起きたら、眠るまえとは、別のいやなことが浮かんできた。かなり、腹が立つやり取りが、脳内で、再現されてしまう。そのときの感情がよみがえってしまう。
また、それとは別のことで、「あれは、言うんじゃなかったな」と思ったりした。
ほんとうに、ヘビメタ騒音以降、人とのかかわりあいが、きついのである。基本的にもめるようなことにしかならない。ヘビメタ騒音というのは、人間関係を破壊する。
きちがい兄貴が、普通のルールを無視して、頑固に、自分の意地を通して、悪いことをしているんだぞ。そして、無意識的なレベルで、自分が悪いことをしているということを認めない。
自分が、おなじことを(別の音で)やられたら、きちがい兄貴だって、一分で腹が立って腹が立ってたまらない状態になるのだ。自分がやられたら、ものすごく腹が立つことを、他人に、ずっとずっと、何時間も何時間もやって、平気だ。絶対に、「悪いことをしている」ということを認めない。
「自分がやられたら、腹が立つことだ」ということを認めない。こういう態度で、やりきった。これ、ほんとうに、自己暗示、自己催眠にかかっているようなもので、「認めないことになっているから認めない」という態度なのである。
自分だって、別の音で、あの音のでかさで、鳴らされたら、おこるにきまっている。別の曲を……自分が聞きたくない曲を、あの音のでかさで鳴らされたら、一曲が終わらないうちに、頂点に達するほど、腹が立つのだ。
だから、自分が聞きたくない音を、聞かされた場合は、音のでかさがわかるのである。けど、自分が鳴らしたい……思いっきり鳴らしたい……と思っていると、ものすごくでかい音が、小さな音に聞こえる、きちがい的な耳をもっているのである。
だから、気にしない。どれだけ言ったって、気にしない。きちがい親父のように気にしない。兄貴が、きちがい親父のように気にしない。兄貴が、きちがい親父のように気にしないで、自分の意地を通した。兄貴がきちがい親父のように気にしないで、自分の意地を通して、悪いことをした。
自分だって……ほかの音でやられたら、一〇秒で、発狂するほど腹が立つような音で、毎日、何時間も何時間も鳴らした。でっ、よそのうちには、こういう人がいないのである。よその人は、こういう家族にやられていないのである。よその人は、こういう家族に、騒音でやられていないのである。
だから、よその人にとっては、この問題は、問題ではない問題だ。そりゃ、よその人のうちまで、きちがい兄貴の騒音が聞こえるわけじゃないからな。よその人は、きちがい的な家族が、自己催眠で、悪いことをしていないと思い込んで、悪いことを、頑固にやりきる状態を、押し付けられていない。
音で!押し付けられていない。
だから、ほかの人は、経験していない。
だから、ほかの人にとっては、問題ではないのである。
そもそも、ほかの人にとっては、「うちのきちがい兄貴」の騒音は問題ではないのである。そして、そもそも、ほかの人にとっては、「同程度の家族」の騒音は問題ではないのである。
どうしてかというと、そもそも、鳴っていないからだ。
鳴っていないから、影響から免れている。
鳴っていないから、実際に影響を受けていない。これだけのちがいなのだ。実際に鳴っているから影響を受けるということと、実際に鳴っていないから影響を受けないということの差だ。
これ、能力の問題じゃなくて、鳴っているか、鳴っていないかの問題なのだ。
これを、ほかの人は、『能力の問題』だと思う。これを、ほかの人は、『人格の問題』だと思う。
もちろん、影響を受けているエイリのほうが「自分」より、「下」なのである。