生まれの格差格差を無視した「幸福論」はすべて、うそだ。眉唾物だ。
おなじように、生まれの格差を無視した成功法則は、うそだ。
生まれの格差を無視した「言霊の理論」はすべて、うそだ。
生まれの格差を無視した「認知療法の理論」はすべて、うそだ。生まれの格差を無視した「精神世界の話」はすべて、うそだ。
生まれの格差を無視して、「ポジティブだ」とか「ネガティブだ」と言っているものは、すべて、うそ。幻影。その人たちの勝手な妄想。
たぶん、そういう妄想が「いまの自分」にとって都合がいいものなのだろう。そういうレベルの話だ。成人するまでに経験したことが、成人したあとは関係がないなどいうことはない。成人するまでに経験したことは、そのあとの人生すべてに影響をあたえる。
生まれの格差というのは、なにも、経済的なことだけではない。どういう親の元に生まれたかということが、基本的な「格差」になる。この格差の上に、人格が成り立って、人生じょうのさまざまなな経験が発生するわけだから、影響がないということはない。
時期的に、ここまでなら、影響があるけど、ここからは影響がないと言えるようなものではない。上記の妄想をとなえる人たちは、よく、「大人になったら関係がない」ということを言うけど、それ自体も、まちがっている。
彼らが、そういう境遇のもとに生まれたということを意味しているだけだ。ようするに、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」だから、そういうことを言える。「生まれの格差・下」の人が経験してきたことを経験してないので、想像上の経験になってしまうのである。
「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人が考える「生まれの格差・下」の人の経験というのは、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人が、頭の中で想像した経験でしかない。これは、自己満足や自己優越感を感じることなので、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人にとって都合がよいことなのだ。
じつは、逆のことも言える。「生まれの格差・下」の人が考える「生まれの格差・上」と「生まれの格差・中」の人の経験というのは、「生まれの格差・下」の人が、頭の中で想像した経験でしかない。しかし、それは、この世で、「生まれの格差・下」にとって、都合がいいものではない。