているのは、AさんやBさんだ。

ちょっとは、自分の偏見について考えたほうがいい。 

*     *     *

たとえば、ぼくに対して「おまえだって、言霊主義者に偏見を持ってるじゃないか」と思う人がいるかもしれない。

しかし、それはちがう。

まず、ぼくにとって、言霊主義者というのは「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人なのである。

だから、言霊主義者であれば一〇〇%の人が、「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人だということになる。

これで、間違いがないのである。そして、「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」という理論は間違っているのである。

なので、間違っていると言っているだけだ。偏見ではなくて、言葉の定義の問題だ。「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人のことを言霊主義者と言っているのだから、一〇〇%の関係が成り立って、あたりまえなのである。

2026年8月30日日曜日

●これが……ぼくが経験した世の中だ■社会※2026/08/30 8:27

きちがい兄貴にとって、なんでもないことで、ほかの人たちにとっても、なんでもないことだ。あれが……。あれが……。あれが……。

ほんとうに、ひどい世の中だな。 

丼だけひどい空間か、みんな、わかっていない。影響、受けるにきまっている。鳴っているあいだも、鳴らされたあとも、影響を受ける。

鳴り終わったあと、勉強しようとしても、無理なんだよ。

さんざんやろうとしたけど、無理だった。

体が、影響を受けている。あの音の、打撲が、どういうものだか、わかっていない。

「影響を受けずに過ごす」というのが無理なことなのに、ほかの人には、「無理なことだとは」思えない。

実生活として、一日二四時間、影響を受けている生活になる。勉強、鬱感情、怒りの感情、やる気、その他普段の精神(心の状態)……影響を受けるにきまっている。

影響を受けないで暮らすということが、無理なことなんだよ。けど、実際に体験したことがないやつらが……否定する。

言霊主義者なんて「無理だというから無理なんだ」「できると言えばできる」と言う。こいつらはこいつらで、正しいことを言っているつもりだから、ゆずらない。

実際に経験していないから、わかっていないだけなのに、自分ならできるという前提で、えらそうなことを言ってくる。

無理なことを言ってくる。

無理だということを説明すると……「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」「気にしなければいい」「こだわらなければいい」「言い方が悪いから現実化しない」「こころをこめて言えば、現実化する」という返事が返ってくる。

これが、どういうことなのか……言霊主義者は理解しない。

こっちには、ほんとうのきちがいヘビメタ騒音生活がある。騒音生活でこまっている。きちがい兄貴がきちがい兄貴だから、まったく気にしない。

どれだけ言っても、まったくなにも伝わらない。

きちがい回路で、遮断して、事実を認めない。きちがい回路で遮断して、はねのけてやりきれば、本人のなかでは、やっていないことになってしまう。

こんなの、きちがい家族と一緒に暮らしていて、きちがい家族の行為によって、実際にこまらされている人にしか、わからない。

けど、きちがい兄貴の認めない態度と、言霊主義者の認めない態度は、ちょっとだけ似ているのである。似ているんだよ。

普通の人の発言というのは、言霊主義者の発言から、言霊的な発言をのぞいたものだ。たいしてかわりがない。普通の人の態度と言霊主義者の態度は、まったくおなじだ。

しかも、こいつらは、ヘビメタ騒音の影響は認めないけど、ヘビメタ騒音が鳴っていた(なっている)と言うことは、認めたやつらだ。ヘビメタ騒音の話自体が嘘だとは思っていない。

普通の人のなかには、ヘビメタ騒音の話自体が嘘だと思うやつらが、相当にいる。こいつらの感覚と、きちがい兄貴の感覚のズレなんだよね……。

嘘であるなら、俺が、兄貴の悪口を言っているということになる。実際には、そんな音でヘビメタを鳴らしていない兄貴の悪口を(ぼくが勝手につくって)言っていると、こいつらは、思うのだ。

判断するのだ。

こんなの、ない。こいつらになにを言っても、認めない。

俺が嘘を言っていると思うだけだ。

 

こんなやつらばかりなんだよ。実際にやられてきついのに、こんな一般人にたたられることになる。口癖だ……健康管理だ……自己責任だ……と、こいつらのなかの、普通の人たちが、せめてくる。

ただ単に、実際にやられていないから、わからないだけなのに、こいつらも、えらそうだ。

こんな、幼稚で、思考力がないやつらが、(自分はエイリより上だ)という前提で、クソを言ってくる。 

これが……ぼくが経験した世の中だ。

●「おカネをもっている人間は、働かなくてもいい」■社会※2026/08/29 17:48

「おカネをもっている人間は、働かなくてもいい」ということについて考えてみよう。「人間は働くべきだ」という文の中には、おカネと条件が含まれていないのだ。

ところが、人々が「人間は働くべきだ」ということを考える場合、だれか対象となる人がもっているおカネの量は重要な条件になっている。

こういう重要な条件が「XはYするべきだ」という言い方から、はぶかれているということは、じつは、重要なことだ。こういう重要な条件が「人間は、Yするべきだ」という言い方から、はぶかれているということは、じつは、重要なことだ。

見えない条件になっているのである。

そして、見えない条件が(実際には)いろいろなところで、効力を発揮しているのに、あたかも、効力を発揮していないように考えられてしまうのだ。

見えない条件と書いたけど、実際には、見えない条件がもたらす、個々人の値だ。この場合は、資産額のちがいという条件がもたらす、個々人の値だ。人によって資産額がちがうのであれば、その値が、個々人の値になる。

実際には、条件ではなくて、条件の値が、効果を発揮している。

けど、条件の値のちがいを、単に条件と言う場合もある。

値と言ったけど、数値化できないこともある。数値化できない(条件がもたらす現実的なちがい)も値ということにする。まあ、たまたま、資産額だから、「値」が数値になるのだけど、そうではない場合のほうが多い。

意味合いのほうが重要なのだ。

値という言葉を使うべきではないんだな。まあ、条件と言っておこうか。

けど、ほんとうは、出来事が実質的な意味合いをもっている。条件によって、おこる(だろう)出来事がかわってくるのである。 

たとえば、父親の性格がいいか悪いかということについて考えてみよう。この場合は、父親の性格が「条件」であり、「性格がいい」場合は「性格がいい」という値をもち、「性格が悪い」という場合は「性格が悪い」という値をもつことになる。この場合「いい」と「悪い」の二値しかない。

しかし、性格がいいとか、性格が悪いというのは、実際の出来事から、推測されることなのである。一人の人について、「性格がいい」とか「性格が悪い」という判断は、あまりにも、大雑把すぎる。ここでも、分野や実際の条件がかかわってくる。

ある条件下では、こういういい反応をするけど、ある条件では、こういう悪い反応をするというようなことが、実際にある場合、それが、データになる。

けど、これは、出来事から、(そういう分野の)性格を推測しているにすぎない。

言いたいことは、「値(あたい)」と書いたけど、これは、数値だけではなくて、質を意味しているということだ。

数値である場合は、数値にした質や、数値の質について考えているということになる。資産額は数値だけど、父親の資産額が同一であった場合、(同一資産額の)父親が、カネに関して、おなじ行動をとるわけではない。

だから、数値として切り取った場合は、数値として切り取っただけなんだということになる。数値として切り取ったときに、「質」を犠牲にしている。

これは、しかたがないことだ。試験(テスト)でもおなじことが言える。試験では、はかれる能力しかはかっていない。

*     *     *

話を元にもどそう。

「人間は働くべきだ」という文の中には、おカネと条件が含まれていないけど、じつは、おカネという条件は、人間の「人間は働くべきだ」という考え方に影響を与えている。

たとえば、定年退職者が「自分は、もう、じゅうぶんに働いたから、働く必要がない」と考えているとき、じつは、「じゅうぶんに働いて、じゅうぶんなカネをためたから、もう働く必要がない」ということも考えているのではないかと思える。

ほんとうは、「じゅうぶんに働いた」ということと「じゅうぶんなおカネがある」ということは、ちがうことだ。だから、別々に語られるべきなのだ。

ところが、「じゅうぶんに働いた」ということが「だから、自分には、じゅうぶんな資産がある」ということを意味していることがある。

過去においてじゅうぶんに働いても、今現在、じゅうぶんなカネがないなら……働かなければならないと考える場合がある。

この場合は、「人間は働くべき」だから「自分は働く(べきだ)」と考えているわけではなくて、「人間は働くべきかどうか」に関係なく、自分は、カネがないから、働かなければならないと考えているわけだ。

過去において、じゅうぶんに働いても、おカネがない場合はある。さらに、借金がある場合だってある。

だから、「じゅうぶんに働いたから、もう、働かなくてもいい」と言う場合にも、じつは、背後に「働いた結果、じゅうぶんにカネがあるから、もう、働かなくてもいい」という意味がかくれている場合がある。

本人が、どっちの意味で「じゅうぶんに働いたから、もう、働かなくてもいい」と言っているのかは、わからない。本人も、区別をしていないかもしれない。

いずれにせよ、人には「人間は働くべきだ」と言っているのだから、「自分は、もう、働かなくてもいい」と言うことは、避けるべきだ。自分が人間ではないのであれば、別だが、人間である場合は、どちらかに絞って言うべきなのだ。

そして、両方ともいう場合は、自分の言っていることが相互に矛盾しているということについて、考えるべきだ。

矛盾したことを言って、ぜんぜん認めない人がいる。

「人間は働くべきだ」と言っている場合も、人間という集合に入る人間は、すべて働くべきだと言っているということに気がつくべきだ。そういうところに、あいまいな部分があり、あいまいな部分が、さまざまな問題を引き起こしている。

人間という範囲を考えるなら、「人間は働くべきだ」という文は、一〇〇%構文の文なのだ。だから、他人に言う場合は、今まで説明したような問題がしょうじる。

「自分は人間だけど、自分だけは例外だ」と考えている時点で、矛盾を抱えていることになる。 

*     *     *

ほかの人に「人間は働くべきだ」と言っているときは、倫理に関係することについて語っているのである。ところが、「自分がおカネを貯めたら、退職する」ということになっている場合は、「おカネの額」の問題になっているのである。

ようするに、資産額の問題になっているのである。

「じゅうぶんに働いたから、もう働かなくていい」というのは、おカネをためれば、倫理の問題なんて関係なく、働かなくてもいいということになってしまうのである。

人にものを言うときは、倫理の問題として語って、自分がいざ退職するだんになると、倫理の問題は関係がなくなってしまうのである。

退職者が、自分は無職なのに、他人に「人間は働くべきだ」というのは、よくないことだ。自分というのは、人間なのだ。言っていることが、矛盾している。

倫理の問題なのか資産額の問題なのか、自分のなかではっきりさせたほうがいい。

そして、「人間は働くべきだ」と思っているので、自分は、ずっと生きているあいだは働く……つもりだという人は、ほかの人に「人間は働くべきだ」と言わずに、そうすればいいのである。


けど、他人は関係がない。 

自分が退職したあとに、「人間は働くべきだ」と他人に言うのは、よくない。じつは、自分が働いているときも、他人に対して「人間は働くべきだ」と言うべきではない。どうしてかというと、他人に言っているときは……倫理の問題にすりかえているからだ。

ほんとうは、金額の問題なのである。

資産額の問題なのである。

ところが、倫理の問題にすり替えている。

人間は働くべきだと言うことによって……『他人が働かないのは、けしからん』と思っているということを、表明しているのである。

ところが、じつは、資産額の問題なのだ。

こういうところで、本人のことなのに、本人がよくわかっていないことを言うのはよくない。問題のすりかえがある。

自分が、倫理的な問題を考えて、『人間は働くべきだ』と思っているのであれば、死ぬまでずっと、本人(自分)が働けばいいだけだ。.

自分が……『人間は働くべきだ』という倫理観をもっているので、自分は!死ぬまで働き続ける……。それでいいじゃないか。自分の倫理観に従って生きるということは、たいせつなことだ。

他人のことは、関係がないはずだ。

他人は『人間は働くべきだ』と考えていないかもしれない。

他人は『資産がじゅうぶんにあれば、働かなくてもいい』と考えているかもしれない。

他人は、『じゅうぶんに働いたなら、働かなくてもいい』と考えているかもしれない。

他人が「じゅうぶんに働いたかどうか」ということを決めるのであれば、じつは、勤続年数は関係がない。働いた年数は関係がない。他人(本人)が『じゅうぶんだ』と思えば、じゅうぶんなのである。 

2026年8月29日土曜日

●「人間は働くべきだ」という考え方を放棄するべきなのである■社会※2026/08/29 7:42

 Aさんがいたとする。Aさんは、働いている。

Aさんが働ているときに、Aさんは「人間は働くべきだ」と他人に言った。

Aさんが、定年退職して、無職になったとする。

Aさんは、人間なのに、働かなくなってしまったのだ。

Aさんは、人間だから、働くべきだ。

自分が、他人に対して、「人間は働くべきだ」と言ったのだから、もちろん、Aさんは、死ぬまで働くべきだ。

ぼくには、Aさんが人間に見える。実際、人間なのだろう。

だったら、Aさんは、Aさんの考えに従って、働くべきだ。ところが、「自分は、もう、じゅうぶんに働いたから、いい」と言って働かないのだ。「自分は、もう、じゅうぶんに働いたので、働く必要はない」と考えているようなのだ。

それなら、「人間は働くべきだ」という考えを放棄したのかというと、そうではないのだ。

Aさんは、「自分は働かなくてもいい」と考え、「自分は人間である」と考え、「人間は働くべきだ」と考えているのだ。こんな矛盾した思考がAさんのなかには成り立っている。

*     *     * 

Aさんが、働いているとき、なんとか病という病気になったとする。そうしたら、「Aさんは、自分はなんとか病という病気だから、働けない」と言い出す。

自分の場合は、「ちゃんとした理由があるから、自分は、人間だけど働かなくてもいい」ということになるのだ。

しかし、「人間は働くべきだ」という考え方を否定しているのかというとそうではなくて、「人間は働くべきだ」と考えたままだ。

ようするに、自分は例外だけど、人間は働くべきだと考えいるのだ。

しかし、自分が人間である以上、自分が例外だとしても、「人間は働くべきだ」という言い方は、放棄しなければならない言い方なのである。

だいたい、「人間は働くべきだ」という言い方には「自分は例外だけど」という言葉が入っていない。これは、「自分は例外だけど」という条件が入っていないということになる。

条件が入っている言い方で言うか、条件が入っていない言い方で言うかということは、重要なことなのである。

ところが、Aさんは、いい加減な人間で、まともなことが考えられないので、重要なことを無視してしまう。

*     *     * 

相手の理由を理由として認めないのであれば、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」と言うことができるのである。自分の理由の場合は、理由として認めるのである。

しかし、相手の理由は、理由として認めない。

きちがい的な家族によって、きちがい的な騒音を浴びせられる日々が一〇年以上続いたので、働けなくなったという理由に関しては、Aさんは理由として認めないのである。

エイリが言う、理由は、理由として認めないのである。

この、理由として認めないということを、言わずに、なおかつ、理由として認めないという意思表示をすることができる言葉が、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」という言葉なのだ。

*     *     * 

働けない理由については「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」とかえす方法のほかに「(理由に)こだわるからダメなんだ」「(理由を)気にするからダメなんだ」とかえす方法もある。

これも、けっきょく「(それは)理由にならない」と思っているということを意味しているのである。

相手の理由を、理由として認めないという態度がある。

そういう態度のあらわれが 「(理由に)こだわるからダメなんだ」「(理由を)気にするからダメなんだ」という言い方だ。

*     *     *

働けるか、働けないかということについて、自分が相手の理由を認めるかどうかということが重要なのだ。

きちがいヘビメタ騒音の場合は、とてつもなく特殊なので、多くの人が、働けない理由として認めなかった。これは、きちがい兄貴がやったことが、きわめて特殊だから、多くの人が、自分の身で体験したことがないことなのだ。そうなると、自分の身で体験したこととは、理解度がちがってくる。自分の身で体験したことではないので、長期間続く、特殊な騒音の影響を理解しない。

「通勤ができなくなる(通勤して働くことができなくなる)」ということについて、多くの人が理解できないので、多くの人の頭のなかで、「ヘビメタ騒音は、通勤ができなくなる理由ではない」ということになっていたのだ。

*     *     * 

人間のモデルを考えよう。「モデル」だ。

このモデルは、自分のことに関しては、自分の認知とメタ認知が(時系列的に)成り立っているので、自分の理由に関しては、「働かなくてもいい理由になる」と考えるとしよう。

そして、自分の場合は「働かなくてもいい理由があるから」働かなくてもいいと考えるのだけど、自分は人間であるという考えも放棄しないと考える「モデル」だ。

そして、「自分は人間だけど、働かない」という考えと「人間は働くべきだむと言う考えが矛盾しているということに、気がつかないという「モデル」だ。

こういうモデルが、成人人口の九割を占めるという社会考えると、今の社会の現象をうまく説明できる……ような気がする。

*     *     * 

矛盾に気がつかないというのは、重要なことだ。

矛盾に気がついた場合は、言うことがかわってくるからだ。

これは、そのまま、「自分がなにを正しい」と考えているかということに影響を与える。ほんとうは、矛盾に気がついて、考え直し、矛盾した考え方を修正するべきなのだ。

ようするに、「自分が働かなくても、人間だ」という考え方を正しいと考えるのであれば「人間は働くべきだ」という考え方は間違った考え方だということになる。

だから、「人間は働くべきだ」という考え方を放棄するべきなのである。 

*     *     * 

自分の矛盾に気がつかない人と、どれだけ「人間は働くべきなのか、働かなくてもいいのか」と言うことについて話しても、無駄だ。けっきょく、自分の身の上に、働かなくてもいい理由が、発生したとその人が考えるなら、「自分は人間だけど、働かなくてもいい」ということになってしまう。その人のなかで、「自分は人間だけど、働かなくてもいい」ということになってしまう。けど、その人が「人間は働くべきだ」と他人には言うのである。

こんな、矛盾した人間を相手に、まともな話ができるわけがないだろ。

*     *     *

「自分は人間だけど、自分にはちゃんとした理由があるから、働かなくてもいい」という考えたが成り立っているのだ。ちゃんとした理由かどうかということは、「自分」が決めるのである。

その場合、他人の「理由」はちゃんとした理由ではないと考えるなら、自分のことは棚に上げて、他人には「人間は働くべきだ」と言うことができる。相手が相手の理由について言及したら「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」「そんな理由にこだわるから、だめなんだ」「そんな理由を気しするからだめなんだ」と言って、他人が働けない理由に関しては、ちゃんとした理由だと認めない。

ちゃんとした理由ではないので、ちゃんとした理由がない他人に、「人間は働くべきだ」と言っても、問題がないのである。

他人の場合は「ちゃんとし理由ではない」と考えてしまうのである。自分の場合は「ちゃんとした理由だ」と考えてしまうのである。

こういう、自分勝手な思考。こういう夜郎自大な思考。

もう、やになっちゃうなぁーー。いやになっちゃうなーー。

しかも、経験の範囲で言えば、(ぼくが)どれだけ説明しても、こいつらは理解しないのである。矛盾したことを言っているということを、理解しない。

*     *     *

「自分以外の人間は働くべきだ」と言うべきなのに「人間は働くべきだ」と言ってしまう。おかしい。「自分は例外だけど、人間は働くべきだ」と言うべきなのに「人間は働くべきだ」と言ってしまう。おかしい。「人間は働くべきだ」と言っているのに「自分の場合は」「ちゃんとした理由があれば」「働かなくてもいい」と考えている。おかしい。おかしい。矛盾している。

「自分は人間ではない」と考えているのであれば、矛盾していないけど、「自分は人間だ」と考えているのだろ。矛盾している。おかしい。矛盾しているのに、まったく気がつかないなんておかしい。

自分は、そのうち退職するつもりなのに、他人には「人間は働くべきだ」と言うのは、おかしい。自分がすでに退職して、働いていないのに、他人には「人間は働くべきだ」と言うのは、おかしい。矛盾している。

*     *     *

「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは本人が判断すればいい」と言えばいいのに、「人間は働くべきだ」と言ってしまう。「本人」というのは、ちゃんとした理由があるかどうか判断する人のことだ。

その人が、ちゃんとした理由があると判断したら、「自分」には、その人にちゃんとした理由があるようには見えない場合も、その人「本人」がちゃんとした理由があると判断したのだから、働かなくてもいいということになる。

「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断すればいい」という場合は、「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」と言っている人本人が判断するということになる。

たとえば、Aさんが「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断すればいい」と言っているなら、Aさんが、自分のことも他人のことも判断するということになる。「ちゃんとした理由があるかどうかは自分(Aさん)が判断する」ということになる。

まあ、「人間は働くべきだ」と他人に言ってしまう人は、じつは……「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断する」という意味で、「人間は働くべきだ」と他人に言っているんだろうな。ほんとうに、やっかいな連中だなぁ。 

2026年8月27日木曜日

●トンチンカン野郎なんだよ■騒音※2026/08/27 16:15

ほんとうに、どうしようかなぁーー。めちゃくちゃに、響く。ヘビメタ騒音のことが、めちゃくちゃに、響く。


いろいろな、いやなことを思い出してしまうんだよ。ヘビメタ騒音関係なんだけどさ……。そして、なんか、生きているのが無意味であるかのように感じてしまう。

どうしてかというと、ぼくの一生が、ヘビメタ騒音にたたられた続けた一生だからだ。

ぼくにとって、ヘビメタ騒音はそういう騒音だ。けど、騒音の主は、鳴らしているときから、なにも感じないのである。全部の時間鳴らして、全部の時間無視しているのである。

ヘビメタ騒音をどうにかしようとしてやったことのうち、うまくいったことは、ひとつもない。ひとつもない。すべてが、マイナスだった。やればやっただけ、マイナス。日々の、マイナスがつみかさなる。

そして、今朝も書いたけど、よその人というのは、程度を考えないのだ。程度を低く見積もる。

自分が、この世で、一番嫌いな音が、爆音でずっと鳴っていたら、勉強なんてできない。ものすごく簡単な問題は、解けるけど、ががががとなっているうちに、ちょっと考えるというような感じで、うまくいかないのである。

ものすごく簡単な問題ですら、きちがいヘビメタ騒音が鳴っていない状態なら、三秒でとけるものが、三〇秒以上、かかってしまうのである。

その間、ずっと、ガガガガ、キーンキーンと鳴っている音と、格闘しなければならなくなる。ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ガガガガ、キーンキーン(〇・一秒考える)ということの、繰り返しだ。

これだと、考えている時間……ずっと、「うまくとけない」「うまくけとない」「もたついている」という感じがするわけ。

でっ、その感じが残るんだよ。

記憶してしまうわけ。

こういうことも、わからないやつが、「そんなの気にしなければいい」「こだわらなければいいいんだ」と言う。

こいつらが、「自分だってつかれることはある」「自分だって騒音ぐらいある」と言ったって、意味がないのである。

どうしてかというと、こいつらは、騒音の程度について考え違いをしている。実際に、自分が一番嫌いな騒音が、ずっと鳴っているという生活をしていないので、自分が一番嫌いな騒音が、ずっと鳴っているということが、どういう影響を与えるのか、ぜんぜんわかっていない。

そして、自分が一番嫌いな騒音を頑固に鳴らしているのが、自分家族だということがもつ意味もぜんぜんわかっていない。

経験がないからぜんぜんわかっていないのだ。

経験がある人なら、わかっているから…… 「そんなの気にしなければいい」「こだわらなければいいいんだ」なんて、絶対に言わない。

こいつらは、「絶対に言わない」ということすら、わからないやつらなんだよ。

トンチンカン野郎なんだよ。

●「ヘビメタ騒音の影響」をガンとして認めない■騒音※2026/08/27 5:26

 普通の人が納得しないようなことをしているのは、兄貴。

普通の人が、しないようなことをしているのは、兄貴。

普通の人たちは、経験しないのである。両方とも経験しない。

自分がきちがい的な音で、鳴らし続けることも、自分以外の家族が、きちがい的な意地できちがい的な音で鳴らすということも、経験しないのである。

現実の場面で、経験しないのである。何年間も何年間もずっとそういうことが続いてしまうという経験が、普通の人にはないのである。

自分が学生のとき、きちがい的な家族が、きちがい的な音で鳴らすことに夢中になって、横の部屋で、鳴らし続けるということを、実際には、経験していないのである。

普通の人は、経験していないのである。

きちがい的な意地で、「よそでは鳴らせないような音で、ずっと、自分が鳴らしたい音を鳴らす」ということを、普通の人はしない。

だから、家にいる家族が、「よそでは鳴らせないような音で、ずっと、自分が鳴らしたい音を爆音で鳴らす」ということがないのである。

結果、「ずっと爆音で鳴らされる」ということを経験しない。家族によって、自分の生活が、騒音で脅かされることがないのである。

脅かされたとしても、そんなのは、1時間で終わることだし、どれだけ続いても、3日以内には、普通の状態に戻る。

「ずっと、鳴らしていい」なんてことはならないのである。

ぼくが言っていることが嘘だと思う人は、「そんな音で鳴っているのに、家族が静かにさせようとしないのはおかしい」と思うわけ。

これなんかも、常識的な思考ではあるけど、間違った思考なんだよな。

事実鳴らしていたわけだから……。

きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らしていたし、ほかの家族は「なんとしても、しずかにさせよう」と思わなかった。

ほかの家族というのは、親父とおかあさんのことだけど、親父とおかあさんの反応も、普通の人の反応ではないのである。それが、普通の人にはわからない。

うちの状態というのは、きちがい兄貴が、意地を通せば、意地を通せる状態だった。

そして、きちがい兄貴が、きちがいだったのだ。「意地を通す」と言うのが、これまた、普通の人には理解できないことなのである。

だから、俺が、誤解される。誤解されまくる。

普通の人は、「鳴ってたって大したことじゃない(そんなのは関係がない)」と思う人と「そんなの嘘だ(そんな音は鳴っていない)」と思う人のふたつにわかれる。

どっちも、けっきょくは、「ヘビメタ騒音の影響」をガンとして認めないということになる。

けど、うちでは、きちがい兄貴が、意地を通して、きちがい的な音で鳴らすのである。尋常じゃない意地がかかっているのである。きちがい感覚で素通りしてしまうのである。

きちがい感覚で、「どれだけやったって、やってない」ということになってしまうのである。きちがい兄貴も、弟における、「自分の騒音」の影響を考慮しないのである。

きちがい兄貴の騒音を考慮しないという点では、「そんなのは大したことがない(そんなのは関係がない)」と考える普通の人」と「そんなのは嘘だと考える普通の人」と「きちがい兄貴」と「きちがい親父」とで、おなじなのである。

おかあさんは「こまったこまった」と言ってこまっていただけなのである。

2026年8月26日水曜日

●「自分だって残業をしたことぐらいある」■騒音※2026/08/26 6:36

相手の立場になって考えるということができないので、相手の「体力消費」「時間消費」「累積疲労」を無視してしまうのである。

そして、「つかれ」という抽象的な言葉を使って「つかれ」について考えるので、自分にも同等のつかれがあると仮定してしまう。

あるいは、「つらさ」とという抽象的な言葉を使って「つらさ」について考えるので、自分にも同等のつらさがあると仮定してしまう。

名前だけ店長のことについて考えてみよう。名前だけ店長の疲労は一五年間毎日つみかさなった疲労なのである。

しかし、相手の立場になって考えることができない人は、名前だけ店長の 「体力消費」「時間消費」「累積疲労」を無視してしまう。

だから、一五年分の、「体力消費」「時間消費」「累積疲労」がない状態で、名前だけ店長が、今存在していると仮定して、考えてしまう。

ようするに、名前だけ店長の側には、一五年分のつかれが蓄積しているのだけど、相手の立場になって考えることができない人は、一五年分のつかれを無視してしまうのである。

そして、一五年分のつかれが、今の名前だけ店長の状態とは、関係がないという思考をしてしまう。

いやーー。関係、あるでしょ。

名前だけ店長とおなじ経験を持たない個体だから、名前だけ店長の「累積疲労」を無視しているだけだろ。累積疲労がすでにあるということは、その日の「体力消費」「時間消費」にも影響を与えるのである。

不可避的に影響を与える。

どうしてかというと、名前だけ店長が、名前だけ店長の体を使って生活しているからだ。なんでこれが、わからないのか?

