きちがい親父の世話をしたのが問題だったのかな? きちがい親父がきちがい親父ではなく普通の親父だったら、どんだけ、楽だったか? きちがい親父の、きちがい的な態度というのは、ほかの人たちにはわからない。きちがい親父といっしょにすんだことがない人にはわからない。根本的にわからない。そうすると、その人たちは、誤解をするんだよな。そうなると、母親ときちがい兄貴と俺しか、きちがい親父の態度について、正確に理解することができないということになる。しかし、母親は死んでしまったし、きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじ頭の構造をもっているので、自分が(きちがい親父に)やられたことに関しては理解できるのだけど、自分(きちがい兄貴)が(弟に)やったことは、きちがい親父とおなじように理解できないということになる。きちがい兄貴の「家族」に対する態度というのは、きちがい親父の「家族」に対する態度とまったく同じだ。思考法や感じ方が同じなのだ。たぶん、人間の要素としてぬけている部分もおなじだ。こいつら、まったく、気がつかないまま、意地をはってひどいことをする。けど、それがわからないんだよ。どれだけ言ったってわからない。頭の構造的な欠落によってわからない。普通の人なら、そういうことがわかる部分が脳みそのなかにあるのだけど、きちがい親父ときちがい兄貴は、そういうことがわかる部分が脳みそのなかにないので、どれだけ言っても、「わかる」ということがない。さらに、世間の人は……「わかる」ということがない……ということがわからない。俺と母親しか実際にはわからない。だから、俺は必然的に誤解されるのである。佐藤の言ったこと……佐藤の態度について、ながながと書いてきたけど、佐藤の態度は、一般的な人の態度だ。佐藤の言ったことは、一般的な人が……言うか言わないかは別にして、普通に、思うことだ。佐藤らは、きちがい親父の性格や、きちがい兄貴の性格がわからない。きちがい親父の認知構造ときちがい兄貴の認知構造がわからない。家族として一緒に生きていれば……そういう期間があれば……必然的に『影響をうける』のにもかかわらず、『影響をうけない』と考えてしまうのだ。あるいは、影響をうけたにしろ、そんなものは、『今現在の状態」に影響を与えるはずがないと思ってしまうのだ、あるいは、影響は少しはあるかもしれないけど、『小さな影響』だと思ってしまうのだ。そんなのは、意志でどうにでもできる……と思ってしまうのだ。どうしてなら『小さな影響』だからだ。あるいは、『影響なんてないから』だ。時間がたてば、影響はゼロになると思っているからだ。おろか。おろか。おろか。屈辱。屈辱。屈辱。
人間界で、実際に起こったことが、影響を与えないなんてことはない。その「へんなうち」にうまれて、「へんなうち」の人の実際の行動が、そのうちの、別の家族に影響を与えないなんてことはない。何万回、何十万回と繰り返されたことは、影響を与える。そして、影響を与え続ける。それを、「へんなうち」にうまれず、「へんな家族」の影響をうけなかった人が、過小評価する。過小評価なんてものじゃなくて、実際には、無視する。「へんな家族」の影響なんて、関係がないのである。そりゃ、その人は、関係がないだろ。「へんなうち」にうまれなかったのだから……。自分の身に生じなかったから……と言って、影響がないとは言えないのに、自分の身に生じなかったから、影響がないと言ってしまうのだ。最初からわからないのだから、影響があるかどうかについて言及できるわけがない。判断できるわけがない。しかし、かりそめの判断をして、影響がないと決めつけしまうのだ。決めつけちゃったら、かりそめの判断ではないんだよ。ようするに、かりそめの判断として、影響がないということにした……ということを、忘れてしまう。
もう、ほんとうに、多勢に無勢だよ。少数派のなかの、少数派。
人生のなかで何万回も何十万回も繰り返されてきたことが、その人の「今の状態」に影響を与えないなんてことはないんだよ。
これは、すなわち……生まれの格差の無視につながる。生まれの格差。生まれの格差。生まれの格差。
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同じパターンで繰り返し繰り返しおこることは、人間の感じ方に影響を与える。同じパターンで繰り返し繰り返しおこることは、人間の体力や体調に影響を与える。どうして、それを無視するのか? 普通の人とはちがう脳の構造をもった人が、その脳の構造にしたがって、怒り狂うということをずっとし続けるなら、怒り狂われた人は、そういう出来事の影響をうける。普通の人とはちがう脳の構造をもった人のもとに生まれた人は……繰り返し繰り返し、同じパターンで攻撃をうけるので、どうしても、その影響をうける。けど、そういういえにうまれなかったひとが、「そんなのは関係がない」と言う。「そんなのは、気にしているからダメなんだ」と言う。
しかも、その問題のある家族を、やられたほうの家族が助けてやれば、「共依存だ」と言う。 「そんなのは関係がない」「そんなのは、気にしているからダメなんだ」と言うやつが、今度は「共依存だ」と言い出す。「介護なんてしてやるからダメなんだ」と言い出す。俺の場合、親父と兄貴が問題だ。問題のある人だ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音がなければ、ぼくは、家を出れた。働けた。もっとずっと早く働けた。この「早く働いて、この家を出たい」というような欲求が、小学生のころから、つきあげるようにあった。けど、三分の一日、きちがいヘビメタ騒音にさらされてしまうと、すべての力(ちから)がなくなる。これ、やられてみないとわからないかもしれないけど、三分の一日というのは長い。一日、二四時間中、八時間やられると、残りの一六時間が、めちゃくちゃになる。やはり、一日の長さだけを考えてみても、影響がある。八時間……あの音にさらされ続けると、眠れなくなる。眠るために、保持されている八時間が、眠れない八時間になってしまうのだ。そのときの、からだのきつさと言ったら、ない。みんな、経験してないからわからない。
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