いろいろと、説明するとなるとめんどうなことがしょうじるのだけど、いちおう、気楽に言っておくと、これからは、ひかりの時代になるので、さまざまなことが解決される可能性があるということだ。
もちろん、ひとによって、からだの問題が異なるので、ひとによって見える光景がちがう。ちがうんだ。けど、「方向性」としては、ひかりのほうに行くということだ。
いままで、ぼくは、地合いが黒とか、地合いが白と言ってきたのだけど、これは、そのまま地合いが闇、地合いがひかりと言い換えることができる。
これからは、いままでの常識がくずれて、(まるまるをからだに入れてない人は)生きやすい状態になる。けど、ぼくは、ここにたどりつくまでに、いろいろなことを経験しすぎた。からだの問題が異なるので、人によって見える光景がちがうと言ったでしょ。
ぼくにもそれが成り立つ。
からだの問題は、大きな問題だ。
もちろん、本人の意思ではどうにもならない!脳みその問題なども含まれる。これ、「意欲」とか「やる気」というのは、本人の意思とは関係がない脳みその物理的な都合で決まってしまうところが大きい。
しかし、意志教徒は、それを無視する。どうしてなら、脳みその物理的な都合まで、「意志」で制御できると思っているからだ。「制御できないなんていうのは、あまえだ」と思っているからだ。
けど、そういうふう思っている人だって、じつは、脳内で大きな血管が破裂すれば、動かせない部分が出てくる。あんまり言いたくない名称の物質が、脳内で増えれば、「意志とは関係がなく」ヤコブ病になってしまう。
まあ、たとえば、プリオンたんぱく質という物質がある。これは、ヤコブ病の原因になる。その場合、脳内のプリオンたんぱく質の増殖を、意志によって妨げることができるかというと、できないのだ。
まあ、意志の力で「よくなる」場合もあるだろう。奇跡が起きればね。
けど、それって、ほんとうに「意志の力」なのかな?
物理的なしくみが成り立っているから、なんらかの理由で、プリオンたんぱく質が急激に減ってなくなったのだろう。もし、復活するなら……。たとえば、プリオンたんぱく質を分解する物質が脳みそに入ってきたり、あるいは、免疫システムがプリオンたんぱく質を分解するのを助ける物質が入ってきたりして、実際にプリオンたんぱく質が減ったから、復活したのだ思う。
というわけで、からだの生化学的な物理的な事柄の進行に関しては、じつは「意志」で制御することができない。
けど、意志教徒はそれを認めない。意志教徒が信じているぶんには問題がない。けど、意志教徒が、そういうでたらめな意見を人におしつけると問題がしょうじる。
あるいは、ほんとうは、非合理的なことを言っているのにもかかわらず、合理的な装いをまとうと問題がしょうじる。まあ、手短に言うと、人におしつけるなということになる。ほんとうは、意志で制御できる部分というのは、限られているのに、あたかも、自分のことならすべて意志で制御できるという考え方がある。
この考え方は、一種の宗教的な信仰だ。生化学的な物理法則を無視しているのである。だから、ある意志教徒が、他者に向かって、「自分のことは、自分のことなのだから、すべて自分の意志で制御できるはずだ」という前提でものを言いだすと、問題がしょうじる。
はっきり言えば、めいわくなんだよ。「自分のことは、すべて、自分の意志で制御できる」という前提は、ほかの人にとって迷惑な前提なんだよ。
そして、じつは、非科学的だ。ところが、意志教徒のなかでは、「そういうこと」は科学的なことだということになっている。ほんとうは、非科学的な信仰なのに、科学だと言い切ってしまう意志教徒が、いかに多いか? めいわくなの!
意志教徒こそが、あまえている。意志教徒にあまえていると言われてるものがもっとも、独立していて、もっとも、あまえていない。意志教徒は、自分の有利な立場を使って、人をののしっているような人間だ。生まれもった自分の有利な立場を利用して、不利な立場の人に無理難題を押し付けて、いい気になっているだけのサイコパスだ。
じつは、言霊信仰や「思ったことは現実化する」という意味での思霊信仰は、意志教と同じ問題をもっている。