2020年9月10日木曜日

まちがった仮定で、まちがった結論を述べる人たち


幼稚園がうるさい。運動会の練習が始まった。というか、ちょっとまえから、運動会の練習はあるんだけどね。しかし、幼稚園のうるささと、兄貴のヘビメタのうるささを、いっしょに語ることはできない。同じではない。本当に兄貴のヘビメタは破壊的。あの音の中に一秒間いたら、一秒間、猛烈に苦しい。あの音の中に一時間いたら、一時間ずっと、猛烈に苦しい。勉強なんてできない。ただひたすら、苦しむだけの時間だ。

普通の騒音と、うちのヘビメタ騒音を同じレベルの騒音だと仮定してしまう人達がいる。その人たちは、仮定のレベルでまちがっている。まちがった仮定で、まちがった結論を述べることになる。そして、それは、その人たちのなかでは、真実だから、自分たちがまちがっていることを言っているとは思わない。

けど、まちがった前提で、まちがったことを言っている。気違い兄貴のヘビメタを経験してないから、わからない。まちがっているということがわからない。

どうしても、その人の『固有の』騒音体験をもとにして、騒音を考える。そうすると、鳴り終わったら、どんな騒音も関係がないと思ってしまうのだ。

そんなことはないのに、そう思ってしまう。

だから、必然的に俺を低く見ることになる。『誰だって騒音ぐらいある。エイリさんが騒音に弱いから、そんなふうになっているのだ』と思ってしまう。違うんだよ。

ぼくは、騒音感度は普通の人と同じだった。そして、生活体力は、じつは普通の人よりもあった。生活体力というのは、いろいろなことが関係しているけど、生活体力の一部は、一定の時間に起きて、決められた場所に行って、決められた活動をして、帰ってくるという能力に直結している。

いまでこそ、テレワークがはやっているし、いまでこそ、雇われない生き方が可能だけど、むかしはそうではなかった。自営業をする場合も会社で修行をして、そのあと、ひとりだちするというのが一般的だった。インターネットがない世界では、自宅で働くというのが、とてつもなくむずかしいことだった。

ともかく、通勤して働くのが当たり前の世界では、働くというのは、通勤して働くということなのである。

だから、通勤がそもそも、できないのであれば、それは、すなわち、働けないということだった。こういうことがわかってないのである。兄貴のヘビメタを、兄貴の態度でやられなかったやつらが、俺を「甘い」と言い出す。「甘えている」と言い出す。

『通勤ができない』なんていうのは甘えなのである。「通勤はたいへんだけど、みんなやっている。甘えるな」ということを言い出す。けど、そいつも、そこで語られている「みんな」とやらも、ヘビメタ騒音を浴びていない人たちなのだ。何年間も毎日、ヘビメタ騒音生活をしてない人たちなのだ。俺は、ヘビメタ騒音にたたられながらも、毎日……平日は……学校に通っていた。「ならいいじゃない」と悪意がある人たちは言うのだ。「よくない」。よくないんだよ。よくない。

体力がある俺ですら、ヘビメタ騒音で働けなくなった。それまでに七年間かかっている。それが重要なのだ。時系列的なことがわかってない人は、俺が『ヘビメタ騒音をやられる前は』健康だったという話をしているのに、それがわかってない。健康だった俺が、不健康になってしまうほど、ヘビメタ騒音が『強力』だったのだ。そして、いま現在は、働けないからだになっているわけだから、よくない。『ならいいじゃない』ということにはならない。けど、そういうことを言う人たちは、いろいろなことを混同して、いやみで、そういうことを言っている。これ、「いやみ」なんだよね。俺のことをせめたい気持ちがある。だから、わざと、ほんとうなら理解できることを理解せずに、あるいはまた、時系列的なことを考えずに、「ならいいじゃない」と言いやがる。「ならいいじゃない」と言ったやつはみんな、ヘビメタ騒音に相当する騒音を、自分の人生のなかで、経験しなかったやつらだ。
 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。