無職であるかどうかは、善人であるかどうかとは関係がないということは事実なんだけど……もう、いいかな。つかれたな。
リトマス試験紙にならないのに、リトマス試験紙になると思っている人たちばかりなんだよな。だから、リトマス試験紙にはならないということ書いてきたのだけど、……もう、いいか。
つかれた。
もう、つかれた。
もう、いいや。つかれたなぁ……。まあ、いまは、そういう気分だということで、また、言いはじめることもあるかもね。 まあ、無職については、もう、いいか。
けど、専業主婦とか仕事をやめて無職になった人が、無職をばかにし続けるんだよな。専業主婦は無職。男女問わず、退職をしたら無職。老人になって働いてない人は、無職。学生で働いてない人は、無職。なんでわからないかな?
無職が無職をきたないものでも見るような目で見る。無職が無職に対して「働いてないのはけしからん」と文句を言う。おかしいでしょ。もっとおかしいのは、おかしいと感じない人のほうが多いということだ。
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引きこもりに関してもそうだ。無職と書いたところを引きこもりに置き換えればそれで済むわけなんだけど、いちおう、書いておくかな。
引きこもりは、たいへん、だらしない人であり、言いたいことをうまく言えない人であるというようなイメージがある。引きこもりは、ダメ人間なのである。ちゃんと自己主張をできないコミュ障なのである。
こういう、悪いイメージをもっている。
こういう先入観や偏見があると、その人の本質を見誤ることがあるということを言いたいわけだ。
引きこもりであるかどうかは、善人であるかどうかとは関係がない。引きこもりのなかにも悪人はいるけど、引きこもりかどうかは、善人か悪人かを見分けるためのリトマス試験紙にはならない。
むしろ、その人をして、引きこもりにさせた人が悪人かもしれない。
「引きこもりなら悪人だ」ということはない。「ひきこもってないなら善人だ」ということもない。「ない」にもかかわらず、あたかもそういう線引きが成り立っている。普通の人の頭のなかに!!そういう線引きが成り立っている。
これは、おろかだ。これは、おろかものがやることだ。普通の人がやっちゃいけない。
「引きこもりなら悪人だ」ということはない。「ひきこもってないなら善人だ」ということはない……この、ごく当たり前のことを、あえて言わなければならない状態というのはなんだ?
佐藤(仮名)は普通の人だけど、「ひきこもり」や「無職」に対しては、相当の偏見がある。たいていの人が、佐藤レベルの偏見をもっている。これが、現実だ。これがこの世の実態だ。
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ぼくはすでに無職ではないのだけど、無職期間が長かったから、そのときの記憶をもとに書いている。ヘビメタ騒音の連続で働けなくなった。通勤して働けなくなったということだけど、これは、ぼくにとってとてもつらいことだ。
しかし、他人は……きちがいヘビメタ騒音を経験してない他人にとっては、ヘビメタ騒音がどういうものか、ほんとうにはわからない。
なので、他人はヘビメタ騒音の影響を無視して「働くべきだ」「ヘビメタ騒音で働けないなんていうのはあまえだ」ということを言うようになる。
ヘビメタ騒音もきつかったけど、こういう経験もつらかった。
日本人は、無職を見たら、説教をしはじめる。「働くべきだ」と言う。
無職が、「これこれこうだから働けない」と言えば、「そんなことはない」「そんなことは理由にならない」「そんなのはあまえだ」ということを言いはじめる。
もう、これ、決まっているんだよ。
もう、これ、決まっているんだよ。
けど、じゃあ、ぼくが無職のなかで、多数派なのかというとそうではないのだ。これがまた問題なんだよ。きちがい兄貴という原因が、ほかの無職にはない。少数派の無職のなかで、少数派になってしまう。
普通の人が、きちがい兄貴という原因を理解できないように、無職にしても、 きちがい兄貴という原因は理解できない。そりゃ、無職の人でも、きちがい兄貴の騒音を何千日も経験したわけじゃない。そういう点では、普通の人も、無職の人もかわりがない。
だから?
「もう、いいか」という気分になるときがある。無職に対する偏見とたたかってきたわけだけど、「もう、いいかな」という気持ちになるときがある。
時代がかわるしなぁ。奴隷資本主義は終了するわけだしなぁ。
ほんとうに、みんな、どれだけ、ヘビメタ騒音がどれだけ深く、からだに、影響を与えるかわかってない。わかってない。わかってないとどうなるかというと? 自動的にぼくを侮辱するようになるのだ。 この、ぼくを……。
佐藤、おまえわかってんの?
ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしかったなぁ。いま、午後八時五七分。ヘビメタ騒音が鳴っていた。どれだけ、「やめてくれ」と言ってもやめてくれなかった。どれだけ「しずかにしてくれ」と言ってもしずかにしてくれなかった。午後八時五七分はいつも、こんな雰囲気だな。午後八時五八分も。
俺が「できない」と言ったら「できない」のに、どうして、おまえらが、否定するの? 俺がどんな気持ちで「できない」と言っているか、ぜんぜんわかってないな。数万時間のつみかさねが、からだに影響をあたえないわけがないだろ。くそ!ほんとう!どんだけ!!
ほんとうに、つうじない。
佐藤、おまえわかってんの?