多くの言霊主義者は、特殊な状態でくるしんでいる人が、『できると言えばできる』というようなことを言われた場合、どれだけいやな気持ちになるかわかっていないんだよね。特殊な条件というのがある。たとえば、きちがい家族の騒音だ。これが、普通の家族の騒音ではないのである。あるいは、普通の人の騒音ではないのである。きちがいだから、普通の人がやらないことを、きちがい的な意地でやってしまうのである。だから、まず、普通の人は、経験していないということがある。普通の人は、普通の家族と住んでいるから、きちがい家族にやられることがないのである。
でっ、きちがいヘビメタ騒音生活だけど、めちゃくちゃな生活なのである。あれで、憂鬱になるなというほうが無理なのである。しかし、言霊主義者は、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」というようなことを言う。「言ったことが、現実化するのだか、楽しいと言えば楽しくなるのだ」と思っている。悪意はない。しかし、どうしたって、憂鬱になる状態というのを無視している。
きちがいヘビメタ騒音生活が続けば、どうしたって、憂鬱な気分になる。不愉快な気分になる。楽しめない状態になる。不安になる。そして、腹が立つ。この、鳴っているあいだの「怒り」というのも、無視されるポイントなのだけど、「怒り」は重要なポイントなのだ。これですら、わからないのだ。「楽しい」と言えば、きちがいヘビメタ騒音が鳴っているあいだも、楽しくなってしまうのだ。そんなことはない。ところが、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」「これは、心理学的な実験で証明されたことだ」と強く言い張るのである。多くの言霊主義者が、強く言い張るのである。そのくせ、言霊理論が否定された場合、多くの言霊主義者は、おこるのである。言霊理論が否定されて、本人が起こっている場合、本人が「楽しい楽しい」と言って、楽しくなるのかということは、問題にならないのである。ぬけぬけだから、問題にならないのである。ヘビメタ騒音というのが、1秒間で、「自分が正しいと信じている理論を否定されたとき」の衝撃よりもでかい衝撃なのである……とぼくは思っている。ようするに、ヘビメタ騒音1秒間の怒りは、 「自分が正しいと信じている理論を否定されたとき」のよりもでかい怒りなのだ……とぼくは思っている。
ともかく、言霊主義者は、とてつもなくひどい条件下で暮らしている人の現実を無視してしまう。条件を無視し、現実を無視してしまう。条件から発生する、暗い現実を無視してしまう。そうすると、「相手が傷つくこと」を平気で言えるようになるのである。
これは、言霊主義者ではなくて、自己責任論者にも言えることだ。相手の条件を無視してしまうのである。いろいろな人がいるので、いろいろな条件があるのである。とてつもなくひどい条件下で暮らしている人の現実を無視して、現実的ではないことを言うのは、よくないことだ。これが、わかっていないんだよ。
たとえば、自己責任論者が、相手の条件を無視して「すべては自己責任だから、おまえの責任だ」と言うとき、自己責任論者は、別に、間違ったことを言っているわけではないと思っている。正しいことを言っていると思っている。しかし、条件によっては、その人(おまえ)の責任ではない場合もあるのである。頭がおかしい決めつけをして、相手をこまらせている。
条件が悪い人に、勝手に、責任を背負わせているということに、気がつかない。えん罪である場合もあるぞ。
言霊主義者も、自己責任論者も、相手の条件や相手の現実を無視した発言をしている。言われた相手は、不愉快になる確率が非常に高い。しかし、言霊主義者も、自己責任論者も、相手を不愉快にさせる発言をしたつもりがないのである。どうしてかというと、「正しいことを言っただけだ」と思っているからだ。