2022年3月15日火曜日

それらは、しつこくしつこく、俺が試してみて、負の効果しかなかったことだ。(2)

ヘビメタ騒音期間中はだめなのだ。ヘビメタ騒音期間が約十五年間と長いので、そのあとも、ヘビメタ騒音期間中とおなじ状態ですごすことになる。これが、ほかの人にはわからないんだよな。鳴り終わったのであれば、鳴り終わったのだから、影響はないと考えてしまう。けど、十五年間も毎日、やられたことが影響をあたえないなんてことはない。している。ともかく、言霊を信じている人には、きちがい兄貴がいなかったし、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音という出来事もしょうじなかった。……なので、わかってない。なので、自分のからだをとおして、わかってない。自分の経験をとおして、わかってない。わかってないので、影響を無視する。無視したところで「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを言う。無視するな・・という気持ちが……こっちにはしょうじる。いずれにせよ、つきあえない。相手がのぞんでいるかいとうは「元気だ元気だと言ったら元気になりましたよ」ということだ。あるいは、ぼくが、実際に元気になっているということだ。「元気だ元気だと言えば元気になる」というすごいことを教えてあげたにもかがらず、元気じゃないというのは、言ってみればゆるしがたいことなのである。「なんで、おしえてあげたのにそうしないんだ」と思ったりする。言ったあと、ぼくが元気じゃないと、ぼくが元気じゃないということに不満を持ってしまうのだ。なので、対応としては、元気になってないけど、元気になったというようなふりをしなければならなくなってしまうのである。つきあうとするとそうなる……。けど、これは、よけいにつかれる。けど、言霊ではないけど、人間というのは、ある程度、ポジティブな状態を維持しているようしていなければならないのである。きちがいヘビメタが鳴ってない状態なら、そういうふりもできるけど、ヘビメタが毎日鳴っている状態だと、そういうふりをする期間にも上限ができてしまう。ヘビメタ騒音がはじまってからの期間と、ヘビメタ騒音がはじまるまえの期間をくらべると、普通の人の感覚というのは、ぼくにとってヘビメタ騒音がはじまるまえの期間の感覚に近い。だいたいおなじだ。ヘビメタ騒音がほんとうに毎日鳴ってからは、つかれ方がちがうのである。別次元のつかれ方なんだよ。きちがいが横の部屋で毎日同じ時間にずっとヘビメタを鳴らしているという状態になるまでは、なにか不愉快な出来事があっても、時間がたてば、それなりに復活できた。けど、それが、できくなるのが、ヘビメタ騒音なのである。で、これは、ほんとうに毎日やられるということが続かないとわからない……。経験的にわからない。言霊的な助言をする人は、わかってない人だ。

実際に鳴っていたということが重要なのに、鳴っている毎日を実際に経験した人と、鳴っている毎日を実際には経験しなかった人が、毎日、鳴っているとどういう効果がしょうじるかについて話をしているということになってしまう。鳴っている毎日を経験しなかった人が、その効果を推し量って、好き勝手なことを言うわけだ。推し量って言っているだけなのだけど、知らないという意味で、それは、確信なのだ。ようするに、『影響があるはずがない』という考え方が成り立っている。その影響というのはあったとしても、「元気だ元気だ」と言えば、完全に打ち消せるような『小さな影響』なのだ。鳴らされてない人にとっては、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音は、そういうことが起こらなかったのだから、「小さな影響だ」と断定できるものなのだ。何度も言うけど、これは、推測・推量なのだけど、その個人のなかでは、断定だ。そういうものでしかないものなのである。だから、そういうものでしかないものの、影響をうけているということが、「だらしがないこと」になってしまうのである。それは、どうしてかというと、影響をうけるはずがないものについて、影響をうけたと「ぐちぐち」「いつまでも」も言っているということになるからだ。その、経験のない個人のなかでは、こういう考えが否定できない。経験がないのだからしかたがないとは思うけど、そういう「かまえ」自体が、ぼくにとっては、不愉快なことだ。きちがい兄貴は、人をして、ぼくを、侮辱せしめる。きちがい兄貴のやったことというのが、普通の人の経験の範囲にないことなのだ。もちろん、「似たことだ」と経験がない人が判断するような経験はある。けど、似てない。その人には、きちがい兄貴がいなかったのだから、似てない。普通の人は、きちがい兄貴の構造について、普通に誤解をして、自分の経験のなかで判断をしてしまう。そして、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、ぼくの社会的な地位、あるいは、学校での地位が低いものにならざるをえないので、ほかの人たち……きちがい家族がいない人たち……きちがい家族による、毎日続く、普通の家では絶対にありえない騒音というものを、経験したことがないほかの人たち……は、ぼくを、ぼくをしやすくなるのである。ぼくを侮辱しやすい地位を得ていると言ってもいい。それは、たとえば、働いているなら、(ヘビメタ騒音で働けなくなった俺)を侮辱しやすい地位にいるということになる。佐藤が、そういうことをしたわけだ。実際には、佐藤は、俺にあった当時、無職だったんだけどね。どうして、そういうことがしょうじるかというと、ヘビメタにやられているからなのだ。このヘビメタ騒音というのが、ほかの人にとって理解しがたいものなのである。普通の人は普通の家族を想定してものを言うから、いくらやりたくても、さんざんもめれば、やめてくれると思っているのだ。さんざん言って、喧嘩して喧嘩して、自己主張すればやめてくれると思っている。そういう、残念な家族がいたとしても、ほかの家族が、自分に賛成して、けっきょくは、やめせてくれると思っているのだ。そんなんじゃないからこまっている。普通の人たちは、きちがい兄貴だけではなくて、きちがい親父に関しても、誤解する。ごく自然に誤解する。しかも、誤解に気がついていない。うちのきちがい親父みたいな人にやられている家族は、ほかの人から、誤解される。ほかの人のうちには、うちのきちがい親父みたいな親父がいないので、想像することができないのである。話として聞いたとしても、「それは、まるまるだからでしょ」と言って別の理由を考え出してしまうのである。きちがい親父にとって、相手が「よそ」のひとか「うち」の人かということは重要なことだ。それですべてがちがってしまう。うちの人にやることは、よその人にやらないのである。これは、兄貴もおなじだ。よその人に、「うるさかいらやめてくれ」と言われたら、やめる人間なのである。けど、うちでは絶対にやめないし、絶対にやめてやらなかったということも、認識しない人間なのである。親父の話と兄貴の話がごっちゃになっているような印象をうける人もいるかもしれないけど、親父と兄貴の「脳みその構造」がおなじなので、別に、ごっちゃにしているわけではない。ちがうなら、言い分けなければならないけど、おなじなのだか、言い分ける必要がない。親父が主語になっているところは、兄貴を主語にしても成り立つし、兄貴が主語になっているところは親父を主語にしても成り立つ。ともかく、両方ともが、「普通の人」にとって理解しがたい存在なのである。なので、普通の人は、誤解をしてしまう。しかも、ほかの人にとって、うちの親父やうちの兄貴のことは、どうでもいいことなので、特に、修正しようとは思わない。自分のなかにある「考え」を修正してまで、俺の話につきあう必要はないと考えているのだ。だから、普通の人は、佐藤が誤解したように、誤解する。

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ヘビメタでどうしてもつらい。くるしい。まるまるたい。 


 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。