2021年7月17日土曜日

兄貴は、ほんとうに、自分の気持ちしかない人間

 きちがい兄貴は、ほんとうに、自分の気持ちしかない人間なんだよ。だから、自分のヘビメタ騒音で弟がこまっているということは、どれだけ言われても、うけつけない。

うけつけないとなったら、何万回、激しくでかい声で言われても一回も言われたことにならない。そのつど、怒ってはねのければ、〇回になってしまう。言われなかったことになってしまう。

基本的に、あたまがそうなっている。こんなの、芝居でできるわけがないだろ。ほんとうにそういう頭だから、できるんだよ。「わからないふりをしている」ということではないんだ。普通の人が、言われて、理解したけど、したがうのがいやだから、無視してやっているのとは、ちがうんだよ。

おおきくちがう。

普通の人の場合、やはり、言われたら理解してしまうので、感情としては残る。けど、きちがい兄貴は、感情としては、残らない。ほんとうに、「言われたことがない」という態度になってしまう。態度だけではなくて、感情的にもそうなる。

あたかも、一度も言われたことがないという感情で「知らずに」鳴らしているのである。何回もめたあとも、本人は、まったく気にしないのである。「知らずに」鳴らしているから!!

弟が、自分の騒音でこまっているというとを、知らずに鳴らしている「態度」のままなんだよ。何万回言われても、そういう「態度」がぬけない。ほんとうに、そういう感情、そういう感覚、そういう認識で鳴らしているのである。

そういう感情というのは、自分が鳴らしていても、弟がなにも言ってこなかったという感情だ。「なにも言ってこなかったのだから、鳴らしてもいい」と思っている状態だ。思っているのは、思考だけど、感情も、言われなかった場合とおなじ感情のままなのである。

まったく気にしない。どれだけ言われても、言われたということが、そのままぬけてしまっている状態で鳴らす。

どうしてかというと、自分が鳴らしたい音で鳴らしたいからだ。自分が鳴らしたいとなったら、一秒だって、しずかにしたくないのである。一秒しずかにしたら「負けだ」と思っている態度なのである。一秒間、しずかにしたら、死んでしまうという態度なのである。ともかく、鳴らしたいから、鳴らさないことは、一切合切考えないで鳴らす。

で、それが、ぼくが言うまで、続くならいい。こっちが「やめてくれ」と言ったら、「うるさいんだな」ということがわかって、やめてくれる。一日に七時間鳴らせるときも、がましんて、〇分にしてくれる。それなら、いい。

それなら、「ゆずってくれた」ということになる。

けど、きちがいだから、ずっと鳴らしているのに「ゆずってやった」と思うことができるのだ。これ、もう、何回もここで書いたから、むかしから読んでいる人は「また、その話か」と思うようなことだけど、ほんとうに、事実なのだ。だから、ぼくの日常は、毎日、我慢できないヘビメタ騒音に脅迫されて、浸食されて、くるしかった。

これが、いつわらざる、ほんとうの感想だ。けど、人生のなかで「やられてない人は」わからない。それが、どれだけすごいことかわからない。

だから、「人間は働くべきだ」「過去なんて関係がない」などということを言う。これ、どれだけ、こっちの感情を傷つけるか、わかってない。言ったやつはわかってない。こういうことが、鳴り始めた、一日目から続く。

ほんとうに、一〇メートル離れたところで聞く音と、すぐそこで聞く音はちがう。ぜーーぜんちがう。こういうことも、わかってない。どれだけ、気持ちをかき乱されるか。どれだけ「無視できない音」か、ぜんぜんわかってない。

そいつらは、きちがい家族によるしつこくてでかい音を聞かされたことがないのでわからない。押し入れはあるけど、すぐうしろに、あんなでかいスピーカーがあっていいはずがない。あんなものを持ち込みやがって。ほんとうに、一五メートルはなれた道で聞く、きちがい兄貴の音はちがう。ちがう。 

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「いまは、ヘビメタなんてまったく鳴らす気がしない」らしく、マンションでおとなしくして暮らしている。それができるなら、あのときに、毎日やってくれ。「できるんだよ」。「よそ」ならできるんだよ。

おまえ、きちがい兄貴、おまえ……おまえ。おまえ、きちがい兄貴、いま住んでいるマンションで、当時の音で鳴らしてみろ。五分で、苦情がいっぱいきて、そこに住めなくなるよ。小学校ぐらいある、でかい幼稚園の前で、じゅうぶんにほかの家とはなれていたからできただけだろ。

ほんとうに、ものすごい音で鳴らしてたのに、それを、実際に知らない人は「たいした音じゃないんだろ」と思ってしまう。きちがい親父の反応もおかしい。お母さんの反応も、普通の親の反応ではないのだ。お母さんは「こまったこまった」と言っていただけだ。お母さんが注意しても、兄貴は、聞かなかった。

これ、ほんとうに、俺の騒音耐性がないから、大きな音で聞こえているだけだと思ってしまう人や、俺が騒音に敏感だから、たいした音で鳴っているわけじゃないのに、騒音騒音とさわいでいるだけだと感じてしまうやつがいるのである。どれだけの侮辱か。侮辱なんだよ。

しかも、ヘビメタ騒音に一五年間やられて、人生がなくなってから、騒音に普通の人レベルで敏感になったら、今度は、時系列系のことが理解できないばかに「敏感なんじゃないか」なんて言われる羽目になる。こういう、地獄。きちがいにやられたあと、頭が悪い人に、頭が悪いことを言われるという地獄。こんなのない。自分の騒音耐性に自信がありそうな、そのばかな人も、自分がきらいな音を、あの音のでかさで、聞かされたら、腹をたてるし、眠れなくなる。

*

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。