2021年7月3日土曜日

毒親というのは、毒親のふりをしているわけではない

もう一つ言っておくと、毒親というのは、毒親になろうと思って、毒親になっているわけじゃないんだよ。毒親というのは、毒親になる必要があると思って、意識的な努力をして毒親になっているわけじゃないんだよ。

毒親というのは、毒親のふりをしているわけではなくて、頭が〇〇〇〇だから毒親なんだよ。サイコパスというのは、わざわざ、意識的にサイコパスのふりをしているのではなくて、頭の構造がサイコパスだから、サイコパスになっているだけなんだよ。

根本的に言えば、普通の人が考えられないほど「自分勝手」なのだけど、自分勝手の、自分勝手さがちがうんだよ。普通の人が考えられない部分というのは、感覚や認知や認識が、「自分勝手」な無意識に奉仕してしまう部分だ。

あったってない。聞こえたって聞こえない。言ったって言ってない。におったって、におってない。

聴覚が正常なのに、聞こえないということになってしまう。臭覚が正常なのに、におわないということになってしまう。認知症じゃないのに、やったってやってないということになってしまう。それこそ、サイコパス的な意地で、繰り返し繰り返しやったことでも、やってないということになってしまう。

どんだけ、発狂して、意地になってやっているか。

どんだけ、発狂して意地になってやったか。

こういうことが、普通に成り立ってしまう。けど、普通の人はそういうことがわからない。

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これは、一種の妄想性の障害があるのと同じ状態なのである。脳の機能障害。やられたほうが、どれだけこまるか、一般的な人はわからない。どうしてかというと、その人たちの親は、脳の機能障害を持ってないからだ。単に脳の機能障害と書いたけど、同じタイプの機能障害ということだ。「の」が重なるので、わけて書いたけど、同じタイプの「脳の機能障害」という意味だ。

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「気にする必要がない」という言い方は、サイコパス親が、意識的な意志で、わざとサイコパスのふりをして、ふるまっている場合に限られる。そんな場合は、ないので、「気にする必要がない」という言い方自体が、不適切だ。

これは、無意識に対応している部分があるか、感覚器を書き換えているかという問題だ。やられた人が「気にする必要がない」という言い方の場合、やった人が、意識的な努力でやったのか、無意識的な欲求があって、やっていることなのかということを、区別しない。

「どっちだって同じだ」という前提が成り立っている。

けど、この前提がまちがっている。人間同士のやり取りの場合、やっているほうの無意識は関係がある。どれだけ注意されても、注意されたという気持ちがまったく生じないというような態度は、無意識がかかわっていることを暗示している。

普通なら、相手が「やめてくれ」と言ったことは、意識される。何千回、何万回、激しく、言われても、まったく無視して、何年間もやり続けるなんことはない。何年間も毎日、意地になってやったなら、意地になってやったということを意識している。認識している状態になる。

そりゃ、起きているときにやっているのだから、普通なら、認識している状態になるだろ。

けど、それがちがうんだよ。こんなのどれだけ言ったって、そういう家族が身近にいなかった人にはわからない。どういう態度で鳴らすか、根本的にわかってない。どういう認識で鳴らすか、根本的にわかってない。どういう気持ちで鳴らすか、根本的にわかってない。

相手が、真剣に言ってきたこと、あるいは、怒鳴って言ってきたことを、〇・一秒で無視して、「言われたことになってない」状態で、やり続けるなんてことは、正常な人には、どれだけやろうと思ったってできることじゃないんだよ。

「無視している」芝居をしていたって、激しく相手が怒っているということや、相手が激しい口調で自分に文句を言ってきたということは、普通の人なら、心に残る。それが、サイコパスだとまったく心に残らない。まったく一回も言われなかったのと同じ状態で、やり切ることができる。 


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。