名前だけ店長なのに、一五年分のつかれとは関係がない一日があると思っている。「一日のつかれ」は、「一日のつかれ」なのである。想定されているこの一日のつかれは、一五年分の「累積疲労がない」人の「一日のつかれ」のである。

こんなの、ない。

ある人がいたとする。Aさんだとしよう。Aさんは、過去五年にわたって、月に一日だけ、二時間の残業をしたとする。

Aさんは、残業をした。

それなら、名前だけ店長とおなじ分の残業をしたということになるのか。

ぜんぜん、ならない。

なるわけがない。程度がちがう。頻度がちがう。持続期間がちがう。ぜんぜん、ちがう。

けど、「残業をした」というところまで、抽象度を上げるなら、Aさんも、「残業をした」ということになる。Aさんも名前だけ店長も「残業をした」ということになる。

けど、つかれ方に影響を与える持続時間や持続期間について考えると、Aさんの残業と名前だけ店長の残業はまったくちがうものだと言える。実際にちがう。

ところが、Aさんが相手の立場になって考えるということができない人だと、名前だけ店長の「累積疲労」について考えることができない。

そして、考えることができないので、普通に、自然に無視することになる。名前だけ店長の「累積疲労」は、名前だけ店長の側には、たしかにあるものなのだけど、Aさんの側には、名前だけ店長の累積疲労がないことになる。

だって、Aさんは、名前だけ店長の累積疲労を無視しているのだから、名前だけ店長の側に、名前だけ店長の累積疲労があるとは思えない。

そして、Aさんが、言霊主義者なら「無理だと言うから無理なんだ」「できると言えばできる」とふざけた発言をするようになる。

Aさんが言霊主義者ではなくても、Aさんは、名前だけ店長の累積疲労を無視しているので、名前だけ店長の一日の疲労と、名前だけ店長の一日の時間消費について考えて、「できる」と言ってしまう。

そりゃ、名前だけ店長だって、一五年間やっていることだから、一日のなかで、無理をすればできることなのだ。

しかし、その分の時間消費と体力消費はある。一五年間の蓄積疲労がない状態なのであれば、無理をすればできることなのである。

しかし、実際の名前だけ店長には、一五年分の蓄積疲労がある状態なので、名前だけ店長には、できないと言っているわけだ。

けど、名前だけ店長の蓄積疲労が見えない人にとっては、「そんなのは関係がない」ということになる。自分だって残業ぐらいした」。

「自分だって、残業をしたときつかれた」とか「自分だって、つかれたことがある」とかというとを言えば、名前だけ店長とおなじ一五年分の蓄積疲労がある状態で暮らしているというとになってしまうのだ。

そういう仮定で、ものを言う。

しかし、Aさんには名前だけ店長とおなじ「一五年分の蓄積疲労」なんてない。

ないから、「無理だと言うから無理なんだ」「できると言えばできる」と無慈悲な発言をする。

ないから、自分のつかれと名前だけ店長のつかれが同レベルのつかれだという前提に立って「自分だってつかれている」「自分だって残業をしたことぐらいある」と言ってしまう。

くそ発言だ。

前提が間違っている。

Aさんは、名前だけ店長と同レベルの残業なんてしていない。Aさんは、名前だけ店長と同レベルの疲労なんて経験していない。

俺に対して「自分だって、騒音ぐらいある」とか「自分だって、騒音が鳴っている状態を経験したことぐらいある」とかと言うことは、名前だけ店長に「自分だって残業をしたことぐらいある」と言うのとおなじように、失礼なことなんだよ。

俺に対して「自分だって、つかれている(けど、ちゃんと、通学している)(けど、ちゃんと通勤している)」と言うことは、名前だけ店長に「自分だって、つかれている」と言うのとおなじぐらいに、失礼なことなんだよ。

いや、もっともっと失礼なことだと思う。

間違った前提で、クソを言うな。間違った前提で、無慈悲なことを言うな。侮辱するな。

●自分が実際にやられれば、一秒でわかることが、最後までわからない■騒音※2026/08/26 4:32

基本的に言って、なめきっているやつらというのは、「影響」を無視するのだ。

はっきり言えば「影響」についてまったく考えることができないやつらなのだ。

「影響」について考える能力が、そもそも、かけているやつなのだ。

「影響」について考える『脳みその回路』がないやつらなのだ。

こういうやつらが、ヘビメタ騒音の「影響」を無視して、無理なことを言ってくる。

侮辱。侮辱。侮辱。侮辱。

こいつらだって、ほんとうは、自分がこの世で一番嫌いな音を、あの音のでかさで、あの態度で、横の部屋に住んでいる人間に鳴らされたら、一秒で腹が立つのだ。一時間鳴らされて、影響を受けないということはない。

二時間鳴らされて、影響を受けないということはない。学校から帰ってきて、六時間四五分鳴らされて、影響を受けないということはない。

休日、家にいるあいだ、ずっと、一三時間以上鳴らされて、影響を受けないということはない。学校は、学校だけで大変だ。普通に体力を使うのである。

そのあと、六時間四五分以上、自分がこの世で一番きらいな音にさらされ続けるということが、どういうことなのかまったく理解していない。

わかっていない。

こいつらは、騒音の話を聞けば、騒音の話だと思う。

けど、想像力が限られているので、あるいは、相手の立場になって考えるという能力が、抜け落ちているので、「自分がこの世で一番きらいな音に、自分が……学校から帰ったあとずっとさらされ続けるということ」について、想像することができないのである。

「騒音」という抽象的な言葉に、抽象的に反応しているだけなのである。

こいつらが「騒音」と思っている「騒音」は、「自分が、この世で一番きらいな音に、自分が、さらされ続けた場合の騒音」ではないのである。

「ものすごい音で鳴っている」と言ったって、そんなのは関係がないのである。きちがい兄貴の態度についてぼくが語ったって「そんなのは関係がない」のである。

どうしてかというと、自分が、きちがい的な家族と一緒に住んでいるわけではないからだ。

想像の範囲外。

きちがい兄貴の態度なんて、こいつらは、想像できない。

しかし、ヘビメタ騒音の影響を無視するという点では、こいつらときちがい兄貴はおなじなんだよ。

この想像力がない生き物が、「常識」に照らし合わせて、無理なことを言いやがる。

こいつらは、わかっていないから、無理なことを言っても、無理なことを言ったとは思わない。

自分が実際にやられれば、一秒でわかることが、最後までわからない。

自分が実際にやられれば、一日でわかることが、最後までわからない。

2026年8月24日月曜日

●何時間も何時間も鳴っていたら、影響を受ける■騒音※2026/08/24 16:36

 あーーあ。あの子(A子)と付き合えばよかったなぁ。

ヘビメタ騒音なしで生きたかった。きちがい兄貴が、ヘビメタに凝ったから、ぼくの人生はない。きちがい兄貴が、ヘビメタに凝らない人生だってあったかもしれない。

きちがい兄貴が、たまたま、ヘビメタという音楽分野に興味を持ったから、ぼくの人生は……。ぼくの人生はこなごなになった。

これ、どれだけの影響があるか、ぼく以外の人にはわからない。まったく、わからないのだろう。

あれが、どれだけ毎日に影響を与えたか、ほかの人はぜんぜんわかっていない。やられていないから、わかっていない。

やられていないから、「わかっていないだけ」なのに、えらそうなのだ。

「自分は影響を受けない」と思っている。ヘビメタが好きな人は、そう思うのかもしれない。けど、別にヘビメタが好きな人ではなくても、そう思っているみたいだ。

そんなわけない。

そんなことが起こるわけがない。

ヘビメタではなくても、自分の苦手な音が、あの至近距離で、あの音のでかさで、一日に何時間も何時間も鳴っていたら、影響を受ける。不可避的に影響を受ける。

●家族だと、不可避的に影響を受けることがあるんだよ■騒音※2026/08/24 3:53

大根と卵の味噌汁が飲みたくなったので、大根と卵の味噌汁をつくった。

ぼくは、もともと、器用なので、つくれないということはない。

ただ、いろいろなことがあって、エネルギー不足だと、そもそも、やる気がしない。

大根の皮をむくところを考えただけで「うへぇーー」となる。やりたくない気持ちになる。だから、めちゃくちゃにいやなことが、たくさん発生しなければ、そこそこできるのだ。

ところが、兄や父が、俺にとってめちゃくちゃにいやなことを、発生させる。発生させた。

これが、あとあとまで、響くことなのだ。けど、他人は、それを認めない。「そんなのはいいわけだ」と「すべては自己責任だ」と言って認めない。

いやーー。家族だと、不可避的に影響を受けることがあるんだよ。

どう考えても、兄貴や親父の責任で、俺の自己責任だとは言えないことが、発生するんだよ。

めちゃくちゃなことを言うな。

こういうやつらが、正しいことを言っているつもりなんだよな。こんなの、ほんとうに、相手の状態がわかっていないだけなのに、よく言うよ。

*     *     *

ようするに、体力があれば、普通のことはできる。

ところが、体力がないと「普通にできること」ができなくなる。そうなると、やばいのだ。たとえば、睡眠。

たとえば、食事。大根が体にいいとする。味噌も体にいいとする。卵も体にいいとする。大根と卵の味噌汁を飲むことは、体いいことだ。もちろん、食べすぎとか飲みすぎはよくない。

体力があれば、大根と卵の味噌汁を飲める。自分でつくって飲める。食べられる。ところが、体力がないと、大根と卵の味噌汁を飲めなくなる。

どうしても、料理ができない状態になると、食べ物の数が減る。とりあえず、食べ物の数が減るということが、健康に悪い影響を与えるとする。

そうなると、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が起点になって、「エネルギー不足→調理ができない→食べ物が悪くなる→エネルギー不足」という悪のサイクルができあがってしまうのだ。

エネルギーがなくなると、歯磨きも、やりにくくなる。どうしても、めんどうだと思って、省略したやり方になる。

虫歯菌がすでに、口腔内にいるとする。そうなると、虫歯になりやすい状態になる。フロスをやる余裕もなくなる。

とりあえず、歯磨きをしたり、フロスをしたり、風呂に入ったりすることを、体のメンテナンスと呼ぶことにする。

そうなると、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が起点になって、「エネルギー不足→体のメンテナンスができなくなる→体調悪化→エネルギー不足」という悪のサイクルが完成してしまう。

ともかく、兄貴や親父の「ヨソのうちではありえないような、きちがい行為」が悪のサイクルをつくりだしてしまう。

*     *     *

とりあえず、責任というとを考えるのであれば、兄貴が意地なって、悪質な行為をしたなら、兄貴には、悪質な行為をしたという責任がしょうじる。親父が意地なって、悪質な行為をしたなら、親父には、悪質な行為をしたという責任がしょうじる。

行為の主に、責任がしょうじるのは、しかたがないことだ。

だって、行為の主なのだから。

ところが、自己責任論者は、俺が影響を受けたということの責任だけを追及するのである。兄貴に関する兄貴の行為の責任……そんなのは、自己責任論者は、問題にしない。ぜんぜん、問題だと思わない。どれだけでかい音で鳴ってたって、影響を受けずに、勉強することができる。

どれだけ長い時間、ものすごくでかい音で鳴っていたって、影響を受けずに生活することができる……というきちがい的な設定がある。こいつらの、頭のなかに、こういう非・現実的な設定がある。

こんな、きちがい的な設定をして、人をせめまくって「自分が正しい」と思っているのだ。こいつらが、「ものすごくでかい音で、長時間、騒音を鳴らされると、不可避的に影響を受ける」ということを理解することはない。

「なんだとおぉ」という態度になり「そんなのはあまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と言って「影響を受けずに生活することはできない」ということを、認めない。

それなのに、こいつらは「人に親切にしましょう」「人のため、社会のために頑張りましょう」と言う。

こんなやつらばかりだったよ。

この世は、こんなやつらばかりだったよ。

まあ、ぼくの「経験の範囲」で言うと、そうなる。

*     *     *

「騒音で勉強ができない」というとを認めるやつだって、「鳴り終わったら関係がない」と言う。そういうレベルの認識しかない。これは、そのまま、きちがい兄貴のような家族に、自分が、やられたことがないということを意味している。けど、こういう人だって「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」ということを言う。ものすごく、勘違いをしている。ぜんぜんそういう話じゃない。こいつらには、わからない。こいつらに、ぼくが説明をしても、こいつらは、理解しない。こいつらは……たとえば、「鳴り終わったら関係がない」という考え方を、放棄しない。ぼくが説明したあとも、「鳴り終わったら関係がない」と思っているままだ。ぼくの説明を聞いて、自分の考え方をあらためるということがないのである。この、不毛な会話……。しかも、「騒音で勉強ができない」ということを認めたやつですら、このありさまだ。普通のやつは「騒音で勉強ができない」といこうとを認めない。

時間消費と体力消費のことがわかっていないのだ。冒頭で述べた通り、普通なら、普通にできることが、できなくなるのである。騒音と言ったっていろいろなレベルの騒音がある。そして、持続期間の長さが問題になるのである。ところが、持続期間の長さがどういう影響を与えるかと言うことについて考えないやつが、時間消費と体力消費を、まるごと、無視してしまうのである。

これも、やっかいなんだよな。きちがい兄貴のヘビメタ騒音がはじまるまえから、横にでかいでかい幼稚園があるから、ぼくの生活は、ほかの人よりも、騒音に満ちていたのである。しかし、その期間のあいだ……ようするに、幼稚園はあるけど、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らさなかった期間のあいだ……ずっと、ぼくは、普通に勉強することができたし、遅刻をしないで学校に通うことができたし、風呂に普通に入るということができたし、歯磨きをするということもできたのだよ。ところが、ヘビメタ騒音がはじまって、毎日歯磨きをするということが出なくなり、普通に風呂に入るということができなくなり、遅刻をしないで学校に通うということができなくなり、普通に勉強することができなくなった。忘れたわけではないけど、宿題を忘れようになった。これは、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしたあとの話なんだよ。ヘビメタ騒音がはじまってからの話なんだよ。

こいつらは、みんな、そういうことを無視して「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」「人のせいにしている」と言ってくる。

こいつらの正義はなにか?

こいつらの道徳はなにか? 

2026年8月23日日曜日

●「そんなのは言い訳だ」■社会※2026/08/22 14:22

相手が(相手の)条件について、何事かを言ったら、「そんなのは、言い訳だ」と言い返せばよいのである。

もう、最初から決まっている。

相手がなにを言おうが「そんなのは、言い訳だ」と決めつけることにしているのだ。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが、いろいろな不利な条件を抱えていたとする。

Bさんが自己責任論者だとする。Bさんにとっては「相手」の身の上に起きたことは、すべて、「相手」の責任なので、相手がなにを言っても「そんなのは言い訳だ」と言い切ることができる。

ひとつずつ、Aさんが言っていることを吟味して、「これは、Aさんの責任だが、これは、Aさんの責任ではない」と考えているわけではないのだ。

ともかく、最初から、すべてはBさんの責任だということが、決まっている。

*     *     * 

Bさんが自己責任論者だと、そうなるのだけど、Bさんが、言霊主義者でも、思霊主義者でも、引き寄せ論者でも、努力論者でも、「そんなのは、言い訳だ」と決めつけることができるのである。

こんなに、便利な言葉はない。

しかも、本気で、言っているのである。

自分が相手をおいつめるために、わざと、「そんなのは言い訳だ」と言っているつもりがないのである。

本来なら……言い訳であることと、言い訳ではないことの、区別をしなければならない。

ひとつずつ、条件について考えなければならないのである。

不可避的なことに関しては、不可避的なことだということを認めなければならないのである。

しかし、サブルーチンやサブ・サブルーチンのなかで「そんなのは、言い訳だ」という言葉が出てくるときには、相手がなにを言っても、「そんなのは、言い訳だ」と言い返すことが、決まっているから「そんなのは、言い訳だ」と言っているところがある。

『サブルーチンや、サブ・サブルーチン』というのは、言霊理論、思霊理論、引き寄せ理論、努力論のなかの、『サブルーチンやサブ・サブルーチン』のことを意味する。

相手がなにかを言ってきたら、「そんなのは言い訳だ」と言い返せばいいということが、決まっているのである。

最初から決まっている。

これは、悪質なことなのだけど、ほとんどの人が、普通にやっていることだ。

『洗脳の結果だ』と思う。

別に、マニュアルに書いてあるわけではない。けど、慣習として受け継がれていくのだ。ちゃんと、日常生活の中に、お手本があり、学習していく。

いろいろなメディアのなかで、「なんらかの条件について言及すること」がみっともないことだということになっている。「(自分の)不利な条件について、語る人」は、みっともない人なのである。

だから、「そんなのは、言い訳だ」と言い切ることで、相手をやっつけたような快感が生まれる。こういう、快感の奴隷なのだ。『サブルーチンやサブ・サブルーチン』のなかで「そんなのは言い訳だ」と言い切ることは、『報酬』になっている。

ほんとうは、道徳的なことじゃない。

何度も言うけど、個別具体的なことについて、個別具体的に考えなければならないのだ。個別の出来事について「これは、言い訳だけど、あれはいいわけではない」ということを考えなければならないのだ。 

自分のことは、認知とメタ認知が成り立っているから、普段の思考のなかでは「いいわけではない」ということになっているのだ。

ようするに、他人対する基準と、自分に対する基準がちがう。そして、問題なのは、まったく無頓着なことだ。言霊主義者が、普段、言霊を気にしないで、言霊に頼らずに、現実的な出来事に対処しているのに、言霊主義者にはその自覚がないということが問題だと……以前指摘したことがある。

それとおなじように「そんなのは、言い訳だ」と(具体的な事柄について考えないで)他人に言う人は 、自分が、普段、『できない理由』を考えて、暮らしているということについて、無頓着だ。認識していない。

自分のことであれば「こういう条件だからできない」ということになっていて、それが、言い訳だとは思わないのだ。他人のことであれば、「すべてが言い訳」なのだ。

別に、(他人の身に起こった)個別具体的になことについて考えているわけではないのだ。こういう人たちが多い。多すぎる。

 *     *     *

こういう行為が、悪い行為だと思わないのである。

相手が、「そんなのは、言い訳だ」と言われて、どんな気持ちになるのかは、まったく考えないのである。自動的に「そんなのは、言い訳だ」と言い返して、ほんとうに、相手が言い訳をしているだけなんだと思い込んでいるのである。

こんな人たちが「人に親切にしましょう」なんて言っても、ぼくは『どの口で言っているんだ』と思うね。

2026年8月22日土曜日

●自分がやっていることと、相手が言っていることの関係がわからない■騒音※2026/08/22 10:20

俺はこのさき、どうすればいいんだろう。やっぱり、なんか、希望が必要だよな。設定が必要だ。けど、何度も言うけど、信じられる設定でなければ、意味がない。自分が信じられない設定を、どれだけ並べたって、意味がない。自分が信じられない設定を、どれだけつみかさねたって、意味がない。

まあ、ぼくにとって、この世がどういう世だったかというと、くるしい世だったということができる。関係はないけど、今日、たぶん、歯を抜く。ぼくにとっては、重要なことだ。大きなことだ。

学生時代のことなんて考えたってしかたがない。しかたがない。けど、考えてしまう。長期きちがいヘビメタ騒音にたたられた学生時代のことが、頭を離れない。どこに行くしても、そうなのだ。歯医者に行くにしろそうだし、スーパーに行くにしてもそうだし、奮発して秋葉原に行く場合もそうだ。

もう、一回、秋葉原に行ったって、むなしいだけだ。

けど、秋葉原散策動画は視てしまう。

ちなみに、ぼくが、秋葉原を楽しい気持ちで歩いたことは、一度もない。きちがいヘビメタにやられたあと、秋葉原に行ったわけで、もう、きちがいヘビメタ騒音に汚染されていた。日中のすべての行動が、ヘビメタ騒音に汚染されているのである。

そして、これは、どれだけ、ぼくが、ほかの人に言ったって、ほかの人は、まったく理解しない。

ヘビメタ騒音にたたられた毎日は、ぼくの毎日で、他人の毎日じゃない。他人にとっては、経験していないことだから、ぜんぜん、実感がない。どういう気分なのかと言うこともわからないだろう。

ヘビメタ騒音にたたられている日中がどういうものなのか、わからないだろう。

ヘビメタ騒音にたたられている夜がどういうものだかわからないだろう。

ヘビメタ騒音にたたられている夕方がどういうものだかわからないだろう。

ヘビメタ騒音にたたられた体で、人にあっているとき、どういう気持ちになるか、ほかの人にはわからないだろう。

前日も、前々日も、一か月前も、一年前も、ヘビメタ騒音にたたられた体で、人にあっているとき、ぼくがどういう状態なのか、ほかの人にはぜんぜんわからないだろう。

わからなくて当然だ。

ヘビメタ騒音に当日(前日)たたられたので、夜一二時を過ぎても、眠れないとき、ぼくがどういう気持ちで、横たわっていたか、ほかの人にはわからないだろう。

けど、ぼくには、わかる。当然だ。

リアル世界で、実際にヘビメタ騒音が、毎日何時間も鳴っていた。今日は、八月二二日で、夏休み期間中だ。夏休み期間中は、一日に一三時間以上、きちがいヘビメタが鳴っていた。だから、夏休みの宿題もできなかった。

夏休みの最後の日、ぼくの部屋でやるよりは、一階の居間でやったほうが、相対的に静かなので……一階の居間で、宿題をしていたときがある。一階の居間だって、ものすごい音で鳴っていた。

