2022年5月1日日曜日

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない

 もう、障害者差別なんてないよ。あるのは、ギリケン差別だ。基本的に言っていまの世の中だと、ギリケンのほうが差別されて、ギリケンのほうがつらい思いをすることになっている。で、そのギリケンをくるしめるものはなにかというと、じつは、普通の人がもっている労働観なのだ。

現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、無職差別だ。 現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、引きこもり差別だ。

だいたい、なんとか差別反対と言いやすいものと、言いにくいものがある。言いにくいもののほうが、もちろん、実際には差別されている。言いやすいものに関しては、もう、差別されてない。

「障害者差別反対」とは言いやすいけど、「引きこもり差別反対」とは言いにくいだろ。「無職差別反対」とは言いにくいだろ。「ギリケン差別反対」とは言いにくいだろ。ギリケンというのは、ぎりぎり健常者のことな。 

「なんとか差別反対」と言いやすいもの……これに関してはもう、人権が確立されている。もちろん、個人のプロパーな問題はある。それは、じつは、特に「なんとか差別反対」と言わなくてもあるものなのだ。

そして、「なんとか差別反対」と言っても、個人的な問題が解決しない。言葉としての差別反対……。集団としての差別反対……。こういうことでは、じつは個人が個別にかかえている差別感にまとわる問題というのは、解決しない。

言いやすい差別反対を叫んでいる人のほうが目立つし、おカネになる。ほかの人の支持も得られやすい。ブラックなマスコミが応援するからだ。このブラックなマスコミは、どのみち、淘汰される。

いままで、人を洗脳してきたマスコミが、本当の意味で責任を追及されるようになる。けど、それは、これからはじまることだ。いままではもちろん、『黒い地合い』で好きなことをやってきたのである。これは、人類史的に見てゆるされることではない。

ともかく、言いやすい差別反対を叫んできた人は、自分の心のなかに、差別心が、めちゃくちゃにあることを認めるべきだ。簡単に言えば、障害者差別撤廃を叫んでいる人が、ギリケンに関してはめちゃくちゃに差別していて、労働観に基づいた偏見を押しつけるということになっている。

もちろん、押しつけているつもりなんてあるわけがない。正しいことを言っていると思っているからね。どしうて、正しいことを言っていると思えるかというと、そういう労働観をもっているからだ。労働観に照らし合わせて、ギリケンという存在は、ゆるしがたいのである。「そんなのことは理由にしないで、ちゃんと働くべきだ」と考えてしまうのである。 そんなことというのは、ギリケンであること、ね。

障害者が働かないのはゆるされることだけど、ギリケンが働かないのは、絶対にゆるされるべきではないと考えてしまうのだ。この基準が差別なのだ。ようするに、障害者差別に反対している人は、平気で、ギリケン差別、無職差別、引きこもり差別をする。悪いと思ってない。

「言いにくいほう」に分類される人たちのほうがずっと、差別されている。

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない!!のである。なのであれば、もちろん、言いにくい人たちのほうの人権についてふれるべきだ。なぜわからないのか?

差別のまなこをむけられている人たちの人権に目を向けるべきだ。言いやすいほうの人権ばかり主張して、言いにくいほうの人権は完全に無視だ。

そして、活動している本人も、じつは、言いにくいほうに属する人たちに対して、俗世間的な差別心をもっている。「こういうことじゃだめだよな」と言ってやりたい。佐藤さん、おわかりか?


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。