2021年7月15日木曜日

自分軸-他人軸という言い方は、基本的な問題を抱えている……「そいつ」が「そいつ」らしく生きようとすると、被害を被る人たちが出てくる

  他人の目を気にせず、自分らしく生きたほうがよいというようなことが言われる。ただ単に「他人の目を気にせず、自分らしく生きたほうがよい」というようなことを言いたいだけなのに、「自分軸-他人軸」という言い方で、説明しようとする人たちもいる。

自分軸-他人軸という言い方は、基本的な問題を抱えている。それは、自分軸にしろ他人軸にしろ、自己申告制だということだ。そして、人の目を気にするというのは、道徳観の範囲、マナーの範囲がかかわっている。なにをするのがよくて、なにをするのがいけないのかという考え方にかかわることなのだ。

自己申告制だということについて述べておこう。「自分は他人の目を気にしすぎる」と思うのは、自分だ。明確な基準がまったくない。これだと、自分勝手な人でも、自分は他人の目を気にしすぎると感じることができるので「他人の目を気にせずにもっと自分がやりたいことをやるべきだ」と思うことが可能だ。そして、自分がやりたいことというのが、たとえば、通り魔殺人だったらどうか?  被害者が出ることになる。

こういうことがまったくわかってないんだよね。「自分らしく生きる」の内容が道徳的に肯定できるものであるという前提でものを言っている。けど、現実世界だと、ある人の「やりたいこと」がある人の生命を奪うことである場合もある。

複数の障害者を殺した人がいたけど、この人だって、「やらなければならないことをやるつもり」だったのである。「いいことをしたつもりだった」のである。いまでも、本人のなかでは「いいことをした」と思っているのである。「わるいことをした」とは思ってないのである。「誰かがやらなければならないことを、自分が率先してやった」と思っているのである。 

複数の障害者を殺してしまうような「自分勝手な人」だって、自分自身としては「人の目を気にしすぎる」と感じてしまうことだってあり得るのだ。そういうレベルの「自分勝手な人」が「人の目を気にせず自分の信念に従って生きよう」と思ったら、こまる人が出てくるのである。

なお、複数の障害者を殺した人は、障害者は人ではないと思っているので、自分が人殺しをしたとは思ってないのである。ようするに、実際には人を殺したにもかかわらず、その人(犯人)のなかにある「道徳観」には反しないのである。

こういう人が実在するのが、この世だ。

こういう人が実在する世の中で、「自分軸で生きればいい」というようなことは軽々しく言うべきではないと思う。

「自分軸で生きるというのはそういうことではない」「自分らしく生きるということはそういうことではない」と言う人がいるかもしれない。

しかし、それは、個々人が抱えている「道徳観」というものを固定的なものとして見るからそういうふうに言えるわけで、そうではない場合は、そうでない結果がしょうじる。

「自分軸で生きるというのはそういうことではない」「自分らしく生きるということはそういうことではない」と自分実について語っている人が言ったって誤解するやつは出てくる。

誤解と言ったけど、これが誤解じゃないかもしれないのだ。その人のなかでは、誤解ではなくて、まさしく、「自分らしく生きる」ということなのかもしれないのだ。言っていることがわからないかもしれないけど、一度、「自分軸-他人軸」と言った場合の「自分」や「他人」を「還元」する必要があるのである。

ところが、還元してしまうと、たしからしいことは、なにも言えなくなってしまう。ともかく、「自己申告制」でしかないということと「道徳観」の具体的な内容が人によって異なるということは、意識しておいたほうがいい。


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しょせんは、自分軸-他人軸などと言っている人たちは「他人の目を気にせず、自分らしく生きたほうがよい」ということを言いたいだけなのだから、相手にしなくてもいいのだけど、「自分軸」という言い方は、「自己責任」という言い方(特殊な用語)の「うら」であるような感じがするから、もうちょっと、言いたいことを言っておくかな。

「そいつ」が「そいつ」らしく生きようとすると、被害を被る人たちが出てくる可能性だってあるのだということも、言っておきたかったことのひとつだ。

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。