2021年7月5日月曜日

「なりたいという意志」「才能」「環境」のみっつが重要……「言ったから」ではない

「まるまるになる」と言ったから、まるまるになったのかということについて考えてみよう。

精神世界の人たちは「まるまるになる」と言ったから、まるまるになったという言い方が好きだ。

たとえば、「イチローは野球選手になる」と小学生のときに言った。だから、イチローは野球選手になれた。……というような話をするのが好きだ。このあと、「だから、まるまるになると言えば、なれる」という話をするのだ。

ぼくは、野球にまったく興味がない。だから、どのくらいの数の小学生が、野球選手になりたいと思っているのか、まったくわからない。そして、「野球選手になる」と言った小学生のうち、実際に、野球選手になることができた人がどのくらい、いるのかわからない。だから、数字自体は適当な話をする。調べるつもりもないからだ。

たとえば、一〇〇〇人の小学生が「将来、野球選手になる」と言ったとする。そのうちのひとりが野球選手になれたとする。九九九人は、「将来、野球選手になる」と言ったにもかかわらず、野球選手になれなかった。なのであれば、「まるまるになると言うと、まるまるになれる」ということは一〇〇〇人のうち九九九人には成り立たなかったということになる。

だから、「イチローは野球選手になると言ったから、野球選手になることができた」という理論はまちがっている。「言ったから」ではないのだ。

イチローには、ほかの九九九人とはちがう才能があったのではないか。イチローには、野球の才能があったから野球の選手になったと考えるほうが自然だ。「野球の選手になると言ったから」ではなくて「野球の選手になれるだけの才能があったから」野球の選手になれたのでないか。

まあ、なりたいという意志は重要だ。

才能があったとしても、なりたいと思わなければ、ならないのだから、なりたいと思うことは重要だ。

しかし、なりたいという意思よりも、才能や環境のほうが重要だと思う。精神世界の人は、なりたいという意志だけを重視して、才能や環境は無視してしまう。

「なりたいという意志」「才能」「環境」のみっつが重要なのだ。「なる」には、みっつとも必要だ。ほかのふたつが欠けていたらだめなのだ。さらに言ってしまえば、ひとつでも欠けていたらだめだ。

たとえば、「なりたいという意志」があるけど「才能」と「環境」はないとする。この場合は、なれない。「才能」と「環境」があるけど、「なりたいという意志」はないとする。この場合は、ならない。

「環境」はあるけど「なりたいという意志」と「才能」がないとする。この場合は、なれない。「なりたいという意志」と「才能」があるけど、「環境」はないとする。この場合も、なれない。

「なりたいという意志」と「才能」があれば「環境」を手に入れることができるか?

アニメや漫画だと、「なりたいという意志」と「才能」があれば、環境を手に入れるということかできる場合のほうが多い。そうじゃないと、ものがたりがはじまらないしね。

けど、実際の世界では、「環境」がなければ「才能」があるかどうかもわからない場合のほうが多い。「才能」があれば「環境」が用意されるかというと、用意されない場合もある。きちがい家族によって「才能」が完全につぶされてしまう場合もある。

「環境」が手に入れるられる場合は、そういう「環境」がすでにあったということだ。そういう「環境」を手に入れるための、もとの「環境」があったというとだ。「大きな環境」を手に入れるための、「小さな環境」はあったと考えるのが妥当だ。

どれだけ、才能があっても、環境がなければ、なれない。そこで言っている才能なんて、開花しない。才能があるということさえ、本人によって、認識されない。才能があるということさえ、他人によって「発見」されない。その子供に才能があるということを、だれか他人が「発見」して、環境を用意してやるというような夢物語ですら、もとの環境がないと、ない。

「なりたいという意志」と「環境」があるけど、「才能」がない場合は、なれない。

「環境」と「才能」があるけど、「なりたいという意志」がない場合は、なれない。

 以下、まとめ。

 「野球選手になる」と言って、野球選手になった人がいるのだから、「野球選手になると言えば、野球選手になれる」という考え方は正しいのかどうか?

野球選手になると言って、野球選手になれなかった人かがいるのだから、「野球選手になると言えば、野球選手になれる」という考え方は、まちがっている。「野球選手になると言えば、野球選手になれる」という命題は、真か偽かで言えば、偽。

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環境を用意できるかどうかも、実力のひとつという考え方がある。この場合の「実力」というのは、なんでもありの世界だ。たとえば、「運」も実力だという考え方がある。「環境を用意できるかどうかも、実力のひとつ」という言葉は「環境を用意できるかどうかも運しだい」とか「環境を用意できるかどうかも運のうちのひとつ」とかと言い換えることができるので、この場合の「実力」と「運」は等価だ。なら、「いつも実力と運は等価か」というと、そうではないのだ。「実力」のなかに「運」が含まれてしまう場合と、「運」のなかに「実力」が含まれてしまう場合がある。

 

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自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。