これ、ほんとうに、宿題にむかいあっても、できない状態なのである。

そして、できない状態の記憶をしてしまう。きわめて有害な時間なのである。そのとき、きちがい兄貴が、一階の冷蔵庫に、飲み物をとりにきた。

そのときに、宿題をやっている俺に対して、きちがい兄貴が「宿題なんて、最初のうちにやっておくもんなんだよ」と言ったのだ。それに対して、俺が、「おまえが鳴らしているから、下でやっているんだぞ。おまえが静かにすれば、宿題なんていつだってできるんだよ」と(叫んで)言ったけど、きちがい兄貴は、そのまま、二階にあがって、きちがいエレキギターを(最大限)音で鳴らして、きちがいステレオを最大限の音で鳴らしたのだ。

きちがいのレベルが親父とおなじ。なにを言われても、「わからない」のである。この「わからなさ」というのが、きちがいレベルのわからなさなのである。

どれだけなにを言われても、自分がやっていることと、相手が言っていることの関係がわからない。

意識が理解をする前に、無意識がはねのけている。

だから、どれだけ言ったって、無駄なのである。

きちがい親父が竹を植えたとき、「やめて」と言っていたおかあさんに、「どうだ、いいだろ」と言ったということを書いたけど、きちがい兄貴が、たまたま、通りがかって言ったことも、そういうレベルのことなのだ。

これ、頭がおかしいから、まるでわからないんだよな。

夏休みのあいだ……実際には、夏休み以前から……ヘビメタ騒音を鳴らしているきちがい兄貴のところに行って、「ヘビメタを鳴らすな」「ヘビメタで勉強ができない」「ヘビメタで宿題ができないから、しずかにしろ」ということを、一日に、何十回も言ったのである。

けど、きちがいだから、言われたときだけ、おこってはねのけて、おしまいなんだよ。ぜんぜん、届いていない。ぜんぜんわかっていない。

きちがい兄貴ときちがい親父はまったくおなじ。こういうところでは、まったくおなじなのだ。

● 「脳は主語を認識しない」■社会※2026/08/22 7:51

「脳は主語を認識しない」というような言い方がある。けど、これは、ほんとうだろうか? ぼくには、脳は、たいていの場合、主語を認識しているように思えるのだけど……。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんがコーチで、Bさんが生徒だったとする。Aさんが「急げ」と言ったとする。

その場合、Aさんは、「急げ」という言葉を自分にむかって言ったと、勘違いするのだろうか。それは、たいへんまれなケースで、脳の障害だと言っていい。

たいていの場合は、Aさんは、Bさんにむかって(自分が)急げと言ったということを、認識している。

つまり、主体(主格)や客体(対象格)を認識しているのである。なので、Aさんが、自分(Aさん)にむかって「急げ」と言ったと勘違いしてしまうということは、ほとんどの場合、ない。

「主語を認識しない」という言い方は、日本語だから、自然に思えるかもれない。もちろん、英語でも、命令文では、主語?を省略?する。

しかし、普通の文であれば、英語は、日本語ほどは、主語を省略しない。

主語を省略した言い方をすると、(自分に言った)と脳が勘違いしてしまうというのは、おかしい。

対象者であるBさんにむかって、Aさんが「急げ」と言ったとき、Aさんは、Bさんにむかって、「急げ」と言ったことを認識しているわけで、勘違いして自分(Aさん)に言ったと思っているわけではない。

たとえば、うしろから、クラクションを鳴らされたとする。その場合、自分にむかって鳴らされたのか、ほかの人にむかって鳴らされたのか確認するために、うしろを見たとする。

たしかに、自分が対象者であるかどうかわからないことがあるので、確認するという行為が必要になる場合がある。

あるいは、ただ単に、大きな音に反応して、うしろを向く場合もある。なんらかの危険が迫っているかもしれないからね。

たとえば、「どけろ」という言葉が、うしろのほうから聞こえてきたとする。

その場合、自分にむかって言ったのか、ほかの人にむかって言ったのか確認するために、うしろを見たとする。

たしかに、自分が対象者であるかどうかわからないことがあるので、確認するという行為が必要になる場合がある。

しかし、この場合も、「どけろ」と言った本人が、自分(本人)にむかって「どけろ」と言ったのかどうかわからないということは、普通ではありえないケースだ。

完全におかしい人ならありえるけど、普通の人の場合、ありえない。

自分にむかって「どけろ」と言ったのか……他人にむかってどけろと言ったのか「脳が認識できない」ということは、ほとんどない。

ちゃんと、脳は文脈を理解して、その言葉を発している。「脳は、主語を認識できない」ということは、たいていの場合、ない。

たとえば、「どけろ」と言った本人をAさんだとする。そして、AさんはBさんにむかって「どけろ」と言ったとする。その場合、Aさんは「自分がBさんに対してどけろと言った」ということを認識している。

Aさんが、Aさんに対して、「どけろ」と言ったわけではないということを、Aさんは、認識している。

ところが、「脳は主語の認識しない」という文の内容が正しいなら、Aさんの脳は「主語」を認識しないので、それがわからないということになってしまう。

Aさんが、「どけろ」言ったので、Aさんは自分(Aさん)に対して、どけろと言ったのか、Bさんに対してどけろと言ったのわからずに、混乱してしまうということは、ほとんどの場合、ない。わたし(が)「どけろ」と言ったのか、わたし(が)どけろと言われたのか、Aさんの脳が認識し無いということはない。

しかし、「脳は主語を認識しない」と言っている人たちは、そういうことを暗に言っているのである。

それは、「脳が勘違いする」ということだ。

Aさんの脳は、Aさんが、Bさんに「どけろ」と言ったにもかかわらず、自分(Aさん)がどけろと認識してしまうと言うのだ。自分(Aさんが)どけろと言われたような気分になると言うのだ。

たとえば、AさんがBさんに「バカ」と言ったとする。しかし、Aさんの脳は、Aさんが、Bさんに「バカ」と言ったにもかかわらず、自分(Aさん)がバカと言われたような気分になると言うのだ。

主語ではなくて、対象格(目的語)を認識できないということになってしまうのだけど、ほかの人に「バカ」と言うと、脳は(目的語を理解できない)ので、自分がバカだと錯覚してしまうということを言う。

だから、否定的な言葉を言うことはやめましょうと言うことを言うわけ……。彼らは、言うわけ。

脳が、自分に対して「バカ」と言ったように勘違いしてしまうので、ほかの人に「バカ」と言うことは、やめましょうということになる。たいていの場合は、こんな説明をしなくても、人に対して「バカ」と言うことは、よくないことだ。

しかし、例外がある。相手が、きちがい的な理論で、自分のことをバカにしてきた場合は、別に、相手に対して「バカだ」と思ってもしかたがない。口に出ることもあるだろう。

ともかく、例外なく、どんな場合でも「ネガティブなことを言ってはいけない」というような考え方は、実際には、ネガティブな出来事を引き起こす可能性がある。 

*     *     *

「急げ」と言ったとき、「急げ」という言葉を、自分に言ったのか、ほかの人に言ったのか、わからないとする。

この場合は、対象を認識していないわけであって、「主語」を認識していないわけではない。通常は、自分が「急げ」と言ったときは、自分が「急げ」と言ったことを、認識している。

「わたしは、急げと言った」という文を考えた場合、急げと言ったのは、自分だということになる。ちゃんと、わたしが「急げ」と言ったということを認識している。

だれか他人に「急げ」と言ったのに、脳が勝手に?「自分にむかって」自分が急げと言ったと勘違いしてしまうことは(たいていの場合)ない。

他人に言ったことを、脳が自分に言ったことだと勘違いしてしまうことなんて、普通はない。ちゃんと、脳は、自分が他人にその言葉を言ったということを、認識している。

他人に言う前も、他人に言うつもりで、他人に言おうとしている。勘違いしてしまう脳が、他人に言うつもりの言葉を、自分に言おうとしているということは、普通の場合、ない。 

*     *     *

たとえば、クラクションを鳴らした人は、自分がクラクションを鳴らされたと誤解するわけではない。健常者であれば、ちゃんと、自分がクラクションを鳴らしたと思っている。自分がクラクションを鳴らしたのに、自分がクラクションを鳴らされたとは、誤解しない。

たとえば、「どけろ」とCさんがDさんに言ったとする。Cさんは、自分が「どけろ」と言われたとは思わない。

脳は、誤解をしない。

Cさんが健常者であれば、ちゃんと、Cさんは、Dさんに対して「どけろ」と言ったということを、認識している。

「どけろ」と言った主体は、自分だということを認識している。Dさんに対して「どけろ」と言ったと認識している。

これは、客体に関しても、ちゃんと、正常な認識が成り立っているということを意味している。

Cさんが健常者であれば、Cさんが、Dさんに「どけろ」と意識的に言ったのに、Cさんが「どけろと言われた」と誤解することはない。

脳は、主語を認識しないということになっているけど、行為の主体と、行為の客体をちゃんと認識している。その認識を含めた文を、つくるなら、「自分(Cさん)がDさんに対して、どけろと言った」ということになる。

主語を認識していないわけではない。

命令文を言うときも、脳は、行為の主体と行為の客体をちゃんと区別して認識しているのである。普通は、この認識に間違いがない。だから、「脳は主語を認識しない」わけではない。

*     *     *

「あなた」と言われる立場で、ものを考えているときは、命令文について、自分に言われたのかどうかということが、気になることがある。

これは、うしろから、「どけろ」と言われたときおなじだ。自分が言われたのかどうか、確認しなければならないのである。

たとえば、「バカ」という言葉がある。うしろから「ばーーーか」と言われたとする。その場合、自分が「バカ」と言われたのかどうかということが気になる。

どこかの本の作者が、ページいっぱいに「ばーーーか」と書いたとする。読んでいる人は、自分が「ばーーーか」なのかどうか、気になる。

気になるけど、それは、自分が客体なのかどうかということを、たしかめる必要がある場合の思考なのである。

そういう、特別な立場における、相手の側の文(相手が発した文)なのである。

この相手の側の文に、主語がない場合は、相手から見た客体としての自分ということを考えなければならなくなるのである。

それは、「脳は主語を認識しない」ということとは、ちがうことなのである。あるいは「脳が、主語を認識できない」ということとは、ちがうことなのである。

相手が、主語を明示しない言い方でなんらかのことを言った場合、言われる立場であるなら、自分のことを言ったのか、ほかの人のことを言ったのか、単なるひとりごとなのかということが、気になることがある。

どうしてかというと、「はっきりしていないから」だ。

だから「脳は主語を認識しない」と言うことができるかというと、言うことはできない。脳は主語を認識しないわけではない。主語が明示されない場合、主語について自分との関係を考察しなければならなくなるのである。

相手が主語を明示しないので、主語について疑問がしょうじることと、「脳が主語を認識しない」ということは、ちがうことだ。主語と書いたけど、客体だったり、主体だったりする。

*     *     * 

EさんがFさんに対して「天才だ」と言ったとする。Eさんは、Fさんに対して言ったということを、ちゃんと認識している。

これは、Eさんの脳が、「自分は、Fさんに対して天才だ」と言ったということを認識しているということだ。

ところが、「脳は主語を認識できない」という考え方を採用するとEさんは、Eさんが天才なのか、Fさんが天才なのかわからないということになる。

Eさんの脳も、主語を認識しないわけだから、そうなる。自分がFさんに対して「Fさんは天才だ」という意味で「天才だ」と言ったのに、それが、わからないのである。

自分のことを天才だと言ったのか、Fさんのことを天才だと言ったのか、Eさんにはわからないということになる。いやーー。そんなことはないよ。

脳は主語を認識しないので、ある対象に「天才」と言った場合も、自分に対して天才と言ったのか、ある対象に「天才」と言ったのか、わからないということになる。いやーー。そんなことはないよ。

*     *     *

クラクションには、主語がない。目的語もない。クラクションを鳴らした主が、主体だ。クラクションを聞いたほうは、認知とメタ認知によって、クラクションを鳴らした理由などを推測するのである。

けど、これは、「主語」を脳が認識できないということを意味しているのではない。

日本語は、特に、主語が明示されない場合が多い言語だ。そして、命令文や名詞だけの文、名詞+だ(断定の助動詞)の文など、主語が明示されない文がある。

だれが、どういう目的で、だれに、その文を言っているのかということに、ゆらぎがあるのである。

ようするに、解釈の余地がある。明示されていないのだから、推測するわけ。推測しているあいだは、だれが、どういう目的で、だれに、その文を言っているのかということについて、まよっているわけだ。

この迷いの時間を、「脳は主語を認識しない」と表現しているだけだ。

主語が明示された、文であれば、脳は主語を認識するのである。

相手が、言った言葉が、自分にむけられた言葉なのかどうかということが、わからない場合、脳は、自分にむけられた言葉なのかどうかということについて、考えるわけだけど、これは、脳が主語を認識できないということを意味していない。

「脳は主語を認識しない」という話のなかで、「勘違いしてしまう」という言い方があらわれることがある。「自分のことを言われたと勘違いするから、脳は主語を認識しないのだ」という話になってしまうのだ。

そりゃ、うしろから、クラクションを鳴らされたら、自分にむけて鳴らされたのかどうかが気になるだろう。

けど、これは、「脳は主語を認識しない」ということではない。そのクラクションを鳴らした人は、自分ではなくて、ほかの人むけてクラクションを鳴らしたとする。けど、一瞬「自分にむけて鳴らされたのかな」と(自分が)考えたとする。

じつは、別の人に向けて鳴らされたクラクションだということが、あとでわかった場合、脳は、「自分にむけたクラクションだと勘違いした」と(強引に)解釈することもできないことではない。

しかし、ほんとうに、クラクションの主が、クラクションを鳴らす場合だってある。別に、「自分に対してクラクションを鳴らしたのかな」と考えることは、勘違いではない。

「自分にむけられたクラクションだと、勘違いしてしまうことがあるから、脳は主語を認識しない」という推論をした場合、その推論は、完全に間違っている。

*     *     *

一瞬でも……「自分のことかな」と思ったとする。一瞬でも、「自分のことかな」と思った人の脳は、主語が明示されているいろいろな文の主語を認識できないのだろうか?

そんなことはない。

いろいろと、話がずれている。 

*     *     *

「脳は主語を認識しない」というのは、「口癖系」とおなじだ。繰り返して言っている言葉は、自己暗示のもとになるというような考え方だ。

それなら、そのように言えばいいのである。「脳は主語を認識しない」というような嘘を考えて、言う必要はない。

この人たちは、現実的な「条件」を、ことごとく、無視する。 

「口癖系」に関しては、以前、ちゃんと説明したので、今回は省略する。 

*     *     *

だいたい、「脳は主語を認識しない」のであれば、どうやって、「脳は主語を認識しない」という文の意味を理解するのだ?

脳が主語を理解しているから、「脳は主語を認識しない」という文の「全体の意味」がわかるのではないか?

矛盾しているとは思わないのか? 

*     *     *

ほんとうは、主語ではなくて、目的語(対象格)なのだけど、ある対象にネガティブなことを言うと、自分がネガティブなことを言われたと脳が勘違いするということを、言っているのだ。

だから、ネガティブなことを言うのはやめましょうということになる。これ、いろいろな誤解が成り立っているから、やっかいな考え方なのだ。

条件が悪ければ、実際に、ネガティブなことが発生しやすくなる。発生してしまったネガティブなことについて、ネガティブなことが発生したということを言えなくなるとなると、それはそれで、ストレスがたまって、悪い結果を招来してしまう。

ある意味、「ネガティブな言葉狩り」みたいなところがある。

実際に不幸な条件が成り立っている人は、いる。

実際に不幸な条件が成り立っている人は、ネガティブな言葉を一切合切言わなくても、不幸な条件が成り立っているので、不幸なことがしょうじやすい。

はっきり言えば、くつがえらないのだ。「ネガティブなことを一切合切、言わないようにすれば、ネガティブなことが発生しないようにすることができるのか」と言うと、できない。

条件を無視して、くつがえるようなことを言うのはやめろ。

*     *     *

「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことがしょうじる」という思霊思考があるのだ。この思霊思考を利用して、「実際に条件が悪くてくるしんでいる人」をおいつめるための言葉のひとつが『脳は主語を認識しない』という言葉だ。

ほんとうは、脳が主語を認識できないから、ネガティブなことがしょうじているわけではない。もちろん、ほんとうに、脳が主語を認識でないのであれば、ネガティブなことは、いっぱいしょうじそうだけどね。

何度も言うけど、ほんとうに脳が、主語を認識しないのであれば、どうやって、「脳は主語を認識しない」という文の意味を理解するのだ?

●「脳をだませばいい」■社会※2026/08/22 3:02

 「脳をだませばいい」という言い方がある。意味としては、自分の脳をだませばいいということだ。けど、自分の脳をだましているのは、自分の脳なのである。

ほんとうに、だまされているのだろうか。

これは、「お得理論」なのである。こうすれば、つらいことにも対処できるという対処理論なのである。

しかし、ほんとうに対処していることになっているのかどうかわからない。

たとえば、「口角をあげると、楽しいと感じる」ということを言ったとする。笑顔をつくるだけで、脳は「楽しいことが起こった」と勘違いするというメソッドだ。

だから、つらいことが起こったとき、自分で意図的に「口角」をあげれば、楽しいと感じることができるというメソッドだ。 

まず、第一に考えなければならないのは、条件だ。どういう条件で、高角をあげるのかということだ。実験室で、高角をあげるわけではないのである。

日常生活の中で、つらいことがあったとき、高角をあげるということを推奨しているのである。実験室で、高角をあげる場合は、多少は、緊張するかもしれないけど、「特別にいやなことが起こったあと」でない場合が多い。

ようするに、自分の意思で、実験に参加しているわけで、その意味でも、余裕がある。心理的に余裕がある状態で、実験に参加しているのだ。

これは、日常生活の中で「つらいことがあった」場合とは、ちがう。降格を意識的にあげるということを行う前の心理状態がちがうのである。

実験室で、特別にいやなことが起こらなかったあと、高角をあげるということをしてみたときの感情と、日常生活の中で、腹が立つことがあって、そのあとに、高角をあげる場合は、心理状態が明らかにちがうと言える。

まあ、特に、いいことも、いやなこともなかったという意味で、中立的な状態のとき、高角をあげることと、特別に不愉快な状態で、高角をあげることは、ちがう意味をもつのだ。

 

もうひとつ言いたいことは、自分の脳が、自分の脳をだますということだ。これ、意図的にやっているのに、だまされちゃうの?

おかしいと思わない。意図的にやろうとして、意図的にやっているのも、脳なんだよ。降格をあげたとき、ある、脳の部位が反応したとする。笑っているときも、その脳の部位が反応した。

だから、その部位が反応しているときは、人間は「楽しい」「おかしい」と感じている……と結論づけていいのだろうか。その部位は、高角をあげるときに反応する部位なのかもしれないのである。

人間の場合、まず、自然な感情があり、自然な感情に対応した(筋肉の運動)が、自然に発生する。

これは、別に、教わったわけではないのである。ごく自然に、そういうことになる。

もっとも、感情と筋肉の運動が、普通の人よりも、連合していない人もいる。

しかし、一般的には、やはり、多くの人が、だれから教わるでもなく、楽しいときは、笑顔をつくるときの筋肉を動かす。「だれから教わるでもなく」ということは、重要だ。

最初は、意図的に、やっていることではないということを、意味しているからだ。最初は、意図的にやっているのではないのに、感情に対応した表情菌が動くのである。この反応は、(たいていの)人間にとって所与の反応なのである。

いっぽう、「つらいときは笑ったほうがいい」と思って、無理やり降格をあげるときは、「効果を期待した」行動をしているだけなのである。

自然に笑っているときの脳の全体的な反応と、効果を期待して降格をあげるときの脳の全体的な反応は、ちがうのではないかと思われる。

どうしてかというと、効果を期待して、高角をあげているからだ。これは、感情にもとづいた、自然な筋肉の動きではない。

そして、脳は、自分がどうして、高角をあげたのかということを知っているのである。楽しいと思って、意図せずに、高角をあげるような筋肉を動かしたときの「全体的な脳の反応」と、効果を期待して高角をあげるような筋肉を、意図的に動かしたときの「全体的な脳の反応」はちがうはずなのだ。

はっきり言ってしまえば、意図的に高角をあげようとしているのだから、脳は、その意味を知っている。だまされていない。

楽しいと思って、意図せずに、高角をあげるような筋肉を動かしたときの脳の動きと、効果を期待して高角をあげるような筋肉を、意図的に動かしたときの「全体的な脳の反応」はちがうはずなので、ほんとうに、脳が「楽しく感じている」のかどうか、わからない。

所与の反応として、楽しいときは高角があがる。高角をあげるような脳の部位が反応している。楽しいときは、高角をあげる(脳の)部位が活性化?する。

なら、高角をあげる(脳の)部位が活性化すれば、楽しいと感じると言い切ることができるか?

できない。

所与の反応として、楽しいと感じるときは、脳のほかの部位が楽しいと感じているのかもしれないのである。

楽しいと感じるときに働く脳の部位全部(から)高角をあげるときに働く脳の部位をひいたとする。 

楽しいと感じるときに働く脳の部位全部(から)降格をあげるときに働く脳の部位をひいた部位のことを、「引いた部位」と呼ぶことにする。

そうすると、ほんとうに、楽しさを感じさせているのは、「引いた部位」かもしれないのである。

楽しいと感じているときに、高角をあげる脳の部位が活性化する……だから、高角をあげる脳の部位が活性化しているのであれば、(人間は)楽しいと感じていると言えるのかというと、言えない。

言えるわけがない。

必要十分条件について考えようということになる。言えると思っている人は、必要十分条件だと思っているかもしれないけど、この場合は、必要十分条件ではない。

2026年8月21日金曜日

●「自分の常識」の範囲内で「家族」というものについて考えてしまう■騒音※2026/08/21 12:48

 「ヘビメタ」というのが、なにか、わらいを誘うようなところがある。そして、ヘビメタが好きな人は、割と多い。

そして、ヘビメタを聴きたくない人は、めったにヘビメタを聴かなくてすむ状態で、一生、暮らしている。

きちがい家族が夢中になって、きちがい感覚で鳴らし続けてしまうということを、経験した人は少ない。非常に少ない。そして、みんな、なんらかの「たいへんな思い」をしている。

たしかに、「自分だってくるしい思いをした」と言う人は、くるしい思いをしたと思う。けど、「自分だってくるしい思いをした」ということは、ヘビメタ騒音を無視していいという理由にはならないのである。

「自分だってくるしい思いをした」ということは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価していいという理由にはならないのである。

この人たちは、けっきょく、自分の家族によって……自分のかわった家族によって、ぼくと同等の騒音を経験させられたことがない。

きちがい兄貴は、かわっている。

よその人に話しても、よその人は、わからないのである。

それは、よその人に、親父のことを話しても、わからないのとおなじだ。よその人の家族とは、ぜんぜんちがうのである。そして、わかりにくいところで、ズレているのである。

このズレも、よその人は、ごく自然に無視してしまう。

「自分の常識」の範囲内で「家族」というものについて考えてしまう。

「自分の常識」の範囲内で「人間」というものについて考えてしまう。きちがい兄貴ときちがい親父はこの人たちの「常識の範囲内」の人間ではない。ぜんぜん、ちがう。

近所の環境を含めて、きちがい兄貴が、あの音で鳴らそうと思ったら、鳴らせた状態だったということが、でかいのである。

これも、盲点なんだよな。

よそのうちで、どの程度、きちがいヘビメタが聞こえていたのかわからないけど、普通の人だったら、もっと、もっと、文句を言ってきていい騒音だ。

騒音耐性が強い人や、うちに文句を言いにくい人たち?(できれば、騒音のことで、親父に文句を言いたくない人たち)がいたのである。

おかあさんが、超がつくほど、内向的な人で、普通の人ではないのである。

これも、よその人たちにとって、盲点なんだよな。

ともかく、近所の環境を含めて、きわめて特殊だったのである。庭とか、道路とか、幼稚園で、距離があった。ほかのうちは、きちがい兄貴の部屋から、距離があったということだ。

きちがい兄貴が、きちがい親父のように、きちがいなのである。どれだけなにを言っても、弟が自分の騒音でこまっているということを、認めないのである。

認識しない。

どれだけなにを言っても、きちがい親父のようにはねのけてしまう。

しかも、きちがい親父とおなじように、悪意がないのである。全力で……はねのけて、なかったことにしてしまう。

こだわって、こだわって、こだわりの音で、全部の時間を使って、一秒も譲らないで鳴らしているのだけど、本人は「まったく鳴らしたつもりがない」と思っているのとおなじ状態が成り立っているのである。

入学試験前日でも、まったく気にしないで、自分が満足できる音で、一秒も譲らないで鳴らしてしまうのである。

けど、それで、ぼくの入試を邪魔したつもりがないんだよ。これは、言われないからわからないのではなくて、一週間前から、何十回、何百回言われても、わからないのだよ。

こういうところで、きちがい兄貴は、きちがい親父そっくりで、普通の人ではないのである。

だから、そうなると、普通の人が、誤解をするようになるのである。

 

●きちがい的な意地を通せば、「鳴らせる環境」だったんだよな■騒音※2026/08/21 12:02

 なんか、いい考え方はないかなぁ。気が楽になるような考え方だ。きおもーーー。それ系の動画というのは、まったく役に立たない。

ぼくの場合、ほかの人とは状態がちがうんだよなぁ。それ系の動画は、むしろ、マイナスに働いてしまう。自分の文脈にそった……なんかの気が楽になる考え方が必要だ。

けど、今までなかったのだから、ないんだろうな。なんとか、やりすごすしかない。

まあ、実際、眠れるかもしれないし……。いろいろと、ほかの人にはないことが起こりすぎた。十数年間、毎日ずっと、家族が鳴らす騒音にたたられ続けるということも、ほかの人にはないことだ。あれで、すべてがくるった。気重なのである。

みんな、ほんとうに、軽く考えるけど、軽い問題であるはずがないだろ。きちがいヘビメタ騒音で、毎日生活が、くずれまくる。精神が破壊される。睡眠回路が破壊される。普通の生活体力が、完全に、なくなる。けっきょく、いまも、くるしい。

歯医者に行くだけで、死にそうな感じになっている。四八時間ぐらい、眠れない状態になるかもしれない。

ヘビメタ騒音が、ほんとうにくるしかった。俺の人生を考えると、ほんとうに、ヘビメタ騒音だけなのである。ヘビメタ騒音が鳴り始めてからは、ヘビメタ騒音だけだ。軽く考えるやつに、えらそうなことを言われて、なめられるというのも、きちがいヘビメタ騒音がはじまらなければ、なかったことなんだよ。

ほんとうに、きつい。これ、歯医者の予約は、ドタキャンになるかもしれない。遅刻云々も、試験前日から、まったく眠れない状態になるのも、きちがいヘビメタ騒音の影響なんだよ。けど、ほかのやつは、それを無視する。

ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴っていなかったら、そんなことになっていない。試験前はだれだって緊張するということは、言えるけど、ヘビメタ騒音があるのとないのでは、ぜんぜんちがうんだよ。

俺は、きちがいヘビメタ騒音が毎日鳴っている状態でなければ、試験前に普通に眠れた人間なんだよ。

ヘビメタ騒音の影響を無視するやつが、みんな、なめた態度になって、なめたことを言ってくるようになる。こいつらは、一か月だって、たえられない。

俺は、体力があるから、耐えられたんだぞ。

俺は、体力があるから、生きているんだぞ。

こいつら、ほんとうにまったく、なにもわかっていないな。

一日の「ヘビメタ騒音被害総量」というものが、ほかの人が考えているものとは、ぜんぜんちがうのである。

一生の「ヘビメタ騒音被害総量」というものが、ほかの人が考えているものとは、ぜんぜんちがうのである。

けっきょく、きちがい兄貴が普通の人ではなかったから、俺が、悪く言われるんだよな。

きちがい兄貴がきちがい的な意地を通せば、「鳴らせる環境」だったんだよな。

これも、普通なら、ありえない環境なんだよな。

そろいすぎている。ほかの人は、ほんとうに、まったく、なにも、わかっていない。

●回復可能な期間をこえて、やられたら、もう、もどれない■騒音※2026/08/21 3:40

ほんのちょっと、やる気になって、動くときはあるけど、そういう時間は、長くは続かない。

すぐに、エネルギーが切れてしまう。

なるべく、動ける時間を増やしたいのだけど、うまくいかない。

まあ、いろいろと、ありすぎたので、疲弊している。

あとは、腹がしくしくしているときは、だめだ。頭がもやもやしているときもだめだ。腹がしくしくして、頭がもやもやしているときは、なおさら、だめだ。最近、腹がしくしくして、頭がもやもやしている時間が、割と、長い。

どうしたものだ?

