いろいろと、いやなことを思い出す。あやまっておく。あのとき、ごめんな。ヘビメタ騒音でめちゃくちゃな状態で、がんばってハイにしていると、ああいう状態になってしまう。やってくれと言われたからやった。けど、やばかった。あーあ。俺がたのんだことじゃないからな! と言っておこう。けど、まあ、そういうことをぬいたとしても、ヘビメタ騒音にやられたあとの日中というのは、気張っていてもくるしいんだよ。ポジティブシンキングで乗り越えようとすると、へんな状態になってしまう。浮かれた状態というか……。あんまりいいこと、ないんだよな。ともかく、ヘビメタ騒音そのものと、きちがい兄貴の態度自体が、いろいろな、不可避的な影響をあたえる。こっちが意識してがんばると、どうしても、あんまりいい結果にならない。考えてみれば、言霊やポジティブ思考ということを言っている人は、きちがい兄貴にやられたわけじゃないんだよな。きちがい親父にやられたわけじゃない。きちがい的な家族と毎日一緒に住んでる状態を経験してない。長期にわたって、経験してない。せいぜいのところ、上司がへんな人だったというようなことだろ。会社を辞めれば、その上司との関係は切れる。けど、家族の場合はちがう。そして、成人するまでの一八年間で、ものすごく、影響をうけてしまうのである。で、そういうことを、言霊やポジティブ思考ということを言っている人は、無視してしまう。無視しするというよりも、わからないのだ。だから、話として理解しているけど、自分の経験じゃない。他人の身の上に起こったことだから、そもそも、話を聞くまで、ゼロの影響しかないのである。話は話であって、たいしたことじゃない。まあ、言霊にこっているひとは、言霊理論を否定されればおこるけどさぁ。じゃあ、おこったらすぐに、「楽しい楽しい」と言えばいい。「楽しい楽しい」といえば、楽しくなるのだから……。「言霊が成り立たないと言われたので楽しく感じる」と言えば、楽しくなるわけだから……。だいたい、言霊ということを言う人たちは、「どんな状態だって」と言う。「どんなにくるしくても、楽しいと言えば楽しくなる」というのが、その人たちが普段、主張していることだ。なので、言霊理論を否定されたら、「エイリさんと話すと楽しくなる」と言えばいいのだ。言霊理論が正しいなら、楽しくなる。
ポジティブシンキングというのは、どんどん人を自分勝手にするところがある。もちろん、本人は、いい意味で使っているのだろうけど……。
あーー。もう、いいよ。
俺はもう、つかれた。
地合いが黒だったということを考えるのであれば、プラグマティズムの影響をうけた理論というのは、めぐまれた人たちが勝手に言っているだけの、ざれごとだ。きれいごとだ。きちがい的な家族にやられたことがない、めぐまれた人が、自分勝手なことを言っているだけ。
いったい、なんだったんだ? ぼくの人生は?
ほんとうに、普通の人にはないハンディでくるしかった。ほんとうに、人々は勝手なことを言う。勝手。そんなの、きちがい家族のハンディがないから言えることだ……と思ってしまう。実際、そういうことを言う人たちには、きちがい家族のハンディがない。きちがい家族のハンディをあまく見ている。生まれたときからずっと十数年間一緒にいきる人間がきちがいだったら、どうしたって、影響をうける。しかし、そういう家族がいない人からすると、「影響をうけるからダメなんだ」「影響なんてうけないと決心すれば、影響なんてうけない」というような意見をもってしまう。 これ、ほんとうに、本人に体験がないから言えることだから……。まるでちがうんだよな。こんな不公平な世界は、ない。そして、ロクでもない精神世界の人たちが、これまた、「生まれる家は自分で選んだ」「自己責任」「魂が契約した」「不幸な出来事が起こるとは生まれるまえから計画されていた」「魂を磨くために必要なことだった」というようなことを言うわけ。実際に、きちがい家族のもとに生まれた人は、袋叩きだよ。ふくろだたき。ふくろだたきなんだよ。ほんとうに、どいつもこいつも、きちがい家族のもとに生まれなかった人は、きちがい家族のもとに生まれた人をせめることばかり言う。こんなことが、道徳的なことであるはずがない。たましいがよろこぶことであるはずがない。これ、こういうことを言っている精神世界の人たちは、自分のたましいをよごしているよ。ぼくの考えではカルマはないけど、カルマという考え方が好きな人に言っておくと、(こういうことを言うことで)カルマをうみだしているよ。