2021年7月12日月曜日

ぼくは、これを「文脈」と言っている

たとえば、コンビニおいてあるものを、会計を済ませるまえに食べてしまうという行為について、あなたはどう思うだろうか。

AさんとBさんがいたとする。Bさんがコンビニで買い物をしていた。Aさんが、コンビニに入ってきて、チーズかまぼこの袋を開けて、チーズかまぼこを一本取り出し、チーズかまぼこの切取り部分をちぎって、チーズかまぼこをむしゃむしゃと食べ始めたとする。

Aは、「後で会計をすますつもりなので、別にこういうことをしても問題がない」と考えている。Bさんは、Aさんの行為を見て、「まだ会計を済ませてないものを食べるのは、よくない行為なのではないか」「会計を済ませて、はじめて、自分のものになるのだから、まだ、自分のものではないものを食べるというのは、法律的に問題があるのではないか」と思った。 

AさんとBさんのあいだで、ひとつの行為に関する意見についてちがいがある。どうしてこのような違いが発生するかというと、Aさんがそれで迄に経験したこととBさんがとれまでに経験したことがちがうからだ。あるいは、Aさんがそれまでに学習したこととBさんがそれまでに学習したことがちがうからだ。ぼくは、これを「文脈」と言っている。

ある日、会計を済ませるまえに、封をあけて食べることは正しい行為だということになったとする。そして、それが奨励され、会計を済ませて、封をあけることは、ださいということになったとする。

そして、そのあと、封をあけないで、会計を済ませることは犯罪行為として禁止されたとする。その場合、Bさんは、そのままの自我で、対応できる。しかし、Aさんは、そのままの自我では対応できない。文脈の書き換えが必要なのである。たとえ、封をあけて食べるか食べないかということに関してだけ書き換えるにしろ、別の価値観も関連しているものは書き換えなければならなくなる。

たとえば、立ち食いはみっともないという関連している価値観があるなら、それも書き換えなければならない。立ち食いはみっともないけど、座って食うのはみっともなくないと考えているのであれば、店の床に座り込んで食べるということになるだろう。

店内で、封を開けて食べるかどうかが問題なのだけど、関連して、立ち食いはマナーが悪いという考え方をもっている人は、その考えたを維持するなら、店のなかで座って食べなければならなくなるのである。

あるいは、しゃがみこんで食べるいうことや立ち止まらずに歩き回って食べるということを考え出さなければならない。その場合、そうすることは、ほかの人にとってみっともないことなのか、マナー的にゆるせることなのかは、わからない。立ち食いにするか、非・立ち食いにするのか、決めなければならなくなる。

また、店のなかで、立ち食いをしたり、しゃがんで食べたり、店の床に座り込んで食べたり、歩きながら食べるのは、マナー違反だという価値観を持っている人は、立ち食いも、非・立ち食いもできなくなるので、コンビニですぐに食べることができる食品を買うことができなくなってしまう。

さらに言えば、どういうものが、「自分のもの」で、どういうものが「店のもの」なのかということまで、関連しているので、それにまつわる、考え方を書き換えなければならなくなる。

いずれにせよ、自分のなかにある価値観と、整合性がある行為を選択しなければならないのである。そして、いままで、違反であると思っていたことを、正しいこととしてするのであれば、その考え方とその考え方にまつわる考え方を、かえて適応しなけばならなくなるのである。

これは、会計を済ませるまえに、封を開けて食べるかどうかということに関してだけど、人殺しが、ゆるされ、奨励される場合はどうなのかということについて考えると、人殺しの場合はもっと広範な範囲で書き換えを行わなければ、適応することができないということになる。

人を殺したあと、くよくよといつまでも気にしているのは、気にしすぎだというような「感覚」が主流になるだろう。人を殺したあと、いつまでも気にしている人は、弱い人だというとになってしまうだろう。人を殺したあと、いつまでも気にしているような弱い人のために、「気にしなくても済む方法」が、ブログなどに掲載されるようになるだろう。

いつまでも、気にするのはおかしいのだから、治療を受ける必要が出てくるのである。じつは、認知療法は「人を殺したあと、いつまでもくよくよ気にしている人にも」有効なのである。ただ、文脈はあるので、いままでの文脈に、おおきく反するものがある人は、それなりに苦労する。

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。