これも、どうにかしないとなぁ。やる気がない状態というのが、すごいんだよ。動きたくないという気持ちが、ひじょーーーーーーーに、強い。

こういうときに、無理やり動くと、あとでひどいことになる。無理をしてもいいことがなかった。

けど、長期ヘビメタ騒音がそういう状態をつくりだす。つくりだしていた。

なので、そういう期間が長かった。

もう、あともどりは、できない。

回復可能な期間というのがある。回復可能な期間をこえて、やられたら、もう、もどれない。

●一貫性がない■社会※2026/08/21 2:27

「こいつら」は、自分の理由で、働かない状態になったら、自分が働いていたときに、働いていない人に言ったことを、忘れてしまうんだよな。

あるいは、忘れなくても、「自分の場合は、これこれこういう理由があるのだから、働かなくてもいい」ということになってしまう。

介護離職だろうが、定年退職だろうがおなじだ。実際に、働かないで生活している状態になったなら、無職なんだよ。

だって、そうだろ……。働いていないのだから、無職だ。

定年退職だから、無職ではないなんてことにはならない。介護離職だから、無職ではないなんてことにならない。

働いていない人は無職なんだよ。

もちろん、不労所得だってある。カネが入ってくるかどうかと、働いているかどうかということは、別のことだ。

こいつらが、働いていたときに、無職者に対して言ったことを、こいつらは、忘れてしまっている。こいつらは、無職になったら無職になったで、えらそうなことを言う。

自分が働ているときとおなじ価値観をもっている。

いやーー。それなら、自分で自分のことを悪く言うかというと、悪く言わないのである。自分が無職なのは、ちゃんとした理由があるからいいのである。

ようするに、相手にはちゃんとした理由がないと思っていたのだ。

自分が働いているときは、働いているので『言う権利がある』と思っていた。

そして、相手には相手の理由があるということを、認めなかった。

ところが、自分の働けない理由や、自分の働かない理由は、働いていたときの感覚と地続きで、認めてしまうのである。

ようするに、こいつらは、ぬけぬけなんだよ。

一貫性がない。自分の場合は、自分の側の認知やメタ認知が成り立っているので、「ちゃんとした働けない理由がある」と思っている。

自分が無職なのは、問題がないことなのである。

ところが、自分ではない人が無職である場合は、「ちゃんとした働けない理由がない」と思っているのである。

「この人には、ちゃんとした働けない理由がない」と思って、さんざん、ひどいことを言う。

しかも、正しいことを言っているつもりだ。

ほんとうに、夜郎自大な幼稚な感覚が成り立っている。理論に一貫性がないのだ。

自分の場合は、ちゃんとした理由があると勝手に思い、人の場合は、ちゃんとした理由がないと勝手に思っているだけなのだ。こんな幼稚なやつら……。

きちがいヘビメタ騒音の連続で、実際に通勤して働くことができなくなると、こういうやつらが、クソふざけたことを言ってくるようになる。こいつらは、ほんとうにクソふざけたことを言っているのだけど、『正しいことを言っている』と思っているのだ。

ほんとうに、夜郎自大なバカ。こういうレベルの低い人が、「ヘビメタ騒音で働けなくなった」という理由を無視して、めちゃくちゃなことを言ってくる。

こいつらにとっては「ヘビメタ騒音(の連続)」は「ちゃんとした理由ではない」のだ。ふざけている。

こんなやつら……。こんなレベルの低いやつらが、俺に……好き勝手なことを言ってくる。これは、俺にとって、地獄だ。

きちがい兄貴が、きちがい的な理由で、きちがい的な感覚で、きちがい的なでかい音で、きちがい的な時間の長さ、きちがい的な期間の長さ、俺の生活を破壊するような音を鳴らし続けると、よそのバカから、クソふざけたことを言われるようになる。

これは、地獄だ。

こいつらは、ぼくに、ろくでもないことを言うことで、ぼくの「生きやすさ」を阻害している。

きちがい兄貴が、張本人だけど、こういうやつらだって、ぼくが生きにくくなる理由を、つくっている。ぼくが生きにくくなる理由を、生産している。

このクソふざけたやつが、無職になっても、自分が無職ではないときに、無職者に投げかけた言葉を、自分に投げかけることがないのだ。一貫性がない。ぬけている。幼稚だ。

まさに、夜郎自大。

こんなやつらが、どれだけ、多いか……。そりゃ、生きにくい社会になるよなぁ。

*     *     * 

ほんとうに、頭も、性格も悪いやつらだなぁ……。こいつらは、ヘビメタ騒音は、理由にならないと思っていたわけだからなぁ……。そして、こいつらの多くが、武勇伝を語りだした。

「俺だって、つらい」と言ったあと、武勇伝を語りだすのだ。

こいつらは、自分の武勇伝レベルのつらさだと思っているんだろうな。あるいは、自分自身における『武勇伝のつらさ』ほうが、エイリにおける『ヘビメタ騒音のつらさ』よりも、上だと思っているんだろうな……。

ほんとう……。これだけでも、めちゃくちゃに頭にくる。はらわたが煮えくり返る。

こいつらに、「それは間違っている」というとを言ったって、こいつらは、認めない。

きちがいヘビメタ騒音のことを、過小評価している。ヘビメタ騒音は無職の理由にならないと思っているんだよな。こいつら、なめくさりやがって。「そんなものじゃない」とどれだけ言っても、こいつらは、 頭も、性格も悪いから、わからない。

きちがい兄貴も、こいつらも、まったく理解しない。頭が悪いやつらだな。想像力がないやつらだな。「そんなものじゃない」とちゃんと説明をしているのに、想像力がないから理解できない。

相手の立場になって考える能力が、とてつもなく低いから、理解できない。

けっきょく、頭が悪いから、理解できない。

そりゃ、実際に、毎日毎日、頑固に、自分が鳴らせる時間は、すべて鳴らしたきちがい兄貴とは、ちがう。こいつらは、自分のうちでそんなことをやっていない。

けど、きちがいヘビメタ騒音の影響を無視するという点では、兄貴も、こいつらもかわりがない。

*     *     *

こいつらが死にそうなとき、枕元に立って、「人間は働くべきだ」と言ってやりたい。 

2026年8月20日木曜日

●きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地でやったということを、認めない■騒音※2026/08/20 5:50

バルサンでネズミを殺したときもある。これは、意図せずそうなってしまったのだ。

親父の部屋に、ネズミシートにひっかかった、ネズミがいた。

たぶん、バルサンのガスで死んだんじゃないかと思う。一回目の粗大ごみ処理のときに、粗大ごみ処理業者の人が、親父の部屋で死んでいた、ネズミを発見した。ネズミシートの上で死んでいた。

それとは、別に、ぼくがしかけたネズミシートの上に、バルサンをやったあと、ネズミがひっかかっているのを発見したことがある。

そのネズミは、バルサンの煙のなかで、生きていた。ぼくが、ネズミシートを見た時点で、生きていたので、『バルサンの煙で死ぬわけではないのか』と思った。

ともかく、バルサンの煙の中で生き残ったやつがいる。これは、事実だ。問題なのは、窒息させたことがひっかかるということだ。

これ、毒ガスで殺した場合は、そんなに、ぼくが気にしないのである。

ところが、最初のネズミを、袋の中に入れて、たぶん、窒息死させたことに関しては、気になって気になってしかたがないのである。

このあいだというか、数年前に、横の部屋にネズミが侵入したことがあるのだけど、そのネズミは、ネズミシートに、かるくひっかかってくれた。

ネズミは、ネズミシートを避けて通るので、よっぽど、急いでいるとき以外は、ネズミシートにかかることがない。急いで隠れようとしたときは、ネズミシートにひっかかるけど、ほかのときは、ネズミシートにひっかからない。

たぶん、ネズミシートの粘着剤のにおいに反応しているんじゃないかと思う。

ともかく、窒息死させたことは、気になる。いまでも、気になる。「窒息死はまずいんじゃないか」という気がするのである。

ともかく、横の部屋に出たネズミは、袋に入れて、袋をとじないで、袋にいれたまま、市のゴミ袋に入れて、ゴミ袋を出した。これができたのは、日曜日の午後一一時ぐらいにネズミを捕まえたからだ。月曜日の朝まで、市のゴミ袋ごと、外に出しておくことができた。

そして、三月だったので、まだ寒かった。

一日ぐらいなら、カラスにやられずにすむと思った。実際に、カラスにやられなかった。

ともかく、ネズミをいれた袋を密閉したことが、気になるのである。

穴をあけてやりたかった!!

空気孔をつくってやりたかった!!

けど、六月だったし、木曜日だったので、次の週の月曜日まで待たなければならなかった。

ネズミの死骸から出る、いろいろなものが気になった。もし、空気孔をあけて、その空気孔から出てくるものによって、ぼくが、病気になったら、ぼくは、後悔をすることになる。

白い半透明の袋に(ネズミシートごとネズミ本体を)入れたのだけど、そのときに使えるでかい袋がそれしかなかった。

空気がなくなって、くるしい状態で、白い半透明の袋を見ている状態を考えると、めちゃくちゃに憂鬱になるのである。

「だから、ネズミの侵入経路をふさごうと言ったのだ」……と思ってしまう。

「親父が入院したら、ネズミの処理句を俺がしなければならなくなる」と俺が親父に言ったとき、親父が「入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!」と絶叫したのだ。

けど、親父は、その数年前に、実際に、脳梗塞で入院していたのである。実際に入院したことがあるのに、「入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!」と絶叫する。自分は入院歴があるのに、「入院することはない」と言い切る。絶叫する。きちがいのように?絶叫する。顔を真っ赤にして、絶叫する。

そのとき、言いがちすれば、それでいいのだ。

こういうことが、このネズミ処理以外のときも、繰り返されてきた。親父は、むかしっから、そうなのである。ぼくが赤ちゃんのときからそうなのである。おかあさんの話を総合すると、ぼくがうまれるまえから、そうなのである。

兄貴のヘビメタ騒音について、親父に相談しても、親父がこんな状態だから、だめなのである。

けど、ほかの人は、「そんな音で鳴らしているのに、家族が文句を言わないのはおかしい」と思って、「ヘビメタ騒音が、エイリの言うほどでかい音で鳴ってなかったんじゃないか」と思うのである。

 これだって、そう思った人が、間違った推論をしているだけだ。けど、そう思った人に、ぼくがどれだけ説明をしても、そう思った人は、自分の最初の意見をかえないのである。最初に思ったことを、ぼくが説明したあとも、思っているのである。自分の考えが正しいと思っているのである。

ぼくが、そのひとに、ヘビメタ騒音の音のでかさ、ヘビメタ騒音の時間の長さ、ヘビメタ騒音の期間の長さと、兄貴の性格、親父の性格について、説明したとしても、その人は、信じない。最初にその人が思ったことを、説明を聴いた後も、正しいと思っている状態が続く。

ぼくの話には、不信感をもっているのである。ぼくに対しても、『言っていることがへんだ』と不信感をもつのである。

その人が、もっている、もともとの常識と、ぼくが説明したことのあいだには、乖離がある。その人にとっては、その人の自我の安定のほうが重要なので、自分のなかの常識をくずそうとしない。

だから、うちの親父やうちの兄貴がやったことというのは、基本的に、常識的な人には理解されない。ぼくが説明をしても、常識的な人は、ぼくの説明を信じない傾向が強い。

*     *     * 

ともかく、きちがい兄貴も、きちがい親父も、「そのときはねのければいい」と無意識的に考えてしまうところがある。

結果としては、どれだけやっていたって、やっていないことになってしまうのである。

きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地でやったということを、認めないということになってしまう。事実を認めない。

たとえば、きちがい兄貴は、実際には、ものすごくでかい音で鳴らしていたのだけど、きちがい兄貴は、自分がでかい音で鳴らしているということを現在進行形で常に認めないので、一三時間でかい音で鳴らしても、一三時間、でかい音で鳴らしたということになっていないのである。

自分(兄貴)は、自分がでかい音でずっと鳴らしたいなら、でかい音で鳴らしているといういうことを、否定して、鳴らしてしまうのである。

そして、自分がでかい音で鳴らしているということを、否定して鳴らしたということも、否定してしまうのである。

しかも、 悪意がまったくないということになっているのである。

こういうかたちで、自分がやりたいことを(実際に)押し通してしまうのに、本人は、常に、押し通したつもりがないという状態が成り立っている。

だから、やったってやってないのとおなじなのである。

弟が、反対するのに、自分がでかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしきったという気持ちがない。認識がない。

兄貴の自我は、自分がでかい音で鳴らしたということを認識していないのである。

兄貴の自我は、弟の言い分を無視して、自分が鳴らしたい音で鳴らしきったということを、まったくまったく、認識していないのである。

*     *     * 

でっ、兄貴のヘビメタ騒音に関しても、こういうことが成り立っているのだけど、親父が、魚の切り身を出したときも、親父がネズミシートで(自分が捕まえるから)ネズミ対策工事をさせないということに、こだわったときも、おなじ構造が成り立っている。

おなじ、心理的な構造が成り立っている。

時間経過的に、おなじ認識が成り立っている。

きちがい的な意地で、自分の「やりたいこと」を押し通すのだけど、押し通したという認識がまったくない状態になっている。

魚の切り身を、ほぼ一日中出しておくことにこだわったら、絶対の意地でそうするのだけど、そういうことをしたというつもりがないのだ。

俺が「魚の切り身を出しておくのはやめてくれ」と親父に言ったのだけど、きちがい親父のなかでは次男(エイリ)が、魚の切り身を出しておくことに反対したということになっていないのである。

なにも反対がなかったということになっている。

こういうやり方で、自分がやりたいことを押し通してしまう。

反対された場合は、正反対のことを絶叫したり、黙りこくって無視して、反対されたことをやり通してしまう。頑固にやり通してしまう。

けど、自分が、(相手の反対を押し切って)やり通したという気持ちがない。認識がない。

*     *     * 

きちがい兄貴は、自分が聞きたくない音をあの爆音で聞かされたら、おこるのに、自分が爆音で鳴らしているということを、最後の最後まで認めなかった。

ようするに、きちがい兄貴は、自分の音は普通の音だと思っていたけど、ほんとうは、自分が鳴らしたい音でなければ、音のでかさがわかる耳をもっていたのである。

これが、嘘くさいところなんだよ。これが、こまるところなんだよ。

みんな、わかっていない。

*     *     * 

兄貴も、親父とおなじやり方で、「認めるということを拒否」すれば、それですんでしまうのである。「やったってやってないことになってしまう」のである。

これも、ほかの人には理解できないことなので、ぼくが、ほかの人から誤解されることになる。

*     *     * 

ともかく、なぜだか知らないけど、「窒息死」させたことは、気になる。自分が密閉された白いドームのなかにいれられて、動けない状態で酸素がなくなっていく……というところを想像してしまうのである。 

窒息死する前に飢え死にしたと考えるようにしているのだけど、ぼくが、飢え死にしたのではなくて窒息したのではないかと本とは思っているので、あんまり効果がない。

『窒息死はだめで、飢え死にだといいのか』と思う人がいるかもしれない。

ぼくもそう思うところがある。なぜか、窒息死はダメなのである。

どのみち、ネズミが市のゴミ袋に入れられた時点で、そのネズミは、圧死するか、焼き殺されることが決まっているである。だから、「窒息死させたこと」にこだわるのは、へんなことなのである。

けど、どうしても、気になるのである。 

ああっ。こんなに気になるなら、空気孔をあけてやればよかった。

●「できたのだからできる」■騒音※2026/08/20 4:07

「人間ができることは、あなたにもできる」ということを書いたけど、人間ができることだって、個人個人で、できることがちがうのである。Aさんができるから、Bさんもできるとは限らない

Aさんができるということは、Bさんもできるということの、根拠にはなりえないのである。

ところが、Aさんができることだから、Bさんにもできるはずだという思い込みがある人が多い。

あるいは、「普通の人ができることは、あなたにもできる」という言い方もある。

「普通の人」がいったい誰を指しているのか、具体的にはわからないけど、ともかく、普通の人ができることは、特定のある人ができてあたりまえだという考え方をする人たちがいる。

たとえば、Cさんが普通の人なら、普通の人ができることは、Cさんにもできると勝手に仮定して考える人がいる。

けど、この仮定は、まちがっている。

普通の人……ができることでも、Cさんにはできないかもしれない。

普通の人ができるということは、Cさんにもできるということの根拠にはならないのである。

ところが、根拠になると思っている人たちが多い。

そして、おなじ人でも、状態によってちがうのである。Dさんが、普通の状態で、できることと、Dさんが睡眠不足で、つかれはてている状態で、できることはちがう。ちがうのだ。

ところが、「できたんだからできるだろ」と考える人たちがいる。

『できたのだからできる。……だから、つかれはてて、できないなんて言うのは、あまえだ』と考える人たちがいる。

Dさんが、普通の状態で、できたことは、Dさんがつかれた状態でできるとは、かぎらない。

ところが、「できたのだからできる」と考える人は、Dさんの状態に関係なくDさんは(これとこれが)できると勘違いしてしまう。

そして、言霊主義者は「できると言えばできる」と言う。

こんなのは、ひどい。

きちがいヘビメタ騒音というほかの人にはわかりにくいハンディを抱えていると、誤解をされるのである。

これ、誤解なのだけど、誤解をしたほうが、誤解だと思わない。

『できると言えばできる』と考えている人は、自分のことに関しては、認知とメタ認知が成り立っているので、『できると言ってもできないことはある』と思って、自分には『できると言えばできる』と言う考え方を適応しないことがある。

都合よく、適応する場合もある。『できると言えばできる』と考えている人は、自分が、適応する場合と、適応しない場合を使い分けているというとについて、一切合切の認識がない。

ようするに、意識的な自我は……常に『できると言えばできる』と思っている状態で暮らしている。

自分の現実的なことに関しては、『できると言ったってできないことはある』と考えているとしか思えない行動をするのである。しかし、他人のことは、他人のことなので、他人の側の「認知やメタ認知」が「自分」に成り立つわけではない。

だから、他人に関しては、容赦がない状態になる。

他人の抱えている条件がわからないので、他人の抱えている条件を無視して「できると言えばできる」と他人に言ってしまう。

言った本人は、正しいことを言ったと思って、疑問ももたない。

『できると言えばできる』と考えている人と、普通の人のあいだには、たいしたちがいがない。

他人を対象とした言霊理論と、自分を対象とした言霊理論は、ちがうのである。自分を対象とした言霊理論は、自分の認知とメタ認知が成り立っているところで成り立つ言霊理論と、自分の認知とメタ認知が成り立っていないところで成り立つ言霊理論が、ちがうのである。

認知とメタ認知が成り立っていないところで成り立つ言霊理論の場合、空想的な考え方になるのである。ようするに、夢や希望について語るときは、現実を無視した妄想的な言霊理論になる。

ともかく、他人を対象とした言霊理論の場合、他人の認知とメタ認知を無視できるのである。自分のことではないので、条件について、うまく考えることができない。

自分のことであって、なおかつ、現実的なことだと、意識してもしなくても、認知とメタ認知が成り立っているので、空想的な言霊理論が影をひそめることになるのである。

だから、言霊主義者は、他人に関しては、妄想的な言霊理論を語ることができるのである。そうすると、「できると言えばできる」というような発言を他人にはすることになる。

この場合、『できると言えばできる』のだから、その他人も『できると言えばできる』と思っているのである。他人の現実的な条件は、無視されがちなのである。

そして、普通の人たちも、言霊的な考え方をもっているので、『できると言えばできる』という考え方は、それほど、へんな考え方にはうつらないのである。

『できると言えばできる』と考えている人は、ほかの人が『できない』と言うことを、認めない傾向が強い。「できる」と言えば、できるはずなのだから、「できる」と言ってやればいいということになる。

他人のことに関しては、『できると言えばできる』と考えてしまう人がいる。そういう人たちは、自分のことを棚に上げて、他人に対しては「できると言えばできる」と言う。

他人ができないことを、認めないという傾向がある。その他人も「できる」と言えばできるのだから、「できる」と言って、やればいいという考え方をもつようになる。

そうなると、やらない他人は、ただ単に「できる」ということをしない、バカな他人になる。できると言って(そのことを)やろうとしない他人は、言い訳をしているだけなのだ……というとになる。

こういう考え方を基本的にもっている人は、ヘビメタ騒音でできなくなるということを、認めない。きちがいヘビメタ騒音状況下で……あることが、できないということを認めない人たちがいる。

特に精神世界にどっぷりつかっている言霊主義者ではなくても、普通の人は、言霊的な感覚をもっている。この人たちは、言霊主義者よりも、人数的に多い。

「きちがい兄貴の性格」や「きちがい兄貴の感覚」が、あまりにも異常だから、ほかの人は、きちがいヘビメタ騒音下の暮らしのことが、よくわからないのである。ほかの人たちが、ヘビメタそうおの影響について、普通に誤解をして、無理なことを言ってくるようになる。

普通の人は、実際に自分が、きちがい家族に毎日たたられているわけではないから、実際に、毎日どういう状態になるのかということについて、経験的な知識がないのである。

ヘビメタ騒音下で、できないことがあるということを、普通の人たちは、認めない。

そうすると、俺が、おいつめられるのである。

だから、「これこれこういうことがあって、こまるから、やめろ」「しずかにしろ」ということを、きちがい兄貴に必死になって、訴えかけるのだけど、きちがい兄貴の脳みそが、きちがい親父の脳みそと(その部分においては)おなじだから、きちがい的な感覚に基づいて、自分がやりたいぶんは、やってしまうのである。まえの文における、「自分」というのは、きちがい兄貴のことだ。

そうなると、ぼくが、一日中、たたられ続けることになる。

たたられ続けた場合の、体の状態というのは、普通の人が考えられる状態ではないのである。

だから、普通の人は、自動的にぼくのことを見下し、バカにするようになるのである。

その人たちに、ヘビメタ騒音のことを言っても、その人たちは、言霊主義者が言霊理論にこだわるように、自分の感覚(自分の常識)にこだわって、ぼくが言っていることを認めない。

理解しない。

わからない。

*     *     *

そう言えば……「過去は関係がない」と言うやつが、「できたのだからできる」と言う場合がある。「できたのだからできる」という発言の主は、「過去は関係がある」と思っているので「できたのだからできる」と言っているわけ。

けど、本人はぬけぬけなので、自分が言っていること同士の関係を無視してしまう。

これだって、指摘したら、たいていの人は、おこってしまうのではないか。

たとえば、「できたのだからできる」と言った人に、「あなたは、かつて、過去は関係がないと言っていた。矛盾しているのではないか」と言えば、おこってしまう確率が非常に高い。

その人が、おこったなら、おこったということは、「過去は関係ある」ということを意味しているのである。過去の出来事が、現在の状態に影響を与えるということを、意味しているのである。過去は関係がある。

*     *     * 

普段「言ったことが現実化する」と言っているのに、「過去は関係がない」と突然、言い出すやつもいる。

自分がどれだけ矛盾したことを言っているのか、ぜんぜんわかっていない。

「言ったことが、現実化する」と常日頃から言っている人が、突然、「過去は関係がない」と自信をもって言うのだ。いやーー。

『言った』ことが、現実化するんだろ。

過去は、関係があるということを言っているのではないか。いい加減、気がつけ。

これも、こっちが言ってしまえば、「揚げ足をとられた」などと言って、おこりだすことがある。

過去……。関係あるじゃん。過去の出来事が、現在の判断に影響を与えているだろ。現在の状態に影響を与えているだろ。

「揚げ足をとられた」と言ったら、言ったとたんに、それは、過去のことになるけど、「いい加減気がつけ」と言われたので、「揚げ足をとられた」と思って、「揚げ足を(相手が)とった」ということを言うわけだ。

過去の出来事が、そのあとの過去の出来事に影響を与えている。

「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」なんて、どの口で言っているんだ?

