2016年9月27日火曜日

兄貴には絶対に注意しないで、顔を真っ赤にして「チカシツ!!!チカシツ!!!」って言うんだよ

このまま歳をとって死んでいくのかなぁ~~~
力が出ない。

これどれだけ言ってもしかたがないんだけど、三年続いた時点で、すべてが終わっている。たとえば、高校入試の結果とか大学入試の結果などというのは、気にする必要がないという意見を持っている人もいるだろう。で、その人が言いたいことはわかる。けど、「結果」というよりも、高校入試までの三年間ずっと毎日、ヘビメタを普通に鳴らされ続けたということがでかすぎる。

これ、違うんだよな。

三年間、きちがいヘビメタ騒音に毎日邪魔されずに、入試に失敗した場合とは、違う。これ、本当、毎日というのがでかすぎる。マインドセットがどうしても鬱になる。ヘビメタ騒音生活というのがつらすぎる。どうしても、鬱になる。鬱というか、……なんていうのかな……ともかく、苦しい。先が見えない苦しさもあるけど、そういうことを全部抜いたとしても、一日に約七時間やられる平日は苦しすぎる。一日に一二時間やられる……普通にやられる……普通に鳴らされ続ける休日は苦しすぎる。どーーしても、どれだけ希望を持っても、……希望を持とうとしても……無理なんだよね。ふにゃけた感じになる。好きなことも嫌いになってしまう。ヘビメタ騒音のなかで、好きなことをやると、嫌いになってしまうんだよ。頭がこんがらがるし。

いまの季節、幼稚園が運動会の練習をしている。で、これは、けっこうでかい音が出ている。けど、幼稚園ぐらいの騒音だったら、なんとかなったのにな。俺が騒音に敏感だと思っている人は、ちょっと、でかい幼稚園とか小学校の真横に住んだ方がいいよ。かなりうるさい。で、俺はそういう騒音に絶えられる人間なのだから、普通の意味で騒音に弱いとは言えない。本当にヘビメタ騒音が破格だった。あんなの、ない。きちがい兄貴だって、目の前がでかい幼稚園で、隣の家と離れているような状態でなければ、あの音のでかさでならすことなんて、一日に一分だってできないことなんだよ。


けど、うち、は、幼稚園の敷地と、自分の家の敷地と、道路と、隣の家の敷地の都合上、離れていた。隣の家とけっこう距離があるんだよ。で、隣の家の、兄貴のスピーカーから、一番と奥の部屋に入った場合どのくらいの音で聞こえるのか、ぼくはわからない。


けど、それは、きちがい兄貴の騒音が、小さかったということではないんだよ。これ、わからないのかもしれないけど。ともかく、距離がでかい。音のでかさは距離の二乗に反比例しているから。二乗。思った以上に距離が演じている役割がでかいんじゃないかなと思う。そんな音で鳴っているのに、隣の人が文句を言わないのはおかしいと思う人がいるんだけど、隣の家が離れている。

あとは、目の前にでかい幼稚園の敷地がある。この敷地は、本当にけっこうでかい。隣の家の人は、隣の家の人が庭に出ていたとき、塀越しに「あの音がうるさい!!」と言ったことがあるんだよ……親父に聞こえるように。で、親父は「せっかく、人の息子が鳴らしているのになんだ」というようなことをつぶやいて、顔を真っ赤にして、ゴミ燃やしだよ。そういうところがあるんだよ……。親父は一つ一つのものの感じ方が、根本的におかしい。

騒音に関する法律というのは、実は、条例しかない。条例というのは、市が制定する法律だ。で、また、騒音に関する項目があいまいなんだよね。そうなる理由はある。そうしておかないと、工事などができなくなる恐れがあるからだ。たとえば、昼間八〇デシベル以上の音を出してはいけないという法律を作ると、工事などができなくなってしまうのだ。


で、八〇デシベルと定めた場合、それなら、七九デシベルでずっと鳴らすのはよいということになってしまう。八〇デシベルと七九デシベル、大差はない。条例に決まりがない場合、刑法じゃなくて民法の世界になる。で、民法というのは拘束力が弱い。しかも、「家族の構成員が出している騒音」というのが、ものすごくやっかいな問題になる。これ、いまは、「そんなことないんじゃないの」という話になると思うけど、昔は、「家のことは家で解決してください」というスタンスが一般的だった。家族の構成員による暴力と、まったく関係がない他人による暴力は、感覚的に扱いが違っていた。

