たとえば「眠たくないと言えば、眠たくない(状態になる)」と言えるのかどうかだ。たとえば、「眠たいというから眠たくなる」と言えるのかどうかだ。言霊主義者だって、四八時間起きているのは、相当につらいはずだ。言霊主義者だって、実際には、眠たくなってから、「眠たい」ということのほうが多いはずだ。眠たくないのに、突然「眠たい」と言って、眠たくなるのかというと、それもちがう。だいたい、まず、生理現象として、本人の脳が「眠りたい」と思うような状態を作り出している。言霊主義者だって、たいていの場合は、眠りたくなった後に「眠たい」と言うのだ。順番は、本能的に眠りたくなったあとに、「眠たい」と言っているわけで、眠りたくないのに、急に、「眠たい」と言って、言ったから、言霊の力によって、眠りたくなるわけではないのだ。けど、言霊主義者は、幼児的万能感に支配されているので、「ねむたい」と言うから、ねむたくなると思ってしまう。「ねむたい」と言ったあとに、言霊の力によって、眠たくなるわけではない。時間が近接していて、眠たい感じが予兆のようなものとしてあるなら、「ねむたい」と言ったあと、なんとなく、眠たくなることはある。しかし、それは、もうすでに、いなくても、時間の問題で「ねむたくなる」のである。たとえば、「眠たくないと言えば、眠たくなくなるか」と言えば、そうではないのだ。しかし、人間のからだというのは、短時間なら、ストスレ対抗で乗り切ることができる。だから、「眠たくないと言ったら、しゃっきりして、眠気がふっとんだ」というようなことを言う人たちがいるわけ。けど、その人たちだって、一日二四時間、ずっと起きているということを、一年間ずっと続けるということは、できない。どこかで、「ねむたくない」と言っても、眠たくなって、眠ってしまう。あるいは、「ねむたくない」と言うことを、忘れてしまったあと、眠たくなって眠ってしまう。『眠たくないと言っていないのだから、眠ったって、いいだろ』と思うかもしれない。それなら、たとえば、「自分はこれ以降、ずっと眠らない」と言えば、ずっと、何十年間も、毎日、眠らずに生きていくことが可能なのかということが問題になる。そんなことはできない。言霊主義者だって、四〇年間ずっと、起きて暮らすなんてことはできない。「これ以降、自分は、眠たくならないし、眠らない」と言ったって、眠ってしまう。
言霊主義者が、例に挙げるのは、短時間のストレス対抗期間に起こることだ。「そういう気分で乗り切った」というだけの話だ。その人たちだって、一〇年間、ずっと、起きているなんてことはできない。眠気は、たぶん、波状攻撃を繰り返す。だから、その期間中は、「眠たくない」「眠たくない」と言ったあと、なんとなく・眠たくなくなって、がんばることができたというだけの話だ。これも、人間の脳に、依存した話だ。それは、生体リズムをつくっているけど、けっきょくは、物質的な話なのだ。脳内の様々な物質の物理的な運動によって、眠気がつくられ、人は眠る。
「眠らない」と言っても、途中で死なない限り、最終的には眠るわけだし、「眠たくない」と言っても、最終的には、眠たくなって、眠るわけだ。眠たくなっているときに「眠たい」と言うかどうかは、本来、別の話だ。そりゃ、状態として、眠りたくなっている状態を、口に出すかどうかのちがいでしかない。
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一年間ずっと眠らないことだって、できないのに……「言ったことが現実化する」なんて、よくも、言えたものだよ。他人には「眠たいというから眠たくなる」と言って、ゆずらない。こんなやつらが、ヘビメタ騒音のことを過小評価して、頭がおかしいことを言ってくる。これが、不幸な出来事でなくて、なんだ? ほかの人がまったく理解できない程度、きちがいヘビメタを、きちがい兄貴が、おいモッキリでかい音で鳴らすから、よその「なんでもないやつらとのあいだに」こういう問題がしょうじる。よその「なんでもないやつら」は自分なら平気だと思って、むりなことを言ってくる。経験したことがないから、そう言えるだけだ。もちろん、「なんでもないやつら」だって、騒音ぐらいは経験したことがあるはずだ。じゃあ、その「なんでもないやつら」が経験した騒音と、特殊な家族による騒音が同じレベルの騒音かというと、ちがうのである。当然、影響のでかさもちがう。ところが、影響のでかさを無視して、「俺だって騒音ぐらい経験した」と言えば、「そんなのは関係がない」と言える状態が成り立っている。実際に、きちがい家族による、きちがい騒音を……前日……前々日……二〇〇日まえ、一〇〇〇日まえ、五〇〇〇日まえに経験していない。経験していないから、睡眠リズムが、普通の人のまんまでいられるだけだ。そいつだって、きちがい家族が、きちがい的な基準で、きちがい的な感覚で、きちがい的な音をなら続けたら、ぼくのような状態になる。ところが、本人は、経験していないから、そういう状態になってない。ぼくのような状態になっていない。ぼくのような状態になっていないのは、そいつが、おなじことや、同レベルのことを経験していないからなのに、自分だったら平気だと思って、むりなことを言ってくる。もちろん、そういうやつらが言っているときは、ぜんぜん無理なことだとは思っていないのである。騒音というところまで、抽象化すると、影響のレベルを判定することができなくなってしまうのである。