「人間は働くべきだ」という考え方と「人間は働かなくてもよい」という考え方を、両方とももっているやつが、その都度、メタ認知と普通の認知によって、ある人が「働くべき」なのか「働かなくてもよい」のか、決めているだけなのである。
だから、実際にはそういう状態なので、「人間は働くべき」いうような文に注目して、その文が正しいかどうかということを議論しても、まったく無駄なのである。
「人間は働くべきだ」と言っている人が、実際には、「人間は働かなくてもいい」と考えていて、両方の考えの間を行ったり来たりしているだけなので、本当は意味がないのだ。
たとえば、Aさんは、意識的には「人間は働くべきだ」と考えているのだけど、実際には、「働けない場合もある」と考えているので、どっちに焦点があたるかのちがいだけなのである。
その場合、Aさんのメタ認知について、Aさん自体が、無自覚なので、個別具体的な例について、「この場合は、働くべきだ」「この場合は、働かなくてもいい」と、恣意的に判断してしまうのである。
その恣意的な判断をしたあとも、Aさんは「人間は働くべきだ」と思っているのである。
Aさんが、病気になれば、Aさんは、「病気だから働けない」と考えて働くのをやめてしまう場合がある。Aさんにとっては、その病気は「働けない理由」になるのである。
ただ、Aさんが、だれに対しても、「たしかにその病気は働けない理由である」と考えるかどうかというと、そうではないのだ。
「自分の場合は、働けない」と思い、「自分は例外だから、働かなくてもいい」と考えるのだ。
その場合も、「人間は働くべきだ」という考え方を、Aさんは放棄していないのである。
そして、「自分は人間である」という考え方も放棄していない。
だから、矛盾している状態なのである。
しかし、自己中心的な人は、自分の場合のように、他人の場合について、考えていないということを、問題にしないのである。
そういう精神的な態度で生活しているのだから、「人間は働くべきだ」というような文について、自己中心的な人が、いくら考えても無駄なのである。
Aさんが考えても無駄だし、Aさんのように、矛盾に気がつかない人が、いくら考えても無駄なのである。