2026年8月19日水曜日

●ヘビメタ騒音のせいで、長年、短い睡眠時間で動いてきた■騒音※2026/08/19 19:43

飯を食べていたら、ピンポンが鳴ったので、宅配業者かと思って、ドアを開けたら、家関係の人だった。営業。

ところで、ぼくは、ちょっとでも、「やらなければならないこと」があると、精神がいたむので、いろいろと言ってこないでほしいんだよな。

じつは、「勧誘 お断りの」張り紙がとれてしまったので、勧誘もくるようになった。貼っておかないとなぁ。

けど、俺に役立つ情報ではあるんだよなぁ。

けど、いま、動きたくないわけ。

ともかく、動きたくない。

あんまり、刺激してほしくない。ただでも、歯医者のことで、入眠時間がずれるので、刺激をしてほしくない。

今日、眠る(はずの)時間から、だいぶずれている。

これは、これでやばい。

眠れる感じがしない。

なんか、意識が活性化した。眠れる状態じゃなくなった。家関係の対応をしていたら、眠れる状態ではなくなったということ……。

そして、明日は、ネットスーパーの受け取りをしなければならない。あとは、置き配指定ができなかった、荷物も届くことになる。

ともかく、そういうこまごまとしたことが、刺激になって、眠れなくなる。

一気に、一〇時間ずれてしまう。

一日に一時間ずれるような計画でやっているので、やばい。

歯医者でも内見でも、人がかかわることは、いやなんだよ。

ほんとうは、ものすごく、いやなんだよ。いやなんだよ。

なんか、いろいろと気になって、眠れなくなる。 

*     *     * 

あのあと、ちょっとだけ眠れた。

とりあえず、起きて、水分補給をしているけど、あと、五時間ぐらい眠れればいいのだけど、うまく、いかないと思う。

これだと、ちょうど、強烈に眠たいときに、歯医者に行くということになる。

「ともかく、動きたくない」というのが、はっきりした。日時を決められて?人にあうというのが、いやだ。もう、病的にいやだ。ものすごいストレスになる。

ともかく、動きたくないんだね。

この気持ちを殺して、生きてきたけど、もう限界なんだね。

ストレスが……睡眠と腹にあらわれる。

目覚ましをかけて、起きればいいでしょ」と考える人がほとんどだと思うけど、目覚ましをかけて、起きて、動いてきたから、ダメになっている。

ほんとうは、動きたくないのに、ずっと、目覚まし時計?(目覚ましアラーム)で起きてきて、めちゃくちゃな状態になったということだ。

長期ヘビメタ騒音期間中は、おかあさんが起こしてくれたのだけど、けっきょく、眠れない状態で、本来眠るべき時間……ヘビメタ騒音が鳴っていなかったら普通に眠れることができた時間……ずっと、起きていて、わずかな時間……眠った?あと……おかあさんに起こされて、学校に行っていた。

そのときの無理が、ずっとずっと、たたっている。長期ヘビメタ騒音のせいで、高校三年生のときには、もう、限界をむかえていた。

睡眠相(睡眠リズム)を乱されて、短い睡眠時間で、暮らしていたのだけど、それが、いろいろなことに影響を与えている。

でっ、無理やり起きて、動きたくないのに、根性で動いていた経験が、今の状態をつくりだしている。

きちがい長期ヘビメタ騒音のせいで、長年、短い睡眠時間で動いてきた。

それがでかい。睡眠不足のまま、根性で起きて、動いていた……。七年以上そういう生活をした。七年目以降も、ヘビメタ騒音が続いた。ヘビメタ騒音で、睡眠リズムが、こわれた。

その原因が、高校を卒業したあとも続いた。けっきょく、ずっと長い間、きちがいヘビメタ騒音のせいで……きちがいヘビメタ騒音が原因になって……無理やり起きて、無理やり動くという状態が続いていた。

限界をむかえたあとは、それがなおらない。

「元気だ元気だと言えば元気になる」というような状態じゃない。

「眠れると言えば眠れる」というような状態じゃない。

「起きられると言えば起きられる」というような状態じゃない。

きちがいヘビメタで、夜、眠るべき時間に、眠れないまま、夜をすごした。

これが問題なんだよ。

まあ、朝になってしまったわけだけど……。明るくなってから、眠って、すぐに起こされる日もあったということ……。

毎日こんな状態が続いて「元気だ元気だと言えば元気になる」と……どや顔で言われたときの気分は……「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っている人にはわからないのだろう。

そういうトラブルが(しょっちゅう)しょうじる。

これは、なにも、言霊主義者とぼくのあいだのトラブルに限定した話ではない。

ごくごく普通の人……ごくごく普通の経験をもった普通の人と……ぼくのあいだに、言霊主義者とぼくのあいだに発生したようなトラブルが、ごくごく普通にしょうじる。

ごくごく普通の経験をもった普通の人は、きちがい兄貴のことも、きちがい兄貴が鳴らす、きちがい的な騒音のことも、わからない。

経験がないからわからない。

人の立場になってものごとを考えるということについて、普通の人は、普通の能力しかもっていないので、わからない。

ぼくが言っている「ヘビメタ騒音生活」がどういうものか、ごくごく普通の経験をもった普通の人には、わからない。

ごくごく普通の経験をもった普通の人が、普通に想像しても、「きちがいヘビメタ騒音によって、不可避的にしょうじること」について、想像することができないので、「きちがいヘビメタ騒音によって、不可避的にしょうじること」について、誤解をする。

基本的に、普通の人たちは……いつも、誤解をする。

あるいは、きちがい兄貴の性格について、うまく想像することができないので、「ちゃんと言えば、しずかにしてくれる」と間違った想像をしてしまう。

「そんなの、お兄さんに言えばいい」「ちゃんと言えば、しずかにしてくれるよ」と言う人には、きちがい兄貴の状態が、まったくわかっていない。

けど、俺がここに書いたようなことを説明しても、相手は(かなりの高確率で)不機嫌になるだけで、俺が言ったことを認めない。

*     *     * 

たゆまない努力の結果、ぼくは、小学校生活、中学校生活、高校生活をおくることができたのだけど、ヘビメタ騒音で、めちゃくちゃなんだよ。

ようするに、たゆまない努力をした結果、体が悲鳴をあげて、ぼろぼろになった。

これは、不可避的なことだ。

しかし、「過去は関係がない」と言う人は、不可避だということを無視している。

ぼくの努力を無視している。努力の結果、体が(普通の通勤生活)に対応できなくなったということを、無視している。

過去否定論者に限らず、言霊主義者、思霊主義者、引き寄せ主義者、ニコニコ主義者、努力主義者は、ぼくの努力と、努力の結果を、無視している。

不可避的に、体がダメになるという部分を、無視している。

本人らにとっては、体がダメになるような騒音生活を何年も何年も何年も何年も何年も何年も、毎日毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日毎日、経験したわけではないので、わからないのである。

想像の範囲外なのである。

けど、想像する。

そうすると「そんなのは関係がない」と思う。

そういうやつらなのである。

こいつらは、「ぼくの」ヘビメタ騒音生活を、誤解している。

こいつらは、ぼくの努力を踏みにじっている。

こいつらは、ぼくの努力の結果を踏みにじっている。

きちがい兄貴や、きちがい親父のように、無理解ぶりを発揮して、きわめて不適切な発言をしている。きわめて不適切な発言をした。

でっ、ぼくが、ちゃんと説明をすれば、この人たちがわかってくれるかというと、そうではないのである。

この人たちは、ぼくが、「ちゃんと説明」をしても、わかってくれない。

基本的にわからない。

実際に経験していないから、よっぽど、想像力がある人じゃないと、わからない。

その人たちは、どうしても、常識的な考えにとらわれて、想像することになる。そうすると、夜郎自大な、間違った想像をすることになる。

言霊主義者も、じつは、常識的な人たちなのである。

言霊主義のベースには、幼児的万能感がある。幼児的万能感は、普通の人がもっている、幼児的万能感なのである。

だから、言霊主義者的な万能感というのは、普通の人にもある。

言霊主義者は、普通の人よりも、多少、幼児的万能感を強くもっている人たちなのである。

ベースでは、普通の人も、幼児的万能感に従って、いろいろなことを考えることがある。

だから、普通の人にとって、言霊理論というのは、なじみがないものではないのである。言霊理論は、感覚的には、普通の人にとって「なじみ深いもの」なのである。

ともかく、普通の人たちは、ヘビメタ騒音のことを理解しない。

きちがいヘビメタ騒音生活がどういうものなのか、わかっていない。

ヘビメタの音は、ぼくにとって、一番苦手な音なんだよ。

あの音が、至近距離で、爆音で鳴っていた。一日に、何時間も何時間も鳴っていた。きちがい家族が鳴らしていたから、どれだけ言っても、ずっと鳴らしていた。

このことが、一日影響を与えないわけがないだろ。ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音「で」宿題をすることができないのに、ほかの人から、宿題をやってこないようなだらしがない人間だと思われる。

ほんとうに、ヘビメタ騒音でできないのに、ほかの人は、ヘビメタ騒音でできないということを認めない。

「宿題」に成り立ったことが、ほかのことにも成り立つ。

不可避的にできくなるのに、不可避的にできなくなるということを、ほかの人が、認めない。

こういうことが、この世での、ぼくの感じ方に影響を与えないわけがないだろ。

こういうことが、この世での、ぼくの人生に影響を与えないわけがないだろ。

まあ、これも、わからないか。

●エイリにとって不愉快な発言だということを、認めることはない■騒音※2026/08/19 3:24

自分がやられていないから、なんでもないことなのである。

自分が苦手な音で、自分がやられたことではないから、「そんなのは、関係がない」と軽く言えることなのである。

でっ、「そんなのは関係がない」と言われることは、ぼくにとって、不愉快なことなんだよ。

「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と言われることも、ぼくにとって、不愉快なことなんだよ。

「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」とも言われることは、ぼくにとって、不愉快なことなんだよ。

けど、こいつらは、自分の発言が、不適切な発言だとは思っていないのだよ。

こいつらは、自分の発言は、正しい発言だと思っているんだ。

俺が、どれだけ説明しても、こいつらが理解することは……現実世界では……なかったことなんだよ。ようするに、ぼくが説明したとしても、この人たちには、経験がないから、実際にやられたら、どういう生活になるのかということが『自分の現実』としては、わからないままなんだよ。

「ぼくの経験」の範囲で言うと、……こいつらは、自分の発言自体が……エイリにとって不愉快な発言だということを、認めることはない。

無理解ぶりを発揮して、「そんなのは、関係がない」「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と言ったって、別に悪いことをしたとは思えないのだよ。

俺がどれだけ、ヘビメタ騒音の影響について、説明しても、こいつらは「そんなのは、関係がない」「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」という自分の考え方が、正しいと思ったままなんだよ。

けど、間違っている。間違っているけど、自分がやられたわけではないので、知らない。実際にどうなるのかと言うことを知らない。経験的にわかっていない。

だから、経験するまでは、ずっと、「エイリがあまえている」とか「エイリが言い訳をしている」と思ったままなんだよ。

2026年8月18日火曜日

●ものすごい、時間泥棒なんだよ■騒音※2026/08/18 21:37

まあ、正直に言ってしまうと、いまは、一階にしかトイレがない。

だから、トイレに行くたびに、きちがい兄貴の部屋の前を通ってしまう。当然、きちがい兄貴の部屋のふすまが、見える。これ、ふすまなんだよ。

ふすまがちょっとあいていて、あのふすまから、すごい音が流れ出していた。

もちろん、閉まっているときもあったのだけど、ものすごい音が流れ出していた。

ようするに、ビジュアル的に(ちょっとでも)あいていると……「閉めれば、ちょっとは音がちがうような感じがする」のだけど、実際には、閉めても、知覚できるほどのちがいはないんだよね。

けど、あのふすま……の風景は、きちがいヘビメタがガンガン鳴っている風景でしかないから、いちいち、不愉快な気持ちになってしまうのである。

期間の長さということを考えると一一(じゅういち)年間は、異常に長い。

ぼくが大げさに言っているわけではなくて、きちがい兄貴は、きちがいだから、「全部の時間」を使って鳴らしていた。

自分……きちがい兄貴が、エレキギターを弾き、ステレオでヘビメタを鳴らせるときは、「全部の時間」を使って、ヘビメタを鳴らしていたのだ。

だから、これは、完全に、兄貴の都合で「うごいていること」なんだよ。

何時から何時までは、(鳴らせる状態でも)鳴らさないで我慢してくれということを、どれだけ言っても、きちがい兄貴が、きちがい親父とおなじ態度で、無視して、鳴らした。

この、普通なら、伝わることを、きちがい兄貴が無視して、(完全に)一〇〇%、きちがい兄貴が、鳴らせる時間は、すべての時間、遠慮することなく、鳴らしたということが、重要なんだよ。

きちがい兄貴は無視しているけど、すべての俺の「都合」をきちがい兄貴が、ガン無視したんだよ。

一〇〇%の勢いで、一〇〇%の意地で、一〇〇%時間、ガン無視して鳴らした。

「俺の都合を」きちがい兄貴が無視した。

実際に、きちがい的にでかい音で鳴らすということは、兄貴が「俺の都合」を無視しているということの、デモンストレーションなんだよ。

真っ向から、挑戦して、デモンストレーションしているわけ。

けど、一〇〇%やりきっている兄貴にしてみれば、まっくたそんなつもりがないわけ。

「俺の都合」……「弟の都合」を完全に無視して、自分が好きなように、「よそでは鳴らせないようなでかい音で」ヘビメタを鳴らしているという「意識」が……これまた、一〇〇%……完全に、欠落しているんだよ。

兄貴が俺の都合をまったくまったく考えていないということを、きちがい的な意地で表現しているんだよ。

鳴っている時間というのは、そういう時間なんだよ。鳴っている時間というのは、きちがい兄貴が、俺の都合を無視しているということを、デモンストレーションしている時間なんだよ。

もちろん、鳴り終わったあとも、影響を受ける。

だいたい、兄貴が鳴らしているあいだ、できなかったことが、兄貴が鳴らしていない時間に残ってしまうだろ。

それは、たとえ、兄貴の騒音で(俺の)体が影響を受けないとしても、ひどいことなんだよ。

無駄な時間をとられて……その間、「本当ならできたことがまったくできないことに」なってしまうのだから、ものすごい、時間泥棒なんだよ。

*     *     *

「この、普通なら、伝わることを」という言葉で表現したかったことは……でかい音で鳴らすと、相手(弟)がこまるのだから、相手の都合を考えて、鳴らすべき時間を考えて鳴らすべきだという考え方は、普通なら、伝わることなのに、まったく、伝わらず、相手(弟)の都合を、完全に無視して、すべての時間を使って鳴らしたということだ。

*     *     *

『一一年間じゃなくて一五年間なのではないか』と思う人がいるかもしれない。アパートを借りていた期間が四年間(足かけだと五年間)あるのだけど、ぼくがアパートを借りていた期間というのは、ぼくは、階段を使って(二階にある)自分の部屋に入ることがなかったので、一一年間であっている。

●こういう世界だったよ■騒音※2026/08/18 4:39

歯の治療が終わるまえに、完全な鬱病になってしまうよ。これは、やばい。ヘビメタ騒音がベースにある。

ぼくの全部が、ヘビメタ騒音でなくなってしまった。これは、ぼくにとっては、でかいことだけど、ほかの人にとっては、まったくでかくないことだ。小さいことだ。完全に無視できることだ。

よその人の話というのは、参考にならない。

まったく、参考にならない。

全部というのは、ヘビメタ騒音がなかったら、手に入れられたこと、全部、という意味だ。こういうことができた自分というのは、なくなってしまったんだよ。ヘビメタ騒音がはじまることによって……。

普通の気分がなくなってしまった。きちがいヘビメタ騒音にたたられる日々の憂鬱は、ほかの人にはわからない。しんどさも、ほかの人にはわからない。きちがい兄貴と、ごくごく少数の例外を除くほかの人は、「ヘビメタ騒音の影響」を無視するという点では、おなじなんだよ。

きちがい兄貴が、頑固に無視して、やりやがった。やり続けた。毎日毎日、こっちの状態を無視してやり続けた。そうすると、よその人たちも、ヘビメタ騒音の影響を無視するようになるのだ。こっちが言わなければもちろんわからない。

だから、言わない時点で、ヘビメタ騒音の影響を受けている身体で動いている「ぼく」は、よその人から、誤解をされる。これは、ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音がなければ、なかったことなんだよ。

ところが、ごくごく少数の例外を除くほかの人たちは、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」「人のせいにしている」と言いまくる。

こいつらは、みんな、影響を無視する。兄貴の騒音で「こうなっている」ということを認めない。兄貴の騒音で「できなくなった」ということを認めない。

兄貴の騒音が鳴っていないか、あるいは、兄貴の騒音がそんなにでかくないか、あるいは、兄貴の騒音がぼくの言っている通りだとしても、影響を受けないと考えているのだ。

そりゃ、あれだけの音でずっと鳴らされたら、どれだけ影響を受けないように頑張って頑張って頑張っても、不可避的に影響を受けるでしょう。けど、もちろん、そんなのは、証明できない。

「そんなのは関係がない」「そんなのは影響がない」という、くさったやつらが、くさったことを言う。言いまくる。えらそうに言う。

こういう世界だったよ。 

2026年8月17日月曜日

●怒りと憂鬱が同居したような状態になる■騒音※2026/08/17 23:58

親父が魚の切り身をずっと、テーブルの上に置くことにこだわって、部屋を悪臭で満たしたときから、もう、ずっと、ストレスがたまってしかたがない。

あれで、ネズミがきた。あれで、ネズミ対策工事が必要になった。あれで、ダニが発生した。あれで、ダニを処理する必要が発生した。あれで、ぼくの肌が(ダニに刺されて)きたくなった。あれで、業者の人を呼ぶときも、ネズミのばい菌やダニのことを気にしなければならなくなった。

ともかく、ストレスだらけなのである。そして、このあいだ……。四月にネズミが侵入してしまったのだけど、あれのストレスが半端じゃないのだ。一匹目を処理したときの、あのいやな感じがまだ残っているのに、次から次へと、どれだけ(対処をしても)ネズミが入ってくるようになった。

ともかく、並じゃない圧力を感じる。

感じた。

これ、ほんとうに、エネルギー消費が激しいのだ。かならず、反対の方向に動くきちがい親父に対する怒りがものすごかった。

しかし、親父を殴るわけにはいなかった。

けっきょく、俺が我慢することになる。これがものすごく、憂鬱なのだ。ストレスなのだ。

けっきょく、怒りと憂鬱が同居したような状態になる。

そして、庭のことなんだけど、庭でも、いろいろな虫に刺されることになる。刺されたあとが消える虫ならいいけど、あとが残る虫だと、俺は、気にする。

いま、腹がおかしいのだけど、これも、今年の四月から、(猛烈に)おかしくなった。

一度、なおったのである。押し麦を食べていた時、一度、腹の調子がよくなった。けど、いま、押し麦を食べても、なおらないのだ。押し麦の効果が出ない。

ともかく、歯のことが持ち上がって、つらい。

これ、決まった時間に行かなければならないというのが、俺にとっては、負担なのだ。ほかの人にはわからないと思う。

歯の治療をしても、このさきずっと、歯がもつわけではない。なんか、暗い気持ちになる。

ヘビメタ騒音がなければ、俺はこんなうちにいなかった。

ぜんぜん、ちがう。設定そのものがちがう。

ぜんぜん、ちがう。

●ものすごい、連鎖がある■騒音※2026/08/17 12:32

これ、むかし、書いたことがあるので、前後関係を省略して、書くけど……ぼくが、自分で「職業的なプログラマーだった」ということを、書いたわけではないのだよ。

本橋(仮名)さんが、「プログラムのほうは順調ですか」と、メーリングリストのメールに書いただけだ。でっ、これは、『あいからはじまるローマ字入力』の話なんだよ。

あれは、ウエブサイトで、プログラムではない。

けど、ジャバスクリプトを使って、プログラムを(ぼくが)書いた部分がある。だから、それを、本橋さんが、誤解したかどうかわからないのだけど、ともかく、「ぷろぐっのほうは順調ですか」と書いたわけ。

でっ、本橋さんが、ぼくのことをプログラマーだと思っていたのかどうかも定かじゃないのだ。本橋さんは、誤認したかもしれないけど、誤認していないかもしれない。

ただ、あんまり詳しくない人の目から見て、あれが、ウエブサイトなのか、ソフトウエアなのか、よくわからないという点があったと思う。

そして、プログラムを書いたのは事実だから、ぼくが、先回りをして「ぼくは、職業的プログラマーではありません」と書くわけにはいかなかった。

ただ、「誤解をしているか、誤解を招く言い方をしたなぁ」とは思っていた。

けど、これだって、「本橋さんは、ぼくがプログラマーだと思っているかもしれないけど、ぼくはプログラマーではありません」というようことを書くと、相手の小さなミスを指摘したということになってしまう。

メーリングリストのメンバー全員に本橋さんがまちがったということを、知られてしまう。その場合、ぼくが、相手の些細なミスを、指摘したということになってしまう。

でっ、四人ぐらいしかあつまらなかった小さなオフ会をした。そのときに、もと、業界プログラマーの人がきた。とりあえず、こいつを、ディスクさんということにしておこう。ディスクさんは、もとプログラマーで、業界では名が知れた企業に勤めていたことがあった。

それで、その当時の話を(ぼくと)しようと思っていたらしいのだ。でっ、その行の出版物をぼくは持っていた。その企業のことも知っていた。

だから、ディスクさんが「じつは、むかし、名が知れた企業に勤めていたんですよ」と言ったときに、「そうですか」とこたえた。そうしたら、ディスクさんが、めちゃくちゃにおこって、「なんだとおぉ」という態度になった。

でっ、そのときに、ディスクさんが、ちゃんと、「自分は、あなたと業界のことについて話すことを楽しみにしてきたのに、そうですかと、軽く言われて、傷ついた」ということを言ってくれれば、ぼくは、「いや、ぼくは、職業的なプログラマーだったことはないんですよ」とこたえることができた。

けど、そのときは、自分がなんで、おこったかということを、言ってくれなかった。あとで、メーリングリストで「なんで、昨日、業界の話にのってこなかったんだ」ということを、書いてきた。

だから、そのときに、「ぼくは、職業的なプログラマーだったことはありません」と言うことを書いた。そうしたら、ぼくが、ディスクさんのことを、だましたということになったらしい。