まあ、ともかく、きちがい兄貴の騒音というのは、二〇メートル離れれば、家の外壁二枚、部屋の壁数枚を隔てて離れれば、そんなに気になるような音ではないのかもしれない。けど、それは、壁の後ろにきちがい兄貴のスピーカーがあるような僕の部屋では、まったく、成り立たない。話が違う。これ、なんて言うのかな、そんなでかい音で鳴っているなら、二〇メートル離れていても問題になるだろうと思うかもしれないけど、違うんだよね。二〇メートル離れているところでもんだにならないような音なのであれば、たいした音ではないのだから、三〇センチ横で鳴っていてもたいした音ではないということが言えるかというと言えない。まあ、二〇メートル離れていれば、問題にならない音のでかさなのかもしれないと僕が言ってしまうと、それなら、そんなにでかくない音なんだろうと思うかもしれないけど、違う。これ、本当に距離でぜんぜん違う。聞こえるけど、作業ができないほどの音ではないというレベルまで減衰するのに、一五メートル、必要じゃないのかもしれない。

まあ、ともかく、よそのうちでは一分だって鳴らせない音で、毎日鳴らしてあたりまえだと思って、きちがい兄貴は、一五歳から三〇歳まで暮らしていたわけで、それが僕に与えた影響というのがでかすぎる。ともかく、兄貴がいま住んでいるところでならせないほどでかい音なのは確かなんだよ。兄貴に言っておく。かつて自分が自分の部屋で鳴らしていた音が普通の音だ(そんなにうるさくない音だというのであれば)いま住んでいるところで鳴らしても問題はないわけだから、鳴らしてみろ!!! 一日に三〇分でいいから鳴らしてみろ。横の部屋の人から、絶対に文句が出る。

で、おなじ階の一五メートル離れた部屋の人から文句が出るかどうかはわからない。おなじマンションのおなじ階であったとしても、二〇メートル離れれば、たぶん文句は出ないと思う。けど、じゃ、隣の部屋の人にとってそれが騒音でないかというと違う。

ともかく、兄貴はいま住んでいるマンションで、当時「あたりまえ」だと思っていた音で、鳴らしてみろ!!と言いたい。そうすれば、僕の言っていることが正しくて、兄貴の騒音に関する……あるいは音のでかさに関する感覚が間違っているということが、明らかになるから。すくなくても、兄貴のマンションの住民には明らかになるから。で、別のところに住んでいる人にも明らかになるかというと、それは違うんだよね。そりゃ、一キロ離れているところに住んでいる人は、兄貴の騒音がどういうものかわからない。

ともかく、兄貴は「よそ」じゃ、一日に一〇分だって鳴らせないようなでかい音で、一日中、鳴らしてたんだよ。で、「うち」の人がどれだけなにを言っても、聞かなかった。それは、親父譲りなのである。親父とまったくおなじ。「うちでなら、このくらいの音で鳴らしていい」という決めつけがあって、どれだけなにを言われても、一分だって、鳴らさないで静かにしてやるつもりにはなれなかったのである。だから、一四時間鳴らせるなら、自動的に一四時間鳴らして、どれだけなにを言われても、ゆずらなかった。これが兄貴のしてきたことで、同じことを、よそでできるのか?と言ったらできない。兄貴には都合がいいズレがあるから、自分でぜんぜん気がつかないだけ。うちでは、自分が思ったとおりの音で鳴らせて、あたりまえだという、思い込みがあって、その思い込みに反することは、意地でも認めなかった。そして、認めなかったということも認めてない状態なのである。こういう、状態。これは、誰が「うち」でやり始めたことかというと、親父がやり始めたことだ。

で、親父がやったことを、兄貴がヘビメタでやっているだけ。やり方は全部おなじだから。そこで成り立っている「やっていい」「やってあたりまえだ」という感覚がおなじ。自分が認めるとなると不都合なことになる場合は、まったく認めなくていいいという感覚がまったくおなじ。どれだけなにを言われても……「うち」のひとにどれだけなにを言われても、自分がひどいことをしているという感覚がない。自分が非常識なことをしているという感覚がない。自分はあたりまえのことをしているまでだという感覚のまま、やりきる。

で、「やった」と言われると「やってないやってない」となる。これ、本当、ビョーーーキだから。頭の病気に近い。けど、使い分けができるのだから、器質的な病気じゃないんだよな。これ、どういうことかというと、たとえば、認知症の症状が出ている場合、「うち」と「よそ」を使い分けて、「よそ」では、認知症の症状が出ないようにするということができない。脳の機能障害の場合は、「うち」と「よそ」を使い分けて、症状を出すということができないのである。うちでもよそでも同じことをするから、よその人にわかりやすいのである。

