2022年5月3日火曜日

けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない

 たとえば、ある毒リンゴを食べてしまうと、からだじゅうの毛細血管がつまるということが発生してしまう。毛細血管がつまっても、……つまり、毛細血管に血栓ができても……普通の検査では、発見できない。毛細血管がつまれば、なんとなく体の調子が悪いというようなことが発生するとする。まあ、慢性疲労症候群のような状態になる。しかし、通常の検査では、異常がないので、「気のせい」にされる。

さて、AさんとBさんがつきあっているとする。Aさんが毒リンゴを食べて、からだの調子が悪くなったとする。Aさんは、そのリンゴが毒リンゴだったのではないかと思っているとする。Bさんは、そのリンゴが毒リンゴではないと思っているとする。そして、Bさんは、検査をすれば悪いところがわかるはずだから、検査をして異常がないということは、Aさんは正常だと思っているとする。その場合、Bさんが、他人をせめやすい考えをもっている場合、Aさんに対して「Aさんは、病気に逃げ込んでいる」というようなことを言うことになる。「つらい社会生活がいやなので、慢性疲労症候群だと言って、つらい社会生活をさけようとしているんだ」というようなことを言うのである。けど、実際に、Aさんのからだは、毒におかされていて、毛細血管がつまっている。だから、Aさんは別に、つらい社会生活がいやだから、病気に逃げ込もうとしているわけではない。しかし、Bさんは、Aさんのつらい状態を無視して、そういうことを言うのである。この場合、Aさんは実際にからだがつらいわけだから、Bさんの発言に対して、怒りを感じる。これは、不自然な怒りではない。おこる必要がないのに、おこっているというわけではない。しかし、Bさんは、自分が言ったことが「ずぼし」なので、Aさんがおこったと感じるのだ。ともかく、Bさんにとっては、Aさんは「つらいことがある」ので、病気に逃げている人間なのである。だから、それを言ってもいいわけだ。しかし、それは、Bさんの体調を無視している。実際の体調を無視している。無視できるのは、AさんとBさんが別の個体だからだ。そして、Bさんの「きょうかんりょく」がとてつもなく、ちいさいからだ。Aさんは、Bさんのつらさというのを無視できるのである。別の個体だから……。Aさんだって、Bさんが食べた毒リンゴを食べたら、動けなくなるかもしれないのだ。毒の量が同じなら、そして、人間としての科学的な組成が同じなら、Aさんも動けなくなる可能性はとてつもなく高い。しかし、Aさんには実際に、そういうことがしょうじてない。しょうじてないからこそ、言えることなのだ。けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない。普通の検査ではひっかからないことで、ぐあいが悪くなっている人たちがいる。けど、Aさんは、普通の検査をすれば、悪いところが見つかるはずだと思い込んでいるのである。これは、科学的な態度ではない。しかし、Aさんは、これが科学的な態度だと思っているのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。