ぼくは、メーリングリストでは、自己紹介のときに、ちゃんと、自分は、無職だということを書いたのだ。当時、書いた。だから、それを読まなかったやつが悪いのだ。

本橋さんは、ぼくのことをプログラマーだと誤解をしたかもしれないけど、これも、間違いを指摘したら指摘したで、ヘビメタ騒音の話を嘘だと思っている人たちが……「そんな小さな間違いを、わざわざ、みんなが見ているところで、指摘してぇ!!」と思うような感じがした。

まあ、それはわからないのだけど、本橋さんの誤解(間違い)を指摘すると、それはそれで、角が立つ感じがした。

そして、本橋さんですら、「プログラムのほうは順調ですか」と書いただけで、これだと、本橋さんが、ぼくのことを職業的なプログラマーだと思っているかどうかわからない。

ディスクさんが……『エイリは職業的なプログラマーだ。だったら、当時の業界話ができるにちがいがない』と勝手に思っただけなのだ。そして、ディスクさんと密に連絡を取り合っているもう一人のプログラマー(システムエンジニア)がいて、そいつも、「なにがヘビメタ騒音だ!!」と思うようなやつだった。

たぶん、そいつ自身がヘビメタをこよなく愛していたのではないかと思う。けど、これは、確証はない。ともかく、ヘビメタ騒音の話に、嫌悪感をいだいたやつで、俺のことが、どうも、好きではなかったみたいなんだよな。ディスクさんと密に連絡を取り合っているもう一人のプログラマー(システムエンジニア)のことを、有名さんと呼んでおこう。

この人が務めている会社も、べつに、業界の人じゃなくても、会社名を知っているような会社だ。だから、ディスクさんと有名さんで、なんか、俺の悪口を言って盛り上がっていたんじゃないかなと思う。でっ、ディスクさんが「俺(エイリ)と業界の話をして盛り上がろうと思っていた」というのは、それでも、たぶん、嘘ではない。

けど、そういう背景がある。

でっ、ヘビメタ騒音のことと、ヘビメタ騒音で通勤できないから、(いまは)無職だということを、ちゃんと、メーリングリストのメールに書いておいた。ぼくは、別に嘘を言っていないのである。嘘を書いていないのである。

ところが、「なんで、プログラマーじゃないと、書かなかったんだ」とディスクさんが文句を言ってきたのである。ようするに、本橋さんが「プログラムのほうは順調ですか」と書いた時点で「プログラマーではない」ということを書くべきだということを書いてきたのである。

ヘビメタ騒音『で』無職だと……こういうことに、なりがちなんだよ。

これ、ぼくに悪意があったわけではなくて、ぼくが実際にうそをついたわけではないのに、勝手に、誤解をしたやつが『どうして言わなかった?』ということを言ってくる。

まあ、「どうして書かなかったということを、書いてくる」ということなのだけど……。この手の不愉快なトラブルが、続出なんだよ。いきなり、おこらないで、「もとプログラマーじゃないんですか」とか「プログラマーじゃないんですか」と、訊いてくればいいだろ。

俺が、「そうですか」と言ったあとに、訊いてくればいいだろ。ところが、めちゃくちゃにおこって、訊いてこなかった。メーリングリストの会長というのが、五〇代の女性で、この女性は、「ヘビメタ騒音の話が嘘だ」と思っていたやつなんだよ。

こいつが、俺のこと誤解しまくって、「嘘を言う人だ」ということを、ひろめたやつなんだよ。俺は、ヘビメタ騒音のことについて、嘘なんて書いていない。

この五〇代の女性が、お局みたいな感じで、悪い噂を取り巻きに流した。

きちがい兄貴が、ほかの人が信じられないようなレベルで、ヘビメタ騒音を鳴らすと、ほかの人から、俺が誤解されることになる。

こういう、なんとも言えない……へんなトラブルが続出なんだよ。

これも、ほんとうに、きちがい兄貴が、普通の人が鳴らさないような音のでかさで、普通の人が鳴らさないような時間の長さで、普通の人が鳴らさないような期間の長さ、ヘビメタ騒音を鳴らさなかったら、発生しなかったことだ。

ものすごい、連鎖がある。

ヘビメタ騒音の話が嘘だと思うやつらや、ヘビメタ騒音の影響なんてないと考えるやつらが、次から次へと、誤解発言をするのである。

「そんなことじゃない」「影響がある」ということを言っても、こいつらは、認めない。

俺にとって、この世というのは、こういう世界だった。

●ヘビメタ騒音のことが、重く、のしかかっていた■騒音※2026/08/17 4:26

 今日、起きてから二回目のご飯を食べて、ちょっと、おちついた。腹の調子が悪い。一回目のご飯を食べたあと、腹がいたくなった。

いまは、なんとか、おちついた。いたくない。

しかし、いろいろと、つかれた。このさき、どうなってしまうのか?

歯や内臓を含めて、体のどこかが悪くなると、こまる。

けど、歳をとるわけだから、どこかが悪くなる確率が、高くなるわけだ。

そして、これまた、意欲がさがっているのである。意欲がさがっているというのも、問題だ。もちろん、そんなのは、ぼくの内部のことで、ほかの人には関係がない。

いろいろなことを思い出す。今日は、よくも悪くもないことを、何個も思い出した。ヘビメタ騒音後のことなので、やはり、ヘビメタ騒音で、よごれている。

そりゃ、楽しくはない。けど、特に悪いことではなかった。まあ、友達と話したというようなことだ。そのときの、木の状態や空の状態が、気持ちよかったのである。

光景がよかった。

けど、ヘビメタ騒音で汚れているので、楽しくはないわけ。

ぼく以外の人にはわからないことなのだけど、ほんとうに、ヘビメタ騒音で、「つまらない」状態になっている。「くるしい」状態になっている。

だれといるときも、いい光景に包まれていても、ある程度、つまらない状態なのである。

ある程度、くるしい状態なのである。

だから、別に、不愉快な会話じゃなくても、不安に包まれて、おもしろくなったわけ。

ヘビメタ騒音のことが、重く、のしかかっていた。

●「人間ができることは、あなたにもできる」■社会※2026/08/16 2:20

命題として考えた場合「努力をすれば成功する」という命題は、あきらかに、『偽』だ。

「だれも、努力をすれば、瞬間移動ができるとは言っていない」と思う人もいるかもしれない。

しかし、「努力をすれば成功する」という命題が『真』であるなら、自動的に「努力をすれば、瞬間移動をすることに成功する」という命題も『真』であるということになってしまうのである。

「常識で考えればわかる」と思う人もいるかもしれない。

この人たちが言いたいのは……「努力をすれば成功するということは、そういうことではなく、人間が努力をすればできることについて、努力をすれば成功すると言っているだけなんだ」ということになると思う。

「常識で考えればわかる」と言う人たちの多くが「人間ができることに限定した話に決まっているだろ」と思っているのだ。

しかし、「努力をすれば成功する」という命題は、「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という命題とはちがうのだ。

でかいでかい「ちがい」がある。

このちがいを無視して、気分次第で「努力をすれば成功する」と言うことは、あってはならないことなのである。

どうしてかというと、『間違いのバッファー』ができあがってしまうからだ。

間違いなんだよ。

そして、「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という命題も『偽』だ。

どうしてかというと、「あなた」という特定の人ができることと、「別の人」ができることはちがうからだ。

まえ、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことについて、話したけど、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことができる人間はこの世に存在するけど、だれもが、走り幅跳びで八メートル以上跳べるわけではないのだ。

多くの人間は、どれだけ、努力をしても、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことなんて、できないのだ。

「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という文を口にする人は、「人間ができることなら、あなたも、努力をすれば成功する」という意味で、その文を口にしているとする。

その場合、「あなた」は、「人間だ」だから、「人間ができることは、あなたにもできる」と思っているのだ。

「人間ができること」の集合は、その都度、選ばれているのである。

その都度、どんなことが選ばれても、「人間ができることなら、あなたは、努力をすれば(人間ができることに)成功する」という命題が『真』であると、気軽に、考えているのである。

しかし、これは、間違いだ。

ある人間にできることが、別のある人間にできるということは、保証されていない。

ある人間にできることでも、別のある人間には、できないことかもしれないのである。

つまり、「ある人間にできることなら、別のある人間にもできるはずだ」という思い込みが間違っているのである。

「努力をすれば成功する」という言葉が、どういう場面で、他人に対して発せられるかということを考えてみよう。

この言葉が発せられる場面というのは、「できない相手」に対して「できる」と言い切る場面で発せられることが多い。

ポジティブな意味をもつ場合もあるけど、たいていは、ネガティブな意味をもっている。

言われたほうは、「いやなこと」を押しつけられるのである。「できる」と「やらなければならない」はちがう。

しかし、社会の多くの場面では、「できる」ということを認めてしまうと、「やらなければならない(ことだ)」ということを認めてしまうことになる。

たとえば、ブラック社長が名前だけ店長に「努力をすれば成功する」と言う場合について考えてみよう。

この場合、「努力をすれば成功する」という言葉を、名前だけ店長が受け入れてしまうと、名前だけ店長は、自分が「もう無理だ」と思っているサービス残業をすることになるのである。

まさしく、過酷なサービス残業を「受け入れて」しまうことになるのである。

『成功する』という言葉を『なになにをすることに成功する』という言葉に置き換えると、『成功する』という言葉は、この場合、『なになにすることができる』と言葉とおなじように機能するのである。

『特定のなになにをすることに成功する』という言葉が意味する集合は、『成功する』という言葉がが意味する集合のなかに、含まれている。内包されている。『成功する』という集合のなかに、『特定のなになにをすることに成功する』という部分集合があるのである。

ポジティブな場合は、本人の夢や希望に関して、本人が、自発的に『努力をすれば成功する』と思うときだけなのである。

これも、社会のなかでは、上のものが、下ものになんらかのことをさせるときは、プラスに働く。

だから、労働をさせたい階層にとっては、「努力をすれば成功する」という言葉はプラスに働く言葉なのである。ようするに、過剰な奴隷労働をおしつけるときの「あまい言葉」になる。

ほんとうは、社会が「そういう圧力が高い状態」を目指さないほうが、社会のなかにいる「人間」の幸福度を高めることができる。社会のなかで「努力をすれば成功する」と頑張り続けると、かなりの高確率で、しっぺ返しを食らうことになる。

そして、社会のほうが、ダメダメな社会なので、かなりの勢いで努力をし続けないと、みじめな思いをすることになるのである。

みじめな思いをする人は、社会の一員だ。

ようするに、社会が「悪い社会」なので、「努力をすること」に対する圧力が、めちゃくちゃに高くなっているのである。

そして、すべてをかなぐり捨てて「努力をしても」……結果的にはあんまりしあわせになることができないのである。

すべてをかなぐり捨てなくても、かなりのことを捨てて、努力をしないとしあわせになることができず、みじめな思いをすることが決まっている社会というのは、よい社会とは言えない。

ようするに、「努力をすれば成功する」というような言葉がははやっている社会というのは、よい社会ではない。

そんなに努力をしなくても、あるいは、まったく努力をしなくても、しあわせに生活できる社会のほうが、よい社会だと言える。

 

2026年8月15日土曜日

●これは、無実の罪で、死刑宣告をされたに等しい■騒音※2026/08/15 17:04

 ヘビメタ騒音さえなければ……。

もう、だめだ。

だから……「やめてくれ、やめてくれ」と言っただろ。

「やめろ」と言っただろ。

うちの兄は……頭がおかしいから、自分がどれだけでかい音で鳴らしているか、わからないまま……ようするに、絶対の意地で、汚い手を使って認めないまま……普通の音を鳴らしているつもりで、すべての使える時間を使って、鳴らしたのだ。

やめてくれ、やめてくれと言ったのに……。

必然的に、不可避的に、一日がめちゃくちゃになる。

鳴らされている時間だけでなく、鳴らされていない時間も、鳴らされている時間の影響を受けて、めちゃくちゃになる。

入眠時間がズレれば……、俺がほかの人から、だらしがない人だと思われる。

宿題をやっていかなければ……いくことができないのだけど……俺が……ほかの人から、ダメ人間だと思われる。いまも、入眠時間はズレまくりだ。

入眠時間を調整しようとして、死にたくなったことは、数千回では済まない。数万回、入眠時間のことで、死にたくなった。

俺が……「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、ほかの人から言われることになる。

これが、どういうことだかわかるか。

わかるわけがない。

これは、無実の罪で、死刑宣告をされたに等しい。

どれだけくやしいか、「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言うやつには、わからない。屈辱……。ぶんなぐってやりたくなる。

「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを言っているやつは、言っているやつで、自分が、どれだけくそおろかなことを言っているか、わからない。

きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、きちがい的な意地で、よその人が、よそのうちではやられないことを、毎日やりきると……意地になって毎日やりきると……俺が……俺が、よそのひとから「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言われる羽目になる。

これ、どれだけ、腹が立つか、「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言っているやつには、わからないのである。

そして、こういうやつらが、みんな、「自分だって苦労した」ということを言う。みんなというのは、この場合、リアル世界で出会った人たちのことだ。

これも、どれだけひどいことを言っているか、言っているやつらは、わからないのである。

わかっていないのである。こんなの、ない。ほんとうに、全部が全部……こんなことになる。

あーあ。これ、どうして「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」という言葉が死刑宣告になるのか、ほかの人は、まったくわからないのだろうなぁ。

これ、別の言葉でいうと……「がんばって、自殺すればいい」と言っているのとおなじなのである。どうして「がんばって、自殺すればいい」言っているのとおなじなのか、ほかの人は、わからないのだろうな。

わからないのなら、ぼくと同等の苦労をしたことがないということになる。

「そんなのは、くるしんで、死ねばいいのだ」と言っているのとおなじだ。

きちがいヘビメタで、どれだけおいつめられているか、まったくわかっていない。

「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」と言うやつは、まったくわかっていない。

*     *     *

無実の罪は、誤解だ。ヘビメタ騒音の影響について、普通の人たちは……同等の経験がない人たちは……誤解をしている。

誤解をして、「関係がない」と思っているのである。

だから、「そんなのは、気にしないで、自殺をするまで、がんばればいい」と言える。

あるいは「そんなのは、気にしないで、死ぬまで、がんばればいい」と言える。

誤解をしている。

まったく、わかってないんだよな。

まったく、わかっていない。

 

2026年8月14日金曜日

●いやな思いをさせる■騒音※2026/08/14 17:50

きちがい親父が、俺にネズミを殺させて、俺にいやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺に遅刻をさせて、いやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺の勉強時間をうばって、いやな思いをさせる。

よその人が「そんなのは嘘だ(ヘビメタ騒音の話は嘘だ)」と言って、いやな思いをさせる。

よその人が「どんなに騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言って、いやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺の睡眠時間をうばって……俺に……いやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺の人生を台無しにして……俺に……いやな思いをさせる。

よその人が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言って……俺にいやな思いをさせる。

あれだけでかい音で、苦手な音が鳴っていれば、影響を受けるにきまっているのに、影響を否定するきちがい野郎が「関係ない」と言って、俺にいやな思いをさせる。

不可避的に影響を受けるということを、頑固に否定するやつらが、「影響はない」と言って、俺にいやな思いをさせる。きちがい兄貴が、きちがい的な頑固さで、使えるすべての時間を使って、きちがい兄貴が満足できる音で、ガンガン鳴らすと、自動的にそうなる。

必然的にそうなる。よそのやつなんて、自分がやられていなければ、影響を認めない。

空想世界で「できる」ことになっている。

どれだけ、苦手な音が大音響でずっとずっと何時間も何時間も鳴っていたって、自分は、影響を受けずに暮らすことができると思っている。

想像世界で、「どれだけ、自分にとって苦手な音が大音響でずっと何時間も鳴っていたって、自分は、勉強ができる」と思っている。

想像世界では「できる」ということになっている。

なら、「できない」のは、エイリが、悪いということになる。

エイリの能力が低いから、きちがい騒音下で、勉強をすることができないのだということになる。

そういう、前提が「できる」という話の背後にある。

こういう具合に、不可避的に影響を受けるということを「認めない」やつが、めちゃくちゃなことを言ってくる。

きちがい兄貴が、きちがい基準で、よそのうちではできないことを、やってしまうと、必然的に、そうなる。

よそのやつらが、なめてかかってくるようになる。

ヘビメタ騒音で「できなくなった」と言っても、よそのやつらが、ヘビメタ騒音の効果を認めずに、きちがい的な、アホなことを言ってくるようになる。

自分は、平気なつもりなのだ。自分は影響を受けないつもりなのだ。

こいつらが理解できないのは、ずっとヘビメタ騒音生活が続けば、いつか、通勤通学ができない体になるということだ。

何年間はたえて、生きていける。

けど、つもる。

つもりきって、できなくなる。


これが、わからないやつばかりだ。こういうやつらが「言えば言ったことが(言霊の力で)現実化する」と妄想的なことを言う。

妄想的な前提で「できると言えばできる」と言う。特に悪意はない。悪意はないんだよ。悪意がないから、こまるんだよ。

きちがい兄貴も、悪意があったわけではないのだ。

ただ、自分が思った通りの音で、鳴らしたかっただけだ。

そのあと、俺がどれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言っても、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で認めないのだ。きちがい的なしくみで認めないのだ。

このきちがい的なしくみで認めなというのは、親父にも成り立っている。

そうなると、「きちがい的なしくみで認めない」ということを理解しないやつらが、無理なことを言っている。

あるいは、「きちがい的なしくみで認めない」ということが理解できない人たちが、俺が言っていることを、嘘だと思うようになるのだ。

それりゃ、きちがい兄貴のしくみが見えないのであれば、俺が嘘を言っているように思っても、不思議ではない。

こいつらは、親父にもきちがい的なしくみが成り立っているということを理解していないので、「そんな音で鳴らしているのに、家族が文句を言わないのはおかしい(家族が、やめさせようとしないのはおかしい)」と考える。

だから、「エイリが嘘を言っている」と考える。

考える。考える。

こいつらの考え方は、こういう考え方なんだよ。

ところが、ぼくは、嘘を言っていない。

もう、この時点で、こいつらとの間に、溝ができる。

ちなみに、影響がないと考えるやつらが「そんなの関係、ない」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。

妄想的な言霊理論を信じているやつらが「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。

溝ができる。溝ができる。

●最後のいやなシーンしか思い出さない■騒音※2026/08/14 8:16

いやなことしか、思い出さない。

人がかかわっている……いやなことしか、思い出さない。

 

楽しいことだって、あったはずなのに、楽しいことは思い出さない。

 

なんか、楽しかったことは、嘘のように思える。女の子のことも、親友のことも、友達のことも、いいことも、いっぱい、いっぱい、あったはずなのに、最後のいやなシーンしか思い出さない。

仕事場の人たちのことも、いやなことしか思い出さない。

人間関係のトラブルしか、思い出さない。

きちがいヘビメタ騒音、以降、くるしい。

これ、ほかの人には、まったくわからないことなんだよな。ごく少数の例外である人たちも、けっきょく、自分のことじゃないから、経験的にわかっていることではない。

この人たちですら、兄貴の態度が、わかっているわけではない。

実際に、何時間も何時間も、勉強するべき時間にあびせられると……きちがい騒音をあびせられると、『次の日』の『日中』もめちゃくちゃになるのだけど、それがわからない。想像力がある人も、想像力がない人も、わからない。

どれだけ、切羽詰まった気持ちで、暮らしていたか……。

……暮らしていたか、ほかの人は、わからない。わかるわけがない。

影響?

でかいよ。

関係?

あるよ。

あの、ヘビメタ騒音の日々が、すべてをこわした。こっちは、きちがいヘビメタ騒音で、うまくいかない日々を抱えて、何年間も何年間も、何十年間も、ずっと生きてきた。

これ、わかるわけがない。

でっ、ヘビメタ騒音の後遺症を含めて、ぜんぜん治っていないのである。

だから、歯医者に行くのだって、ひと苦労だ。いまも、睡眠リズムが壊れているから、予約日までに睡眠時間帯の調整がつくかわからない。

でっ、睡眠時間帯の調整がつかないと、めちゃくちゃな状態で行くことになるのである。

そして、それがまさしく、前日、きちがいヘビメタを何時間も何時間もあびせられたあと、次の日、学校に行くときの状態なのだ。

*     *     *

でっ、たとえば、無職(状態)を抱えている状態だと、いろいろと、不都合なことがあるのだ。自己紹介ができない。

まともな自己紹介ができない。

「やばい部分」を抱えている状態で人と会わなければならなくなる。

ヘビメタを……自分がこの世で一番きらいな音を、ずっと、何年間も毎日、十数年間も毎日、鳴らされ続けたら、無職にならざるを得ないのだけど、それが、ほかの人にはわからない。

なんてったって、「関係、ない」「影響、ない」と言うやつばかりだからな。

なめられる。

「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」と言われる。

「自己責任だ」「健康管理をするべきだ」「人間は働くべきだ」と言われる。

「だから、ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているだろ」と(俺が)言ったって、相手は、聞く耳をもたない。大多数の他人なんて、そんなもの。

大多数の『よその人』なんてそんなもの。

*     *     *

一日目に、一五(じゅうご)年と一日目の疲労があるわけではないんだよ。累積した疲労は、問題だ。もちろん、抱えている本人にとって、問題だということだ。

「健康管理をしっかりしないやつが悪い」と言われたって、できないものはしかたがない。あんな状態で、健康管理なんてできるわけがないだろ。

「元気だ元気だと言えば元気になる」と言われたって、できないものは、しかたがない。「元気だ元気だ」と言ったって、元気にならないのである。

累積疲労をガン無視するやつが「言えば言ったことが現実化する」「言い方が悪いんだ」「現実化するまで、何回でも言えばいい」と言う。

そして、俺がきちがいヘビメタ騒音のことについて言えば……「俺だって困難があった」「俺だって疲れている」「みんなつかれている」と言う。

ところが、その人や、その人の言う「みんな」には、きちがい兄貴のようなきちがい家族がいないのである。

きちがい家族と一緒に住んだことなんてないのである。

きちがい家族が、きちがい的な感覚で鳴らしてしまう……「よそではありえない騒音」……を毎日経験して、暮らしたことがないのである。

ないのである。ないのである。

●「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」■騒音※2026/08/14 0:07

いろいろなことが思い浮かぶけど、全部、不愉快な思い出だ。「過去は関係がない」と言っている人は、まったく理解できないと思うけど、きちがいヘビメタがはじまった日から、ほんとうに、すべてが、めちゃくちゃにくるしい状態なのである。

「鳴り終わったら関係がない」……そんな、わけ、ないよ。

「一日のなかで、鳴り終わったら関係がない」という意味なら、まったく、ヘビメタ騒音がどういうものか理解していないね。壁が透明なら、「そこで」あのでかいスピーカーがガンガン、音をたてていた。

ものすごくくるしい。

無視できる音量じゃないのである。

「耳栓をすればいい」……。

爆音だと、耳栓をしても爆音なのだよ。脳内で、めちゃくちゃにでかい音で鳴っている状態は、耳栓をしてもかわらないんだよ。

逆に耳栓をすると、なんか、脳内の音が、強調される。耳栓ではなくて、思いっきり、両手で耳をふさぐということをした場合もおなじだ。耳栓と、思いっきり両手で耳をふさぐ場合は、だいたいいおなじぐらいの効果がある。

普通に言えば、音が小さくなる。

ところが、手にも、個体振動は、伝わってくるわけだし、密閉された状態で、「その音」だけを聴くような感じになる。

ほかの音はまったく鳴ってなくて、きちがい兄貴のきちがい音だけが、ガンガン、頭のなかに響くという状態になる。

まとめて言うと、爆音だと、耳栓をしても、両手で、思いっきり耳をふさいでも、爆音で聞こえる。

脳内に、「その音」がガンガン、ガンガン、ひびいている状態は、かわらない。

その日の健康状態に関係がないわけがないだろ。その日と次の日の「睡眠」に影響を与えないわけがないだろ。

そして、ほんとうに、宿題ですらできないのである。

宿題を忘れて?学校行けば、文句を言われる。そういうことも決まっている。だから、「宿題をするから、静かにしろ」と兄貴の部屋まで行って、何十回も、絶叫する。絶叫して、絶叫して、絶叫する。

けど、きちがい兄貴が、やめない。やめなくてもいいと思っているから、まったくやめない。ゆずらなくてもいいと思っているから、絶対にやめない。やめないのだ。

けど、普通の兄なら……普通の人なら……弟がいやがっているということがわかる。

ところが、きちがい兄貴は、弟がいやがっているということがわからない。

それから、普通の兄なら……普通の人なら……自分の鳴らしている音が、非常識なほどでかい音だということが、わかる。わからないなんてことはない。

耳が普通に聞こえるのに、わからないなんてことはない。

ところが、きちがい兄貴は、わからないのである。

これが、きたないところなんだよ。

親父とおなじやり方で、クソ兄貴が、現実を無視して、よその家では鳴らせないようなでかい音で、きちがいヘビメタを鳴らす。

きちがい兄貴にとっては、気持ちがいい音だから、ガンガン、ぼろくそにでかい音で鳴らさないと気分がないということになる。

きちがい兄貴の気分のために、俺が、常に、毎日、犠牲になったのだ。

ちなみに、俺は、兄貴に、普通の人なら絶対にわかるように、抗議していた。「ならすな」「ならすな」「しずかにしろ」「しずかにしろ」と一日に、何十回も、直接兄貴の部屋に行って、言っていた。