一方、脳の器質的な障害ではない場合は、使い分けができる。「うちでは」こう。「よそでは」こう。うちの人には、これであたりまえ」「よその人には、これであたりまえ」というような使い分けができる。使い分けができるということは、どんなに器質的な異常に見えても、けっきょく、ソフトウエアの異常なんだろうなと思う。けど、ソフトウエアの異常だからどうにかなるかというと、ならないんだよね。「うち」にいる限り、どうにもならない。



兄貴が、あそこの廊下で、「鳴らしたっていいだろ」という感じで、振り向いて、自分の部屋に入ろうとして歩いているときの、破滅感といったらない。俺、体調が悪いとき、いつも、そのシーンを思い出す。本当に殺して静かにさせたかった。警察官が帰ってしまったら、いつものように鳴らすのだろうけど、それでも、警官を呼べばよかった。家族で話し合ってください」って、親父は、兄貴の味方をして、絶対に注意しないという状態だ。それから、頭がおかしいから、どれだけ、でかい音で鳴っているといっても、自分で確かめるために帰ってこない。きちがい親父は、日曜の午前中の音しか知らない。日曜の午後は、それよりも、音がでかいのである。で、これまた、一四年間ずっと言い続けても、そこのところが、「通じない」という状態なんだよ。頭がおかしいから!! 

こんなの本当に、よその人にはわからない。「お兄さんと相談すればいい」「家族で話し合えばいい」「親はなんていっているの?」「親がなにもいわないんだったらたいした音じゃないんじゃないの」とこうだよ。死にたい。お母さんは、まったく頼りにならないし、親父はむしろ妨害する。親父が関わったら、ちゃんとまとまるものもまとまらないということになる。これは一〇〇%そうなる。で、もともと、まとまらないものだと、なんていうのかな? もっとひどい目に遭わされるんだよ。

きちがい兄貴のことで精一杯なのに、余計なことをされて、面倒が増える。俺のピンチをさらに、ピンチにするようなことしかしない。で、そういうことだって、親父としては、「助けてやる」つもりでやるんだよ。意識上は。けど、違うんだよね。ここでも、こっちが頼んでいることは、絶対にやらないで、きちがい親父が思いついたことしかしない。

で、きちがい親父が思いついたことというのは、「このハンダゴテを持っていけ」みたいに無意味で腹立たしいことなんだよ。で、一回言い出したら、聞かない。こっちを困らせているのに、……親父の提案?でこっちが困るのに、困るということを、どれだけ説明しても、認めないんだよ。

で、いったんそっちの方向に向かって、エンジンがかかると、きちがい的な意地で余計なことをやろうとする。だから、ただでも、きちがい兄貴の騒音で困っているのに、親父のきちがい的な提案の「火を消す」ということをしなければならなくなる。これが、もう、本当に、死にたい気持ちになる。火事で、焼き出されて、ボロボロになって歩いていると、盗賊がやってきて、身ぐるみはがれて、困りまくるというような状態になる。

親父は、一〇〇%の確率でこっちが困ることしかしない。親父の提案というのが、「それじゃぜんぜん解決しない」ということなんだよ。大学入試の時だって、「地下室を作る」とか言い出して、「地下室を作ることに」こだわりまくる。もう、入試一週間前
で、そんなことしている暇なんてないのに、「地下室を作る!地下室を作る」「地下室!!地下室!!」って言いまくる。

(こっちが)兄貴に注意してくれと言うと、兄貴には絶対に注意しないで、顔を真っ赤にして「チカシツ!!!チカシツ!!!」って言うんだよ。これは、兄貴に注意するが嫌だから、そういう風なことを思いついて、そういうふうに言い出す。こっちが注意してくれと言ったら、「チカシツチカシツ」と言えば、もう、注意しなくてもいいことになる。注意をする代わりに、地下室を作ってやるということだから、注意してくれ」と言われたら「チカシツ!チカシツ!!」って言えば、それで、言い逃れることができる。

「注意してくれ」という要求をはねのけることができる。そういうことをして、実は、兄貴に注意をしなかった。そうやって、大学入試の前に、注意してくれなかったのに……いま、「注意してくれなかった」と(こっちが)言うと顔を真っ赤にして「チュウイシタ!!チュウイシタ!!」って言う。

おなじ!! まったくおなじなんだよな。

やっていることが!!!

