本箱の整理を、半袖ティーシャツを着てやったんだけど、腕がダニに刺されている。これは、今回、刺されたわけではなくて、前回、前々回、もっともっと前の回に刺されたやつだ。ようするに、あとが、わりとたくさん残っている。このあとは、消えるのもある。完全に消えるのもある。けど、なかなか消えないやつがある。きちがい親父が、魚を出しっぱなしにするということから生じた、困難だ。魚→ネズミ→ダニなんだよね。ネズミの糞が増えているのに、まったく気にしないで、ネズミ対策工事に頑固に反対する父親とか、うちの父親しかいないだろ。カネはあったんだぞ。説得しても、きちがいだから、応じない。けっきょく、俺が、ネズミの糞片づけや、ネズミ対策工事の注文や、ダニ対策をしなければならなくなる。部屋片づけ、ひとつをとっても、どれだけたいへんになったかわからない。こういう、ものすごい種類の、強烈なダニが、複数いる状態でのかたづけというのが、並じゃないのである。ダニが家中に拡散してしまったことで、どれだけ、こまるか、ほかの人はわかってない。もちろん、ほかの人は、親父が発生源であるダニに、からだを刺されまくるわけじゃないから、ひとごとだ。ひとごとなら「親のせいにしている」「自己責任だ」と、きちがい的なことを言っても、こころがいたまない。
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きちがい親父は、『普通の反応』がかえってこないから、いやなんだよ。これ、きちがい回路が搭載されているから、自分が決めたことで、ダニに刺されても、気にしないのである。自分が決めたことで、一階のすべての部屋がくさくなっても、気にしないのである。こまるんだよ!!! こまるの!!
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きちがい兄貴も、『普通の反応』がかえってこないから、いやなんだよ。きちがい兄貴のこういう部分の構造は、きちがい親父のこういう部分の構造とまったくおなじなのぉ!!
普通の反応がかえってこない。そして、普通の人が、普通の反応がかえってこないとどれだけこまるかということを、普通に、無視する。そりゃ、普通の人は、きちがい家族と一緒に暮らしているわけではないので、わからないのである。
かならず、勘違いをするのである。
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自己責任論者というのは、自分では、自分がいい人のつもりで、正しいことを言っていると思っているわけだけど、正しいことなんて言ってない。だれの責任かというのは、重要なことなんだよ。本人の意思で、他人に悪い影響をあたえた場合、本人に責任がある場合があるんだよ。自己責任論者というのは「すべては自己責任」と言っているわけだけど、それは、やられたやつがいたら、やられたやつの責任だと他人の責任を追及している。いじめたやつと、いじめられたやつ。自己責任論者は、かならず、いじめられたやつの責任だと言い張るんだよ。すべての場合において、かならず、いじめられたやつの責任だと、主張しているんだよ。本人は、気がついていないかもしれないけど……。「すべては自己責任」のだから、いじめられたやつがいじめられたのは、「すべては自己責任だ」と言っている自己責任論者の責任なんだよ。
自己責任論者というのは、常にあおり運転をしているようなやつなんだよ。自己責任論者というのは、「やられたほう」をあおって、遊んでいる。本人は、気分がいいのかもしれないけど、道徳的に劣った行為だ。精神世界の人は、目を覚ましたほうがいい。