2022年3月31日木曜日

「いまの環境は、生まれてくるときにあなたが選んだ」系の考え方……はっきり言って不愉快なんですけど~~

 「いまの環境は、生まれてくるときにあなたが選んだ」系の考え方というのがあるんだよね。けど、その考え方を前提にしてものを言うと、他人を傷つけることがある。

けど、そういうことを言う人たちは、そんなことは、知ったことじゃないのである。どうしてなら、自分がそういうふうなことを言うことも、相手がそういうことを聞いて、なにを思うかも、うまれるまからみんな決まっていたことだから……。

そいつらは、そう考えるのである。傲慢。神様だと思っている。この世のしくみを知っていると思っている。この世どころか、あの世のしくみを知っていると思っている。自分の人生についてそう考えるのは、自由だけど、人の人生について、そう考えて、妄想に基づいた発言をするのは、人に対する侮辱なのだということに、いいかげん、気がつけ。

こいつらは、そういう「わかったようなこと」を言うけど、ほんとうは、ありふれた感情に振り回されて生きている。こいつら考え方は、「起こってしまったら」「それは、決まっていたことだ」という考え方なのである。

実際にそうなったら、それは、生まれるまえから決まっていたことだという考え方なのである。

たとえば、Aさんが、Bさんをいじめて殺したとする。それは、うまれるまえから、決まっていたことなのである。Bさんは、Aさんに、ある時点でいじめられて殺されることを承諾してうまれてきたと考えてしまう。

だから、Aさんは「わるいことをした」わけではないということになる。「わるい」とか「よい」とかということは、決まってないということを言うのである。

けど、自分がなぐられたら、自分がなぐられるということが決まっていたというふうには、考えない。普通におこって、なぐりかえそうとする。医療ミスで、本人が今後の人生に影響をあたえる生涯を背負ってまったら、それは、生まれるまえから決まっていたとは考えずに、あんがい普通に、うらんだり、後悔したりするのである。

実際に、くるしければ、くるしいという反応をしめす。

「医療ミスで、くるしくなるということは、うまれるまえから決まっていた」とすずしい顔をして言うわけではない。ただ単に、ちょっとくるしいだけではなくて、手足を切るような羽目になったら、やはり、動けずに不愉快な気持になるのである。うまれるまえから、決まっていたことだから、不愉快さは感じないということではない。

けど、まあ、死ぬまでそう考えていればいいさ。

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この手の考え方というのは、理由を求めて、理由がない場合にたどりつく考え方なのである。なので、ほんとうは、くるしいのである。

ようするに、理不尽には耐えられないので、「霊界で、選んだ」とか「うまれてくるときに、神様とそういう約束をして、承諾してうまれてきたから、そういうことが、この世で発生した」と考えるのだ。そう考えると、理不尽なことが理不尽ではなくなる。理不尽なことではなくて、自分が選んだからそうなるという理屈がつく。

じゃ、なんで、「霊界」とか「うまれてくるまえの選択」というような「フィクション」をつくったかというと、この世が理不尽だからなのである。この世が理不尽であるという認知のほうが、さきに成り立っている。

本人は、そういう認知についてとくに、自覚はしてないのだけど、そういう認知が成り立っているから、「霊界」「うまれかわり」「たましい」「たましいの選択」というフィクションが必要になる。これは、「妄想」と言い換えてもいい。

そういう妄想にもとづいて、他人の人生をきめつけるのはよくないよ。

この妄想は、明示されるときと、明示されないときがある。明示されないときは、前提として成り立っているだけで、発言のなかには出てこない。

けど、そういう前提が成り立っている発言というのは、人を傷つけるのである。

こんな傲慢なことはない。傲慢だよ。神様になったつもりか。宇宙のしくみを知ったつもりか。まあ、そういうつもりになって、傲慢なことを他人に言うのも、決まっていたことなのだろう……。そういうことを言う人のなかではね。自分の人生だけ決めつけていればいいのに、どうして、他人の人生まで決めつけるのか。

これ、精神世界系だと、「程度が高い話」として語られるのである。こういうのを信じて、自分も他人の人生を決めつけてやろうと思う人が、続出してしまう。めいわく。 

こんなことが、「いい話」として語られるのだから、地球人の精神性も、地に落ちたものさ。これ、自分がどういうことをしているのか、気がついてないんだよな。

むしろ、……精神世界系の言葉を使うのであれば……そうすることによって自分のたましいをけがしている。カルマはないけど、よくない行為だ。この世において「わるい」と「よい」はある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。