ところが、たとえば、女の人なのだけど……「お兄さんがこわかったんでしょ」「お兄さんがこわかったからしずかにしてと、言えなかったんでしょ」と誤解をした人がいる。

こわいとか、そういうことではなくて、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、こっちが言っていることを無視して、自分の世界に没入して、まったく悪いことをしているつもりがないまま、頑固に、エレキギターを爆音でひいて、ステレオを爆音で鳴らしていた。

こういうところで、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚をもっていると、俺が誤解をされるのだ。どれだけ、そういう誤解がつもるか。

「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」……と言ったやつもいる。

いやーー。自分が一番苦手な音が、あのでかさで鳴っていたら、宿題だってできないよ。

ものすごい音で、頭を殴られている状態で、考えることができない。そして、無理やり考えようとすると、頭がこんがらがるのである。簡単な問題ですら、できない状態になる。

そうなると、そういうことが、「家庭学習?」で、つみかさなってしまう。

できないという経験がつみかさなってしまう。こういうことだって大きい。

自分が、ほんとうに苦手な音が、ずっとずっと、身近な家族によってならされるている状態を、経験していないやつが……「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」……と言ったんじゃないかなと思う。

2026年8月13日木曜日

●経験がないからわからないだけ■騒音※2026/08/13 22:04

軽く書いておく。「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言う人たちではなくても、ヘビメタ騒音のことを、過小評価しすぎるのである。

そして、みんながみんな……ほんとうに、みんな……「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」ということを言う。

「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」という呪文を唱えると、ヘビメタ騒音の影響を無効化できるのである。

そして、実際に、ヘビメタ騒音レベルの騒音を、ずっと、やられ続けた……鳴らされ続けた……のとおなじレベルの経験をしたというとになってしまうのである。

家で、家族に、実際におなじことをされた……のとおなじレベルの経験があるということになってしまうのである。

ところが、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言っていることからわかるように、無理解ぶりを発揮しているだけなのだ。

想像力がないから、「それ」が、どんなことなのか、わからないのである。想像力がないから「それ」が、実際にどういう影響を与えるかわからないのである。

想像力がないから、わからないのだ。

まあ、根本的には、経験がないからわからないだけなのだけど……。同レベルの経験もないし、それを補うだけの想像力もないから、ガン無視しているレベルで、わからない。

わからないだけなのに、えらそうなんだよ。

*     *     *

もし、ほんとうに、同レベルの経験があるのであれば、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」ということは、口が裂けても絶対に言わない。

どうしてかというと、わかっているからだ。どうなるかわかっているからだ。どういう状態になるか、経験的にわかっているから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」とは、絶対に言わない。

わかっていないから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言う。 

2026年8月12日水曜日

●ネズミの「カサカサカサ」という音が、耳について離れない■社会※2026/08/12 22:54

 いやーー。ほんとうにつまらない。めちゃくちゃにつまらない。まあ、人に言ったって、わかるわけがない。ヘビメタ騒音で、すべてが、つまらなくなった。

いまは、なんか、ご飯を食べて、歯磨きをしてフロスをするだけで、時間がたっている。まあ、ところどころ、もやーっとしているけど、歯磨きとフロスの負担が半端じゃない。

フロスはできるなら、やりたくないけど、しかたがない。

奥歯用にY字フロスを買った。奥歯は、Y字で、それ以外はF字でやる。おカネは、気にしない。フロス用品代は気にしないということ。

あーー。しかし、つらい。つまらないだけではなくて、つらい。じつは、ふっと、ネズミを袋に入れて、窒息死させてしまったことを思い出して、つらい気持ちになった。

これも、しかたがないんだよな。

木曜日の午後に、ネズミシートにかかっているところを発見した。月曜日の朝まで、なまごみとして出せない。空気穴(空気孔)をあけてやりたかったけど、ハエが侵入して、ウジがわく可能性があったし、六月のなまあたたかい日だったから、寄生虫が気になった。

市のゴミ袋に、ネズミシートとネズミ本体が入っている袋をいれるときに、空気穴から出てくる空気と一緒に、なんらかの寄生虫や細菌が、ぼくの肺に入るのがいやだった。

空気穴をあけてやりたかった。それが、めちゃくちゃに、ぼくをくるしめる。

空気穴をあけてしまうと、においも出るだろうし……。空気校をあけるわけにはいかなかった。

けど、カサカサカサッと、ネズミが動いているのがわかったので、つらかった。

俺は、殺したくなかった。特に、窒息死はいやなのだ。ネズミシートについている時点で、死んでいる場合がある。これはこれで問題なんだけど、そっちのほうが気が楽だ。

だから、こういうことになるから、「ネズミ対策工事をしよう」と親父に言ったのに、親父が「俺(親父)がネズミシートで捕まえるからいい」と言って、ゆずらなかった。

これ、親父が、ネズミを引き寄せたんだぞ。

親父は、まったく、わかっていない。

自分が、原因をつくったということが、まったくわかっていないのだ。

これ、普通の人なら、わかって、反省するべきところなんだよ。俺に迷惑をかけたと思うところなんだよ。

ところが、そんなのは、一切合切、気にしないのだ。

そして、魚の切り身をほぼ、一日中、出したままにすることに、こだわっていたときのように「自分がネズミシートでつかまえる」ということにこだわったのだ。

魚の切り身をテーブルの上に出しておく必要なんてまったくないのに、きちがい親父が、きちがい的な考えで、ほぼ一日中、出すことにこだわってこだわって、どれだけ、俺が「やめてくれ」と言っても、親父が、その言葉を無視して、出しっぱなしにしたのだ。

親父が、魚の切り身を出すことをやめたのは、ネズミに、何回も、食われてしまったあとなのだ。自分が出しておいた、魚の切り身が、ネズミにくわれてしまうということを、経験するまでは、俺がどれだけ、「やめてくれ」と言っても、やめなかった。

これも、勝手に俺が片づけてしまうと、また、もめることになるからいやなんだよ。

兄貴のヘビメタ騒音も、きちがい親父が魚の切り身を出しっぱなしにすることも、おなじなんだよ。

けど、ここが、ほかの人たちにはわからない。俺には、わかりすぎるほどわかる。

ともかく、ネズミの「カサカサカサ」という音が、耳について離れない。

これ、じつは、片づけ関係の動画を視ていて、思い出したのだ。どこで、思い出すかわからない。

ネズミシートについていたけど、体全体がついているわけでなくて、足がネズミシートから出ている状態で、ついていたんだよ。

でっ、たぶんくるしいから、なんとか、逃げようとして、もがいていたんじゃないかなぁ。 「カサカサカサ」という音は、もがいているときの、音なんだよ。

あの音を聞くたびに、空気穴をあけてやったほうがいいんじゃないかと思ったけど、寄生虫やダニや細菌が気になって、あけてやることができなかった。

*     *     *

たとえば、親父に「このままだと、ネズミが入ってくるから、ネズミ対策工事をしよう」と言っているのに、「俺がつかまえからいい」と、また、きちがい的なことを言い張っているときに、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるかというと、楽しくならない。

なるわけがないだろ。部屋中というか、一階の部屋全部が、めちゃくちゃにくさい状態になっているから「くさいから、魚を出しっぱなしにするな」と俺が言ったのに、親父が「くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!」と、事実とは異なる嘘を絶叫していたときに、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるかというと、楽しくならない。

それなのに、言霊主義者は「楽しいと言えば楽しくなる」「これは、心理学の実験で証明された」と言い張るのだ。

「俺は楽しいと言えば、楽しくなる」「どんな状態だって、楽しくなる」「悲しいときや、つらいときほど、楽しい楽しいと言うべきだ」と言って、ゆずらない。

背後には「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という妄想的な理論がある。

その妄想的な理論は間違っているのだけど、言霊主義者に「こういう点で間違っている」ということを、こっちが言っても、言霊主義者は、頑固に認めない。

言霊主義者は、親父のように、へんなことをするわけではない。

けど、間違ったことを言い張る態度がちょっとだけ似ているんだよ。

頑固な態度がちょっとだけ似ているんだよ。

●悪魔がつくりだした「神側の考え方」が、精神世界の考え方だ■社会※2026/08/12 6:18 あとで消すかも

 軽く言っておく。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人は、他責思考になってしまうのである。

条件が悪い人は、条件が悪いから、不幸な出来事が起こりやすいのである。

別に、暗いことを考えていたから、暗いことが起こるのではなくて、所与の条件が悪いので、暗いことが(かなりの高確率で)起こるのである。

しかし、「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人は、「その人が、暗いことを考えたから、実際に暗いことが起こったんだ」と考えてしまうのである。

幸福な人のことは、せめないけど、不幸な人のことは、せめるように、なってしまっているのである。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人には、そういう思考がセットされてしまっているのである。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」という考え方の背後には「思えば、思ったことが現実化する」という考え方がある。

「言えば言ったことが現実化する」という考え方とおなじように、幼児的万能感を満たす考え方なのである。

幼児的万能感が強ければ強いほど、「思えば、思ったことが現実化する」という考え方が正しいと思い込むようになる。「思えば、思ったことが現実化する」という考え方も、「自分にとって都合がいい考え方」なのである。

自分が!思えば!!その通りになる!!!という考え方なので、自分にとって、とてつもなく、都合がいい考え方なのである。

思い通りになればいいのだけど、思っても、その通りにならない場合もある。それは、現実的な世界で、現実的な理由があるから、思った通りにならないのである。

自我にとって都合がいい考え方なので、受け入れやすい考え方なのである。

これも、本人が、本人のなかで、強く信じていればいいことであって、人に言うことではない。人によって、現実的な条件がちがいすぎるので、条件が特別に悪い人は「思ったって」思った通りにはならないのである。

どうしてかというと、条件が特別に悪いからだ。条件から発生する不愉快な出来事で、一日がいっぱいになってしまうときがある。

その場合、ほんとうにその人が悪いのかというと、その人が悪いとは言えない場合がある。しかたがない条件によって、不幸な出来事が発生してしまう場合がある。これが現実だ。

ところが、あくまでも、「その人が思ったことが現実化している」と考えると、その人の条件を無視して、「その人が思ったから、ダメなんだ」と思い込むようになってしまうのである。

これが、他責思考でなくて、なんだ。

しかも、的外れな他責に思考なのである。自分が明るいことを考えたので、明るいことが起こったと考えることは、別に悪いことではない。

しかし、他人が、暗いことを考えたから、その他人の身の上に暗いことが起こったのだと考えるのは、よくないことなのである。絶対に、よくないことなのである。

精神世界の考え方というのは、じつは、社会圧力をたかめる働きがある。かならず、上にこびて、下に(強く当たる)ということになってしまう。

そういう力動が常に働いている。どうしてかというと、たぶん、精神世界の考え方は、悪魔側の考え方だからだと思う。人々がより悪くなるように、最初から設計された考え方なのだ。

しかし、幼児的万能感が強い人たちは、精神世界の考え方が正しい考え方だと思ってしまう。普通の人たちは、精神世界の考え方が、基本的にもっているやばい部分には目を向けないのだ。

精神世界の考え方と書いたけど、これは、別に精神世界に凝っている人たちの考え方ではない。一般人が普通にもっている考え方なのだ。

手短に言うと、幼児的万能感を利用されて、悪魔に支配されている状態になってしまう。精神世界は、倫理や道徳と関係がありそうなので、神側の考え方だと思っている人が多いと思う。しかし、悪魔側が作り出した、神側の考え方なのだ。これに、気がつかないと、悪魔に思考を制御され、悪魔好みの働きをするようになる。

悪魔側が、神側の考え(に見える考え)をつくりだしているのだ。

しかし、その場合の神側の考え方というのは、悪魔側がつくりだした「神側の考え方に見えるような考え方」にすぎない。

これは、神側の考え方ではない。

自尊心と幼児的万能感を刺激されると、悪魔的な幻想を正しいこととして理解してしまうのだ。悪魔がつくりだした「神側の考え方」が、精神世界の考え方だ。

普通の人から見ると、悪魔側が作り出した「神側の考え方」は、「神側の考え方」に見えてしまうのである。けど、これは、幻想だ。ちがうのである。

条件が悪い人をせめる部分があるかどうかということを、指標として考えればよいのだ。条件が悪い人をせめる部分が(自分のなかに発生するなら)それは、悪魔がつくりだした「神側の考え方」に見える悪魔側の考え方だ。

条件の悪い人にどういう感情が発生するのかということを、リトマス試験紙のように使えばよいのである。

条件が悪い人に対して、悪い感情が発生してしまう考え方は、全部、悪魔が作り出した「神側の考え方」に見える、「悪魔側の考え方」だ。

2026年8月11日火曜日

●ほんとうは、努力をしたって、成功しないことはある■社会※2026/08/11 18:35

「努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文について考えてみよう。

「努力をすれば、成功する」という文が正しい場合、努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文も正しいということになってしまう。

「瞬間移動することに成功する」ということは、「成功する」という集合の中に含まれる。まあ、ただ単に「瞬間移動することに成功する」でもいいよ。

どんな方法で瞬間移動するのかは別にして、ともかく、「瞬間移動することに成功する」という集合は、「成功する」という集合の部分集合なのである。

努力をすれば、瞬間移動することに成功するのである。けど、努力をすれば、瞬間移動することに成功するだろうか。成功しないのではないか。

ほんとうは、努力をしたって、成功しないことはある。

ところが、「努力をすれば成功する」という言い方になると、どんなことであれ、努力をすれば成功するということになってしまうのである。

だから、「努力をすれば成功する」という言葉というのは、『言えば、言ったことが現実化する』という言葉とおなじように、妄想的な部分を含んでいる。

言霊という言葉のように、努力という言葉が、妄想的な信念を支える言葉になっているのだ。

基本的には、物理的にできないことであっても、「努力をすれば」できるような印象を与える言葉なのである。

じつは、印象を与えるだけではなくて、文だけを考えれば、物理的にできないことも、できると言い切っている言葉なのだ。

「することに成功する」のだから「できる」ことになる。努力をするということも、一意に決まらないし、成功するということも、一意に決まらない。

だから、無駄なのだけど、言っておくと……「努力をすれば成功する」という命題は、最初から『偽』だ。

努力をしたって、成功しないことがあるからだ。

そこで問題なのは、人々がどのようなことを「無理なこと」だと考えるかということだ。

別の言葉で言えば、人々がどのようなことを「可能なこと」だと考えるかということが問題になる。 

*     *     *

「努力」という言葉がオールマイティーカードのようにあつかわれているということは、以前、指摘した。「努力」というのは、身近で、なじみがあるタームなのだけど、実際には、妄想的で、呪術的なタームになってしまう。

たとえば、「努力をすれば成功する」という文のなかの「努力」というのは、妄想的で呪術的なタームになりえる言葉なのだ。もちろん、「努力をすれば成功する」という文において、「努力」というタームが妄想的で呪術的な意味をもたない場合もある。

しかし、妄想的で呪術的な意味をもつ場合もあるのだ。これが重要なのだ。

物理法則をこえることは、できないことだ。人間が物理法則にさからったことをしても無駄だ。ところが、「努力をすれば成功する」という文のなかでは努力をすれば、物理法則にさからったことをすることもできるということになってしまう。

物理的に無理なことでも、努力をすればできるようになるのだ。

努力をすれば、物理的に無理なことをすることに成功するということになる。

物理的に無理なことをすることに成功するという集合は、成功するという集合の部分集合だ。「努力をすれば成功する」のだから、物理的に無理なことでも、努力をすれば、成功するということになる。

*     *     *

ほかの人にとっては、まったく、関心のない話になるだろうが、基本的なことを言ってしまえば、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能ではないのだ。

こんなもの、ほんとうは、物理的に可能ではないと言ってしまいたいほどだ。

人間の体ということを考えると、人間の体をもつものにとっては、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能なことではない。

けど、実際に、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っていなかった人は、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないことが可能だと考えてしまう。

しつこい騒音を経験したことがない人は、これがわからないのである。

「家族なら、ちゃんと言えば、しずかにしてくれる」と考える人がいるのだけど、きちがい家族だと、ちゃんと言っても、しずかにしてくれないのだ。

だから、この考え方はまちがっている。家族だからという理由で、どんなに言われても、頑固に鳴らしてしまう人が、この世に入る。たとえば、うちのきちがい兄貴がそういう人だ。

●「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」■社会※2026/08/11 4:29

立場の低い人や条件が悪い人をせめる『しくみ』が成り立っている。この世というのは、ほんとうに、格差が激しい世界なのである。人によってぜんぜん条件がちがうのである。生まれた家の条件が、その後の一生を決めてしまうような世界なのである。

もちろん、例外的なことはある。

そして、いい家(うち)に生まれても、成長したあと、立場が低くなり、つらい思いをすることもある。

ようするに、その後の一生を決めてしまうようなところがあるにしろ、「落ちる側」には、レールがあり、ある程度の人が、いい家に生まれても、落ちていく。

しかし、だから、どういう家に生まれたのかということは、関係がないのかというと、関係があるのである。

その人の一生に関係があることなのである。どのようなうちに生まれたかということは、その後のその人の人生に、かなり大きな、影響を与える。

これが、基準だ。

「落ちる人もいるから、どういう家に生まれたかは、関係がない」というのは、暴論なのだ。

落ちるのはともかく、あがることについては、どういう家に生まれたかで「だいたい」のところは、決まってしまう。

これが現実だ。

「どういう家に生まれかということと、その後の人生は、関係がない」というのは、あまりにも、ゆがんだ考え方なのである。

あがる側については、「だいたい」のところが、生まれたうちで決まってしまう。

もちろん、例外は、多少はある。そして、多少の例外が物語として、伝わる。例外だからこそ、「価値」をもつのだ。

けど、これも、かなりつくられたところがある。ほんものは、数少なくて、にせもののほうが、多い。

にせもののほうが、圧倒的に多いのだ。

にせものの物語が、広く社会にいきわたるのは、人々が、集合的一括思考をしてしまうからだ。

条件が考えられているようで、じつは、条件が考えられていない考え方にそまってしまう。

これも、ある程度、誘導されているところがある。ようするに、支配者側が、そういう物語を用意して、宣伝するのである。拡散するようにする。

そうすると、文句を言えない人が、出てくる。「貧乏でも成功した人がいる」だから「貧乏だから、成功しないというのは、嘘だ」ということを言えるようになるのだ。

しかし、「貧乏」のレベルや、「貧乏以外の条件」をガン無視して、あたかも、「貧乏」という条件について考えたふりをしているだけだ。

理論的な思考ができない人は、これで納得してしまう。

こんなのは、おかしいことだ。

まえに、詳しく書いたのでここでは省略するけど、集合的一括思考は、間違っている。間違った推論をしている。

*     *     *

たとえば、「努力をすれば成功する」とする。その場合、どんな家に生まれても、努力をすれば成功するのだから、どういう家にうまれたかということと、その後の人生で成功するかどうかは関係がないということになってしまうのである。

努力をすれば成功するわけだから、関係がないということになる。なにに関して、成功するのかということを、自由に決められるのであれば、例外はあるかもしれないけど……基本的には……「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」ということになる。

ほかの条件はいろいろとある。

たとえば、裕福な家に生まれても、なんらかの病気になったら、なんらかの病気になったということの影響を受ける。いちおうは、家とは関係がないように見える要素だ。

けど、おなじ病気になったとしても、裕福な家に生まれた場合と、ど貧乏な家に生まれた場合は、やはり、人生がちがってくる。

まあ、いろいろな条件がある。

どういう家に生まれたかというのは、大きな条件のひとつだ。

言いたいことは、「努力をすれば成功する」という一見、無害な考え方が、不幸な人に圧力を加えるということだ。

そりゃ、「努力をすれば成功する」と思っている人は、どんな家に生まれ方かは関係ないと考えるだろう。努力をすれば成功するのだから……。

どんな家に生まれたよりも、努力をしたかどうかが成功するかどうかを決めるのだから、どんな家に生まれたかということは、関係がないということになってしまうのである。

あるいは、どんな家に生まれたかということは、成功するかどうかには影響を与えないというとになってしまうのである。

努力をすれば、成功する……のだから……そうなる。そう考える。

2026年8月10日月曜日

●「影響の見積もり」■騒音※2026/08/10 20:44

きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な感覚で、よその人がやらないことをやってしまう。

騒音で、よその人がやらないことをやってしまう。よその人が鳴らさないような騒音を鳴らしてしまう。

しかも、兄貴は「自分が、よその人が鳴らさないような音を出している」という自覚がない。

どれだけ言われても、認識がしょうじない。

つまり、どれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言われても、兄貴には、「自分がでかい音で鳴らしている」という認識がしょうじない。

だから、どれだけやっても、「やってない」とになっているのだ。

「やってない」なら、どうして、悪いことをしているという意識をもてるのだ?