親父は兄貴に「鳴らさないで静かにしてやれ」「一日中鳴らさないで我慢しろ」ということを一切合切言ったことがない。俺が設けた、家族会議の場で、兄貴の顔を見ないで、「静かにしてやれ」とぼそっとヒトコト言っただけだ。

高校入試の時に一回、大学入試の時に一回、計二回しか言ってない。それから、兄貴は、あれで、「静かにしてやったつもり」だから、「静かにしてやれ」だと、まったく意味がないんだよ。鳴らさないで!!とか、ヘッドホンをつけて静かにしてやれということじゃないと意味がない。きちがい兄貴の基準だと、一日に五分間、一万分の一音を下げてやればそれで「静かにした」ことになるので、「静かにしろ」じゃまったく意味がない。実際に、家族会議のあと、二階に上がって、その日も、一分だって、鳴らさないで静かにしてくれなかった。

どでかい音で鳴らして、きちがい兄貴が「静かにしてやった」と思うだけだ。そういうことになって、何千日経過していると思っているんだよ? これ、本当に、きちがい親父に関わると、全部そういうことになる。きちがい兄貴のやり方が、きちがい親父とおなじだから、きちがい親父は、浄化することができない。で、きちがい兄貴をきちがい兄貴にした、元のやり方で、俺を困らせることしかできない。地下室を作ったとしても、きちがい兄貴が全部の時間、鳴らさないで静かにしないと困るんだよ。地下室を作るのに、いくらかかると思っているんだよ。もう、家が建っているのに、そういうことを言い出す。

きちがい兄貴が、一日中ヘッドホンをして我慢すれば、それでおしまいなのに……問題解決なのに、きちがい兄貴が一日中ヘッドホンをつけて我慢するというのは、可能性としても、考えれることがなかったのである。それがうちの家族会議の中身だ。親父と兄貴が、「兄貴が少なくても入試が終わるまでは、一日中ヘッドホンをして静かにする」ということについて、可能性すら考えない……これが、家族会議の結果だ。ヘッドホンをすることなんてできるのに、絶対にできないこととして考えられている。

で、それは、親父も兄貴もおなじなのである。親父は、その家族会議では、言わなかったけど、「一日中静かにしろと言ったら(兄貴が)かわいそうだぁ」なんてことを言ってたのである。それはどうしてかというと、「絶対に、兄貴に注意したくないから」なんだよ。「兄貴に注意したくない」ということに一旦なると、もう、絶対にそうしない。無意識的な要求が「兄貴に注意しない」ということになると、頭がおかしい理由をつけて、注意しないのである。

で、これまた、本当はそういうふうに意地を張って、なんだろうが注意してないのに、注意する必要がなくなったら……(兄貴がうちを出て、よその人になったら)……「チュウイシタ!!!チュウイシタ」の一点張りになる。おなじなんだよ!!! 「注意してくれなかった」というと「注意した注意した」って始まる!! 兄貴も、本当は、静かにしてくれなかったのに、……入試だろうがなんだろうが、一日一分だって「本当には」静かにしてくれなかったのに、「静かにしてくれなかった」というと、「静かにした静かにした」って始まる。どっちも、嘘をついているつもりがない。じゃあ、あの意地はなんなんだと言うことになるんだけど、意地を張ってやっていることに関しては、本人は、つもりがないことになってしまうのである。一度つもりがないということになってしまうと、「やってない」ということになってしまう。これもおなじなんだよね。そういうことで、俺がどれだけ困ったか!!!! そういうことで困らされている最中、入学試験に行ったんだよ。

前日も、普通の日と同じように、可能な時間は、全部きちがい兄貴が、ぜんぜん我慢しないで鳴らしまくる。試験から帰ってきたきも、ヘビメタが鳴っている。次の週にもうひとつ別の大学入試がひかえているというのに、一分だって「本当には」静かにしてくれない。

きちがい兄貴の静かにしたというのは、本人がまったく我慢しないで、思いっきり鳴らして、静かにしてやったということだから、静かにしてない。これ、本当に、よその人は信じないかもしれないけど、五分間、一億分の一音を下げてやれば、一日に一四時間、どでかい音で鳴らしていても、本人のなかでは「一日中静かにしてやった」ということになってしまうのである。

だから、そういう「静かにする」ではなくて……兄貴が思いっきり鳴らしたい音で鳴らして静かにするとかそういうことではなくて、「鳴らさないで静かにする」ということが、一分も、一秒も成り立たない。きちがい兄貴の頭の中でだけ、静かにしたということになっていて、実際には、きちがい兄貴が……ヘビメタが好きなカオ君も驚くようなでかい音で!……ずっと一日中鳴らしまくるということになってしまう。。そういうきちがいじみたことが平気で行われる。きちがいの意地が一〇〇%成り立って、困らされている人の意地が〇%しか成り立たない。まったく、無視されて、おなじように「や・ら・れ・て・い・る」状態になってしまうのである。そういう一日だ。どれだけ、もめたって、そういう一日になる。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。