「他人に親切にしましょう」なんて、言っているやつが、自己責任論者だったりする。『他人の身に起こったことは、すべて他人の責任だ』と考えているやつが、どうやって、他人に親切にするんだよ。
まあ、『他人に親切にすると幸福になる」と言っているやつが、おなじ口で、『他人の身に起こったことは、すべて他人の責任だ』と言う。
本人は、まるで矛盾を感じない。
その都度、矛盾したことを言うことが、他人に親切にしたということになってしまうのである。
本人は、「いいアドバイスをしてあげた」と思っているわけだから……。
「今ここに集中すればいいんだ」というようなことを、名前だけ店長に言うことは、名前だけ店長に親切にしてあげていることになるかというと、ならない。
名前だけ店長を、おいつめている。
今ここに、集中して……名前だけ店長を不幸にしているサービス残業を続ければいいということになってしまう。
そんなことを言われて、不愉快になる気持ちというのが、この人たちには、(自分のこととして)わからない。「他人に親切にしましょう」と言っているときは、そういう気分。「すべては自己責任だ」と他人に言い放っているときは、そういう気分なのである。
気分次第で言うことがちがう。ある気分のときに言ったことと、別の気分のときに言ったことが、矛盾していたって、そんなのは、気にしない。
矛盾しているとは思わないわけだから、気にしない。
* * *
こういうレベルの人が、ヘビメタ騒音の話を聞くと、ろくでもないことを言い出す。ほんとうに、屈辱。侮辱。侮辱以外のなにものでもない。
きちがい兄貴に勉強時間を削られるとそうなる。
きちがい兄貴に、生活体力を奪われるとそうなる。きちがい兄貴に、睡眠回路を破壊されるとそうなる。
これ、ほんとうは、不可避的にそうなることなんだけど、やられたことがないやつは、不可避的にそうなるということを、認めない。
「そんなのは、関係ない」「過去は関係ない」「影響なんてない」と言って、かたくなに、認めようとしない。
「人のせいにしない」と言うやつは……俺が、兄貴のせいではないことを、兄貴のせいだと言っていると思っているのだ。こんなの、ない。
どれだけ、バカにされているかわからない。
全部とは言わないけど、たいていのことは、こうなってしまう。ほかの人が体験しないことを、家族にやられるとこうなってしまう。
長い長い時間、長い長い期間やられると、どうしても、そうなる。