「でかい音で鳴らしていない」という(現実をまっこうから否定する意識を)もっている。

もち続けて、現実的には、でかい音で鳴らしている。

鳴らしていた。

よその人は、自分の家族に、兄貴のようなレベルで、音を鳴らされ続けるという経験がないのである。人生において、そういう経験がないのである。

どうしてかというと、兄貴のような感覚の持ち主が、横の部屋に、家族として住んでいるわけではないからだ。

だから、よその人が経験しないことを、特殊な兄貴によって、経験させられてしまうのだ。

そして、それが、『毎日続くこと』なのである。

「うるさい」と言えば、「音のでかさ」に焦点があってしまうけど、じつは、「うるさい音でずっと毎日鳴らされる」ということが、よその人にはわからない影響を与える。

影響を与え続ける。

よその人がわからないのは、実際に自分が毎日、やられていないからである。実際に自分が毎日、そういう騒音にさらされていないので、実際に毎日そういう騒音にさらされ続ければ、「いやでわかることが」わからないのだ。

これは、よその人が、ぼく(エイリ)よりも、すぐれているということとを意味していない。これは、よその人が、ぼくよりも、騒音耐性があるということを、意味しているわけではない。

もちろん、ぼくよりも、騒音耐性がある人がいるかもしれない。けど、ぼくは、きちがい兄貴がヘビメタ騒音を鳴らす前から、でかい幼稚園の横に住んでいたので、騒音耐性があるほうなのである。

ぼくが、特別に騒音に敏感だったから、たいして大きな音で鳴らしていない、きちがい兄貴の騒音を、でかい騒音だと「さわぎたてていた」わけではないのだ。

ともかく、ぼくよりも騒音耐性が強い人は、いるかもしれないけど、たぶん、少ない。

そして、ぼくよりも、騒音耐性が強い人がいるということは、兄が、普通の音か、あるいは、小さな音で鳴らしていたということを、意味していない。

普通の人が、「わからない」のは、ただ単に、ぼくと同等の経験がないからだと思う。自分の問題でないからわからない。おなじレベルの体験をしたわけではないから、実際にどうなるのかということが、自分の体でわかっていないだけだ。

ようするに、よその人が、ぼくよりも、みんな!騒音耐性が強いので、ぼくが騒音だ感じる音のレベルの音を、騒音だ感じないというわけではないのだ。

みんな、実際に、経験したわけではないので、「影響の見積もり」について、あやまりがあるのである。

けど、兄貴のように、多くのよその人も、自分の「影響の見積もり」にあやまりがあるということは、認めない。

たいていの場合、頑固に認めない。

実際に経験がないからわかっていないだけなのだけど、影響を低く見積もるのだ。あるいは、影響を完全に無視する。

●相手の問題を軽く考えている■社会※2026/08/10 16:56

 言霊主義者は、他人の問題を『軽く考える』のである。どうしてかというと、どんな問題も『言えば解決すると思っている』からだ。

『言えば解決するような問題』なのである。

相手にとって、言えば解決するような問題じゃないとしても、言霊主義者のなかでは『言えば解決する問題』なのである。『言えば、解決する問題だ』と決めつけてしまう。

決めつけられたほうは、たまったもんじゃない。

どうしてかというと、『言っても解決しない問題』だからだ。

相手の問題を軽く考えすぎるという問題があるのだ。

「過去は関係がない」と言っている人たちも、相手の問題を軽く考えている。「どんな問題だろうが、過去は関係がないのだから、現在に影響はない」「影響はないのだから、気にしなければいいのだ」ということになってしまう。

こいつらの頭のなかでは、どんな問題も、現在に影響を与えない問題になってしまう。過去否定論者も、相手の問題を軽く考えている。

こういうやつらと、きちがい兄貴の相性が悪いのである。

あるいは、こういうやつらと、きちがい兄貴の相性がよすぎるのである。

こいつら……言霊主義者や過去否定論者は、俺のこまった状態を、過小評価して、妄想的なことを言ってくる。

しかも、自信たっぷりだから、「あなたの考え方には、問題がある」ということを言えば、かなりの高確率で、おこってしまう。

不愉快な思いをするのはこっちだ……。

きちがい兄貴も、じつは、自分のヘビメタ騒音が弟に与える影響を過小評価しているのである。

あるいは、完全に無視しているのである。

無視しているから、なんの悪気もなく、きちがいヘビメタを、(普通の基準で言えば)ものすごくでかい音で鳴らすることができる。

どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしてたって、弟が傷つくということはないのだから、やっていいことだということになってしまうのである。やったって問題がないということになってしまう。

きちがい兄貴のなかで……「気にするようなことではない」ということになってしまうのである。自分にとって都合よく……「どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、まったく問題がない」ということになってしまう。

兄貴のなかで……「どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、弟に負の影響を与えるということはない」ということになってしまう。

実際には、こういう感じ方が成り立つ前に、自分が鳴らしている音がでかい音だということを、意識的には認めないということが成り立っているので、半分正解で半分不正解だということになるのだけど、ともかく、きちがい兄貴としては、なにも悪いことをしているつもりがないのである。

なにも悪いことをしているつもりがない……という態度で……あるいは、なにも悪いことをしているつもりがない……という感覚で、悪いことをしてしまう。

きちがい兄貴に、どれだけ「これこれこういう理由でこまる」と言っても、理由なんてガン無視で、ともかく、鳴らすことは決まっているので鳴らすという態度で……世間的に言えば……めちゃくちゃにでかい音で鳴らしまくるのである。

どれだけ、兄貴とぶつかったって、きちがい兄貴が、悪いことをしているということを、精神レベルで、まったく認めないのである。……ちなみに、兄貴とぶつかるということは、ぼくが兄貴に「しずかにしてくれ」ということを言って、でかい音で鳴らしたい兄貴とぶつかるということである。

自分の出している音で、弟がこまっているということを認めない。

そして、じつは、自分が出している音が、世間的には、めちゃくちゃにでかい音だということを、認めない。

きちがい兄貴だって、ほかの音を、きちがいヘビメタレベルの音で鳴らされたら、一分間で発狂してしまうような音なのに、本人は、それに、気がつかないのである。

兄貴の聴力は、ヘビメタを鳴らすまえは正常だったので、この反応はおかしい。

おかしいけど、そうなのだ。「なんだろうが、自分が満足できる、でかい音で鳴らしたい」という気持ちがあると、「でかい音じゃない」「普通の音だ」ということになってしまうのである。

きちがい兄貴のなかで、「都合よく」そうなってしまう。

そうしたら、絶対にきかないのだ。

でっ、これとおなじことが、親父の脳みそにも成り立っている。

きちがい兄貴ときちがい親父が、おなじ種類の頭をもっているということが、じつは重要なのだけど、よその人は、理解しない。

まず、こういう脳みそをもっている人が、身近にいないので、こういう脳みそをもっている人の感覚がわからないのである。

だから、親父と兄貴のことに関しては、よその人は、ほぼ一〇〇%の確率で、間違った判断をしてしまうのである。

これも、気分が重たくなることなんだよな。

●本人が、おぼえているかどうかに関係なく、影響を与える■社会※2026/08/09 22:02

「過去の出来事は現在の状態に影響を与えない」という言い方のほかに「過去は記憶のなかにしかない」という言い方がある。

これも、おかしな話なのだ。

たとえば、Aさんが、Bさんを、一年前に殺したとする。Aさんが、Bさんを殺したということを、きれいさっぱり忘れてしまえば、Bさんが生き返るのかというとそういうことにはならない。

Aさんが、あるとき、Bさんを殺したなら、Aさんが、Bさんを(自分が)殺したという記憶をなくしたとしても、Bさんを殺したという出来事は発生したということになる。

Bさんがなくなったということが、事実なら、Bさんと関係があった人たちにとって、Bさんがなくなったということは、影響があることだ。

Aさんが、Bさんを殺したということを、完全に忘れたとしても、過去の出来事は、現在の状態に影響を与える。

「過去は記憶のなかにしかない」と言うけど、それは、どういう意味で言っているのだ?

記憶のなかにあるだけだから、過去の行動は、関係がないとでも言うつもりか?

記憶のなかにしかないことではなくて、現実世界で、実際やったことなら、その時点で、現実世界に影響を与えている。

影響がないわけではない。

たとえば、Aさんが三か月前に、一〇〇〇円の酒を買ったとする。

そして、Aさんが、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」ということを、完全に忘れたとする。過去は記憶のなかにしかないことだから、現在の所持金に影響を与えないとでも、言うつもりだろうか。

たとえ、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」という記憶が、完全にAさんの頭のなかから消えたとしても、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」という出来事が、現実の出来事なのであれば、現実の出来事が発生したということになる。

忘れるかどうかなんて関係がない。そのとき、実際に、そのことが起こった。起こったということは、起こったということなんだよ。

なんで、「過去は記憶のなかにしかないから、過去は関係がない」と言えるのか?

忘れてしまったとしても、結果は残っている。

本人が忘れてしまったかどうかに関係なく、やったことはやったことだから、やったこととして、影響を与える。

本人にとって、些細なことなら、特に記憶にも残らないと思うけど、記憶に残らないから(やらなかった状態)にもどるわけではない。

記憶をなくしてしまえば、やらなかったことになるのかというと、そうではないのだ。

出来事が発生した時点で、出来事が発生したということだから、出来事が発生したことによる環境の変化がしょうじる。

出来事が発生した時点で、その出来事が発生した結果がしょうじる。

時間の区分は大切だ。出来事が発生した時点の「時点」というのは、なんなのかということは、問題になる。

しかし、いずれにせよ、過去の出来事は、現在の状態に影響を与えるのである。

本人が、おぼえているかどうかに関係なく、影響を与える。

*     *     *

本人が、これこれこういうことをしたという記憶をうしなったとしても、記憶をうしなえば、やったことの効力が消えるわけではない。やったことの影響が消えて、やらなかった場合の状態もどるわけではない。

ところが、「過去は、記憶のなかにしかない」という言い方は、あたかも、本人が、忘れてしまえば、効力もなくなるような言い方なのである。

ある人が、なにかをやったとする。そうしたら、なにかをやったということになる。当然、やらなかった世界にはもどれない。記憶をうしなうだけで、あたかも、効力が無効化するようなことを言うな。やったことの影響がなくなるようなことを言うな。 

2026年8月9日日曜日

●矛盾を感じない■社会※2026/08/09 20:34

「過去は関係がない」と言っているやつらが、どういう意味で、「過去は関係がない」と言っているのか、よくわからないけど、「過去の出来事は、現在の状態に影響を与えない」という意味で言っているのならば、完全に間違っている。

問題なのは、こいつらが、自分のことに関してはちゃんと、過去のことを気にしているということだ。

気にしているだけではなくて、過去の出来事に、ちゃんと、反応しているのである。

こいつらは、自分の状態がわかっていないのだ。

自分が普段、どういう行動をしているのかということが、まったくわかっていない。

自分の行動に関しては、「過去の記憶」がちゃんとあるので、「過去の記憶に基づいて」行動しているのである。

たとえば、「過去は関係がない」という意見を批判されたときに、不愉快な感情がわいてきたとする。自分が「正しい」と信じていることを否定されたので、不愉快になったのだ。

「過去は関係がない」なら、「不愉快になる」ということもないのだ。

過去の出来事が、現在の状態に影響を与えないのであれば、「自分が正しいと信じていることを否定された」という、過去の出来事が、現在の感情に影響を与えることもない。

それだけではなくて、普段、こいつらは、「ここでおカネを使ったから、今月はおカネがたりない」などと、自分の過去の行いについて考えている。

これも、「過去の出来事が現在の状態に影響を与えている」ということの証拠なのである。

過去の行動が、現在の「財布事情」に影響を与えているのだ。

そして、こいつらは、それを自然に受けて入れている。

ようするに、こいつらにしても、ちゃんと、「過去は関係がある」と考えているのだ。さらに問題なのは、こいつらが、自分の普段の行動と、自分の「過去は関係がない」という確信(信念)のあいだに、矛盾がないと感じていることなのだ。

矛盾を感じない。こういうところでも、きちがい兄貴の態度と、なんとなく似ているところがあるのである。

そして、こいつらは、「エイリにおけるヘビメタ騒音の影響」を否定している……自分が否定している……ということについて、考えをめぐらさないのである。

きちがい兄貴の騒音はひどいので、「影響がない」と言われると、ぼくは、腹が立つのである。

ほんとうに、鳴らされているあいだもくるしいし、鳴らされたあとも、くるしいのである。

これを……こいつらは……真っ向から否定する。

しかも、否定しても、エイリが傷つかないと思っているのだ。

そりゃ、ヘビメタ騒音の影響を否定されたら、腹が立つだろ。こういうことも、まるでわかってないのだ。

こういうところも、兄貴とこういうやつらは、似ているのである。

こいつらにおいて、「過去は関係がない」という言葉で表現されていることは、「こだわるべきではない」とか「気にするべきではない」ということである場合がある。

ようするに、こいつらは、本人としては、まったく気にしていないけど「過去は関係がない」という言葉で「過去の出来事は、現在の状態に影響を与えない」ということと「(過去に)こだわるべきではない」ということを、表現している場合がある。

このちがいが、本人にとって不明瞭なので、本人は、まったく気にしない。

ひとつの言葉に、ふたつの意味をもたせて、場合場合で、「こっちの意味で言った」と言うということは、

こいつらには、よくあることだ。

「言えば、言ったことが、現実化する」というひとつの言葉に、「言えば言ったことが、現実化することもある」という意味をもたせたり、「言えば、すべての言ったことが、一〇〇%の確率で、現実化する」という意味をもたせたりする場合も、おなじだ。

こいつらは、最初から、あいまいなことを言っているのである。はっきり言ってしまうと、ひとつの言葉に二つ以上の異なった意味をもたせて使っているのである。

それなのに、自分がひとつの言葉にふたつ以上の異なった意味をもたせているということについて、無頓着なのだ。この場合、無頓着というのは、まったく、矛盾を認識していないということだ。

ほんとうにほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタは一分間持続しただけでも、破壊的な意味があるのに、それを、簡単に否定するのである。

しかも、否定された俺の気持ちについて、考えることが、一切合切ないのである。

俺が、そいつらに……「過去は関係がない」という考え方は間違っている……ということを、口にすれば……「なんだとぉ」という態度になって、俺に対して暴言を吐く。俺に対して支離滅裂なことを言いまくる。

まあ、もっとも、本人は、正しいことを言っているつもりだから、支離滅裂なことを言っているつもりは一切合切ないのだろう。

こういう人間に、なめられるのだ。こういう人間に、下に見られる。こういう人間にバカにされる。

きちがい的な兄貴が、「常識の範囲外」の騒音を「独自の感覚」で鳴らし続けると、こういうことになってしまう。

●こいつらの頭のなかでは……■騒音※2026/08/09 15:35

きちがい兄貴の「ヘビメタの問題」はほんとうは、でかいでかい、深刻な問題なのだけど、「よそのひと」には、でかいでかい、深刻な問題には見えないのである。

まず、ここに基本的な問題がある。

九九・九九%の人にとって、ぼくの「ヘビメタ騒音問題」は、でかいでかい、深刻な問題には見えないのである。 

だから、「どれだけ鳴ってたって、宿題ぐらいできる」「どれだけ鳴っていたって、通学ぐらいできる」「どれだけ鳴っていたって、通勤して働くことができる」ということになってしまう。

「やらないのだとしたら、エイリがさぼってやっていないだけなのだ」ということになってしまう。

自分なら、「どれだけ鳴っていたって、そのくらいはできる」という信念があるのである。

もちろん、これは、間違っている。

実験はできないけど、こいつらだって、きちがい兄貴のような家族が横の部屋に住んでいて、そのきちがい兄貴のような家族が「自分にとって一番、苦手な音」をずっと、ものすごい音で、鳴らしたら、宿題もできなくなるし、通学もできなくなるし、通勤して働くことも、できなくなる。

そして、通勤して働くことができなくなる状態になるまで、七年間毎日、(通学することが決まっている日は)通学したとしよう。

日曜や祭日、夏休み、冬休み、春休みは、通学しなくてもいいことになっているけど、日曜や祭日、夏休み、冬休み、春休みは、きちがい兄貴が、一日中、家にいることになり、一日のヘビメタ騒音が、のびてしまうのである。

一日に一三(じゅうさん)時間以上、きちがいヘビメタ騒音にさらされることになるのである。

だから、休みが休みではなくて、「症状」が悪化してしまう。きちがいヘビメタの影響で、体に症状が出るわけだけど、その症状が、休みの間になおるのではなくて、悪化してしまう。

しかし、やられていないやつらは、このことも無視する。

そもそも、平日は、どれだけヘビメタ騒音が鳴ってたって、「宿題ぐらいできる」「ちゃんと眠ることができる」ということになっているのだ……。こいつらの頭のなかでは……。

だから、それを前提に、ものを考えるのである。

2026年8月8日土曜日

●「そんなものじゃない」■騒音※2026/08/08 18:39

二回目の洗濯をしたあと、ご飯を食べた。二回目の洗濯をしたとき、相当につかれていたので、ご飯を食べたあと、横になったら、眠ってしまった。

眠るつもりはなかったのだけど、眠ってしまったようだ。

さっき、起きた。あーー。入眠時間が、ボロボロだ。相当に、ズレた。

ヘビメタ騒音の「超・不健康な日々」が睡眠回路と起きているときの気分を完全に破壊してしまった。

これは、おなじことをされたら、だれにでも起こることなのだけど、ぼく以外の人は、おなじことをされていないので、おなじことをされたら、おなじことが起こるということが、わからない。

ぼく以外の人には、わからない。

だいたい、入眠時間のことについて(ぼくが)言えば、言われた人は、入眠時間の問題だと思うだろう。

けど、起きたあとも問題なのだ。

この問題の深刻さがわからない。

わからない人ばかりだ。だから、「エイリの気がゆるんでいる」とか、「エイリがあまえたことを言っている」とかということを言うわけ。

その人たちはその人たちで、「眠い日」がある。

「朝起きたときにつらいと思う」ことがある。

あるのだけど、それは、普通の生活の範囲のなかで起こることなのだ。きちがいヘビメタ騒音が毎日ガンガンかなっている状態というのは、普通の生活の範囲内のことではないのだ。ヘビメタ騒音が毎日(あの音のでかさで・長時間鳴っている)ということは……鳴っているということ自体が、普通の生活の範囲をこえることなのだ。

これがわかっていないのだ。

そりゃ、だれだって、「眠たい日」はある。だから、エイリのヘビメタ騒音生活中やヘビメタ騒音生活後にしょうじた睡眠障害も、そんなものなのだろうと、思ってしまう。

そして、思ったということについて、まるで悪いとは思わないのだ。だって、正しいと思っているからな。自分の判断は正しいと思っている。自分の考え方は正しいと思っている。

どうやって、エイリに悪いと思うのだ。どうやって、反省するのだ。どうやって、自分の考え方は間違っていたと思うことができるのだ。ちがい家族によってももたらされる騒音について、わかっていないと、こういうところでも、ぼくの実感、あるいは僕の現実と、相手の考え方のあいだにズレがしょうじる。

ぼくの立場で言えば、「そんなものじゃない」のだ。

そんなものじゃない。

2026年8月7日金曜日

●自分のほんとうの欲求は、どんな汚い手を使っても、満たそうとする■騒音※2026/08/07 0:12

まあ、どれだけ、わかいころの体にもどりたいと思っても、もどれるわけではないね。

時間は、かえってこない。

けっきょく、ヘビメタ騒音にやられて、ほんとうに、普通の人にはわからないレベルの、苦痛を感じた。ヘビメタ騒音にやられて、ほんとうに、普通の人にはわからないレベルの、やるせなさを感じた。

これ、ほんとうに、しかたがないことなんだよな。

きちがい兄貴が、普通の兄貴だったら、普通に静かにしてくれるのに、きちがいだから、絶対の意地で普通の兄貴が鳴らさないような音で、ガンガン鳴らしていた。

でっ、一秒もゆずってくれなかった。一日に、一秒もゆずってくれなかった。

全部の時間を、自分が使うつもりで鳴らした。

きちがい兄貴は、きちがい親父のように、「相手が自分の行為でこまっているということが」ほんとうにわからない人間なのだ。

まったく、脳みそに入ってこない。そもそも、そういうことに対応した脳みそがない。だから、頑固にやりきる。頑固にやりきるけど、それで、相手が、こまっているということが、まったくわからないので、相手がこまるような行為を自分がやっているという意識が、まったくしょうじない。

普通なら、「うるさいからやめてくれ」「宿題ができないからやめてくれ」「遅刻するようになるかやめてくれ」「夜眠れなくなって、朝、適切な時間に起きることができなくなるからやめてくれ」と言われれば、理屈だけはわかる。

自分が、どれだけ(でかい音で鳴らしたくても)理屈だけはわかる。

ところが、だれもがわかるその理屈が、きちがい兄貴は、わからないのだ。すり抜けてわからない。何十万回言われてもわからない。一日に、何十回、言われたってわからない。

言われたときに、腹を立てて、(相手が言っていることを理解する前に)はねのければ、それで、終わっていることなのである。

相手が言っていることを「意識のレベルで理解する前」にはねのけている。けど、ほんとうに、理解していないのかというと、そうではないのだ。意識との……結びつきがないだけなのだ。

ほんとうは、理解したら、しずかにしてやらなければならなくなるから、理解しないという状態だ。ほんとうのことを理解したら、ほんとうに普通のレベルで、ちゃんと静かにしてやらなければならなくなる。

それが、絶対にいやなのだ。きちがい親父が、やっていることとおなじなのである。たとえば、ハンダゴテ事件のとき、普通の親なら、絶対に理解できることを、理解しなかった。

大の大人なら、知的な障害がなければ、絶対に理解できることなのである。

ところが、理解しない。理解してしまうと、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるからだ。それが絶対にいやなのである。

だから、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるようなことは、理解する前にはねのけて、わからない状態をつくってしまうのである。

無意識のレベルでは、相手が言っていることがわかっているから、そういう反応になる。無意識のレベルでは、もし、自分が相手の言っていることを認めてしまったら、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるということが、「わかっている」ので、逆に、意識のレベルでは、相手が言っていることを(真っ向から認めないで)きちがい的な自分の意見を絶叫して、相手の言い分をはねのけるということをするのである。きちがい的な自分の意見というのは、ハンダゴテのことなら、「使える!!」「使える!!」と絶叫する。

「そのハンダゴテは、(エレクトロニクス工作には)使えない」と言われたので、「使える!!」「使える!!」と絶叫したのだ。「使えない」と言われたので、「使える!!」「使える!!」と絶叫する。

親父の場合、竹事件でも同じことをしたんだよ。ただ、「ハンダゴテ事件」と「竹事件」だとちがうところがある。

絶叫したか、絶叫しないかのちがいだ。

緘黙方式のときも、頭のなかで起こっているとはおなじなのである。

でっ、きちがい兄貴も、ほんとうは、自分が鳴らしている音が「でかい音だ」ということがわかっているからこそ、「でかい音だ」ということを認めることを事前に削除してしまったのである。

無意識的には「でかい音で鳴らしている」ということがわかり、「相手がこまっていること」もわかるのだけど、それを意識レベルで認めてしまうと、実際に、自分が(不愉快に感じるレベルで)我慢しなければならなくなることがわかっているので、無意識的にはねのけて、意識には入り込まないようにしているのである。

意識には、入り込まないようにしたのである。

この過程が、無意識のレベルでおこなわれることなのである。

だから、意識的な自分……意識的な兄貴本人は、まったく、悪いことをしているつもりがないのである。

相手……ここれでは、弟のエイリが、どれだけ「こまっているからやめてくれ」と言っても、弟のエイリがこまっているという部分が、(意識のなかで)すっぽ抜けることになる。

だから、すっぽ抜けたことに関しては、一切合切、自分が関知していない状態になってしまうのである。

自分の行動だし、自分の行動について、言われたということがわかるのだけど、それを理解しているのは、無意識のレベルの兄貴なのだ。

だから、意識のレベルでは、自分の行動だし、自分の行動について、言われたということ……自体が……丸ごとすっぽ抜けことになる。意識レベルの兄貴にとっては、自分の行動について言われたいうことになっていないのである。

だれだって、絶対にわかることなのに、認めないのである。

普通は、耳が正常なら、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らせば、でかい音で鳴らしているということが、感覚的にわかる。

否定することができないレベルでわかる。

ところが、本人にとって都合よく、わからないことになってしまう。

だから、まるで気にしないで、ずっとやってしまうのである。

何十回、その日に「こまるからやめてくれ」「宿題をやるからやめてくれ」「次の日、起きれなくなるからやめてくれ」「明日は、中間テストだからやめてくれ」と言われたって、そんなのは、素通りなのである。

まったく理解しない。

ぜんぜん理解しない。

自分がやっている感じがしないので、自分に関係があることだと、どうしても、思えない。

きちがい兄貴が、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているのだけど、なにを言われても、それがわからない状態になってしまうのである。

こういう状態でやれば、相手がいやがっていることをやっているわけではないという(意識のまま)相手がいやがっていることを……相手が、たとえ、なにを言ってきても、認めずに……頑固にやりきることができる。

きちがい兄貴にとって、きちがい兄貴の高校生活と、浪人時代生活と、大学生活と、社会人生活は、そういう、生活なのである。

だから、何度も言うけど、悪気がないのである。悪気がまったくないまま、絶対に自分が満足できる音で、自分が満足できる時間、鳴らすということになる。毎日、兄貴は自動的にそうするということになる。

そして、きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじ頭をもっているので、「ゆずる」ということに関しては、おなじことをするのである。

これ、詳しく書いたことがあるので、今回は省略するけど、「ゆずる」ということも、きちがい的な感覚でゆずることになるのである。

ほんとうは、まったくゆずってないのに「ゆずってやった」と思える脳みそなんだよ。こんなことを、無意識的に?やる。

ようするに、ほんとうだったら、意地悪としてやるようなことを、ほんとうに、ゆずるつもりでやるんだよ。

たとえば、兄貴にとっては、〇・〇〇〇〇一デシベルだろうと、ゆずってやったら、ゆずったことになるんだよ。〇・〇〇〇〇一デシベルの譲歩なんて意味がないんだよ。〇・〇〇〇〇一デシベルゆずった音でも、ものすごくでかい音だから、ゆずってもらった意味が(こっちには)ないわけ。

けど、きちがい兄貴本人が、〇・〇〇〇〇一デシベルでも、しずかにしてやったら、それは、ものすごくゆずってやったことになるんだよ。

こういう態度になるんだよ。

自分が満足できる音で鳴らすということは、きちがい兄貴のなかで決まっていることなので、自分が満足できる音で鳴らすということを、維持したまま、ゆずるわけ。

そんなの、ゆずったことにならないのだけど、きちがい兄貴にしてみれば「ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!」ということになる。

これは、きちがい親父のハンダゴテとおなじなんだよ。きちがい親父がもってきたハンダゴテというのが使えないハンダゴテなんだけど、ハンダゴテをもってきてやったのだから、いいということになってしまうのである。

そのハンダゴテをもって行けばいいということになってしまうのである。親父としては、新しいハンダゴテを買ってやるカネを出すことが、意地でもいやなんだよ。

この部分に親父の行動は、対応している行動なんだよ。

兄貴の行動というのも「自分が満足できる音でずっと鳴らしきる」ということが、まず最初にあって、その部分に対応した行動をすることになる。

そうすると、〇・〇〇〇〇一デシベルゆずってやるということになる。〇・〇〇〇〇一デシベルゆずってやっても、自分が満足できるでかい音で鳴らす……という部分がくずれない。

この部分が無傷なままなのだ。

自分のほんとうの欲求は、どんな汚い手を使っても、満たそうとするのだ。

それが、無恣意的な過程でおこなわれることなんだよ。だから、「せっかくゆずってやったのになんだ!!」と言って、元の音にもどしてしまう。

けど、ゆずってやった音も、もとの音も、きちがい兄貴の耳をヘビメタ難聴の耳にするぐらいのでかさの音で鳴っているわけ。ものすごく、でかい音で鳴っているんだよ。

一秒間だろうが、ほんとうにしずかにしてやることは、ないのである。

「一秒間だろうが、ほんとうにしずかにしてやったら、負けだと思っている」というような感じで、きちがい的な意地を張って、しずかにしないのである。

けど、それが、無視行的なレベルで起こっていることだから、意識のレベルでは、そんなことをしているつもりがまったくないわけ。

ほんとうにゆずってやった気分になっているんだよ。

きちがい兄貴がゆずってやったと音というのは、よそのうちでは、一分間だって鳴らせないような音だ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。