ヘビメタ騒音でくるしい記憶しかない。だいじなことは、ヘビメタ騒音の中で、もげて、こぼれていった。
俺が「できない」と言ったら「できない」のに、ヘビメタの影響を無視して、勝手なことを言いやがって。
全部、そういう関係になっちゃうだよな。人知れず、ヘビメタが鳴り始めてから、ずっとそうだ。
「鳴ってた」と言っているだろ。「ヘビメタでできない』と言っているだろ。くそ、こいつら。自分だって同じことをされたら……同じ時期に同じことをされ続けたら、だんだん「できなくなる」のに……。やられてないから、わからないだけ。
わからないから、「みんながんばっている」「ヘビメタ騒音なんて、そんなのはいいわけだ」と言ってくる。
ヘビメタ騒音が鳴っていると、まわりのやつにそういうことを言われる状態になる。まわりのやつは、じつはヘビメタ騒音にさらされていないのに、「そんなのは、たいしたことじゃない」と決めつけて、偏見に満ちたことを言う。
その偏見は、ヘビメタ騒音ということをぬかせば、共同幻想に合致したものだから、自分がへんなことを言っているという気持ちが生じない。正しいことを言っていると思っている。
けど、それは、ヘビメタ騒音のことを「ぬかした」話だ。おまえらがヘビメタ騒音のことを『無視して』も、ヘビメタ騒音はあるからある。
あったからあった。
影響は、うける。不可避的にうける。
これも、やられてないやつが、「影響をうけないことは可能だ」と、ほとんど無意識的に前提して、まちがったことを言い出す。言ってくる。
けど、これも、本人たちはまちがったことを言っていると思ってない。で、家に帰って、気違い兄貴ともめる。
気違い兄貴は、気違い親父と同じで、どれだけ言われても、わからない。
これ、殺さなければやめさせることができない。
これも、今まで話した一般人の態度とは関係がないけど、自分にとって不都合なことを言われたら、カッときて、怒り狂って、耳は正常なのに、なにも聞こえないという状態になる。
そういう状態でやりきる。
で、やりきったら、言われたということがわかってない状態になる。やめろと言われたのに、やりきったという記憶がまったくない状態になる。それの、くりかえし。毎日毎日、同じだ。
そういう状態でやったことは、まったくやってないことになる。本人のなかでは、やってないのとまったく同じことなのである。自分がやってないことについてやったと言われたという、反発が生まれる。これも、親父と同じなんだよな。自分が、気違い的な意地でやったことは、全部、全然知らないことなのだ。やったのに!! 頭がおかしいから、夢中になって、相手を無視するモードでやったことは、まったくやってないのと同じなんだよ。等価なの。頭のなかでは、無視モードでやったことは、まったくやってないことと同じなの!!
これも、他の人にはわからないから、「エイリさんがちゃんと言わないから悪いんだ」みたいに言われる。同じなんだよな。
ぜーんぶ、しくみが同じ。他の人から誤解されようにできている。やられた人が、他の人から誤解されるようにできている。うちでは、そうなんだよ。うちでは、やった人じゃなくて、やられた人が、『まったく関係がない他人』から、誤解をうけるようになっている。
それは、うちでやっている人の頭の構造が、『まったく関係がない他人』には、わからないからだ。必然的に誤解をうけるようになっている。
けど、やっているやつは、もちろん、そんなことは理解しない。どれだけそういうことを説明されたって、理解しない。同じように「はねのけて」おしまいだ。
そして、頑固にやり続ける。発狂モードでやり続ける。発狂モードでやり続けたことは、どれだけやったってやってないことになっている……。これが、他の人には、まったくわからない。