なんとか、歯医者に行ける体力を維持しなければならない。もし、死ぬのであればもちろん、歯なんてどうでもいいわけだ。長生きすることを想定して歯のことを考えている。
けど、ヘビメタ騒音にやられて、入学試験か会場に行ったような気分になる。
ぶらぶら。
不安。
この不安は、気違いヘビメタ騒音が続かなかったらなかった不安なんだよ。他の人は、試験の不安だと思っているかもしれないけど、そうじゃないんだよ。ヘビメタ騒音に三年、毎日やられた不安なんだよ。ヘビメタ騒音に六年、毎日やられ続けた不安なんだよ。日中の雰囲気が並みじゃない。深夜の雰囲気も並みじゃない。早朝の雰囲気が並みじゃない。それぞれ、気違いヘビメタの雰囲気がする。気違いヘビメタの影響を受けたからだの状態になっている。気違いヘビメタの影響って、たとえば、その日、一二時間鳴っていたとすると、午後一一時一一分に鳴りやんでいるにもかかわらず、午前一時、午前二時、午前三時、午前四時、午前五時と影響を受ける。ラッキーなことに、午前五時に眠れたとする。そして、午前七時四五分に起こされたとする。そのときの、からだの調子は、前日のヘビメタ騒音の影響を受けている。たとえ、午前七時四五分の時点でヘビメタが鳴ってないとしても、影響を受けている。一二時間というのは、日曜日だ。平日は約七時間だ。けど、おなじだ。それから、午前七時四五分に実際に鳴ってたときがあるんだよな。この世で一番嫌いな音が、ガンガン鳴っている中で、ものをそろえなければならない。前日、ちゃんと眠れたわけじゃない。……そういう状態で、ものをそろえなければならない。騒音のなかで考えがまとまらない。不注意な状態がどうしてもできあがる。で、忘れ物をする。遅刻もするだろう。そりゃ、午前七時五〇分には家を出ないと、かならず、遅刻するからな。五分……。『五分でいいからやめろ』『ものをそろえるからやめろ』と逆上して気違い兄貴の部屋に怒鳴り込んでも、一回も……一四年間で、ただの一回も、しずかにしてくれたことがない。しずかにしてくれ』と言って、すぐにやめてくれてそのあと五分間しずかにしてくれたことがない。こっちがどれだけ切羽詰まった状態になっていても、気違い親父とおなじで、こっちの状態がわからない。気違い兄貴は、俺がどれだけ切羽詰まっているかわからない。気違い兄貴には、気違い兄貴のヘビメタ騒音で、俺が切羽詰まった状態になっているということが、とことんわからない。そりゃ、どれだけ言われたってわからない。そりゃ、親父とおなじで、なにか不都合なことを言われたら、その途端に反対のことを言って本人が腹を立てるということになってしまうから、相手がこまっているということは、どれだけ言われてもわからない。言われれば言われるほど、発狂してしまう。じゃあ、しずかに言えばわかるのかというとそうじゃないんだよ。言い方に関係なく、自分にとって不都合なことは、発狂して、腹を立てて認めない。けど、認めなかったということも、頭にない状態になってしまうんだよな。直後に……。
ヘビメタ騒音がなかったらこんな『ひえひえの気分』になってない。やる気も、特にやる気を出そうとしなくても、いまの一〇〇〇倍ぐらいあった。だいたい、俺は、気違いヘビメタ騒音のなかで、五〇〇〇日以上こういう状態で生きてきたから、「もうまるまるしたい』という気持ちになっているんだぞ。「だれだって試験日は不安だ」……ちがうんだよ。ヘビメタ騒音が数千日鳴っていたから、試験日に不安なんだよ。ちがうんだよ。「歯医者に行くのはだれだっていやだ」……そりゃそうだろうけど、ヘビメタ騒音で人生がない状態で行くからいやなんだよ。
ヘビメタ騒音を経験してない人が「ヘビメタで働けないなんて甘えだ」とか「ヘビメタ騒音で遅刻するなんて、そんな言い訳が成り立つわけがないだろ」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていると忘れ物をしてしまうなんて、そんなのは、言い訳だ」とか言うのが気にくわない。
これで、「じゃ、言われないように遅刻しなければいいだろ」「じゃ、言われないように忘れ物をしなければいいだろ」と言い返したくなる人がいると思うけど、そういう人たちは、みんな、数千日にわたるヘビメタ騒音を経験してない。俺の部屋で、気違い兄貴のヘビメタの音を聞いてない。世界で一番嫌いな音に六時間四五分から一三時間さらされる毎日というのを経験してない。それじゃあ、わからないよ。「わからないのに、がたがた言ってんじゃない」と言いたくなるね。
で、気違い兄貴が親父の態度で『無視して』鳴らしていると……つまり、自分は鳴らしてないつもりで鳴らしていると……ヨソの人と俺とのあいだで、こういう「いいあい」が発生してしまうのだ。ぜーーんぜん、わかってないんだからな。それは、昨日も書いたけど、親父が気違い的な意地でハンダゴテを押しつけたにもかかわらず、兄貴の話を聞いても、兄貴が(親父が押しつけたハンダゴテのことで)他の人から悪く言われたということがまったくわからないのとおなじなのである。現実否定して『使える使える』とさわげば、それで親父のなかではすんでいる。気違い兄貴も、『がたがた言ってくるな』と言えばそれで、気違い兄貴のなかでは、終わってしまう。あるいは、気違い親父のように、無視してやり続ければ、それで「やってないこと」になってしまう。おなじなんだよ。全部……。ほんとうに……。これ、ヨソの人にはまったくわからないことなんだよな。
それから、相手が文句を言った場合、親父にしてみれば文句を言われたということになるのだけど、時間がたてば、相手が文句を言ってきたということを忘れてしまう。最初から、認知されてないのとおなじ状態になってしまう。兄貴も、俺がどれだけ(兄貴のヘビメタについて)文句を言っても、『そんなのぜんぜん知らなかった』という状態になってしまう。まるで、覚えてない状態なになってしまう。そりゃ、一日もたてばそうなんだよ。あるいは、一〇秒もたてば、そうなんだよ。だから、常に『文句を言われてない状態で』自分は鳴らしているということになってしまう。本人が怒って、はねのけたら、もう、それでおしまいだから……。言われなかったことになってしまう。そもそも、相手は文句言ってこなかったということになってしまう。気分的にはそうだ。もうちょっと時間がたてば、記憶的にもそうなる。
* * *
いろいろな意味で限界だ。
限界を感じる。
あのときも、このときも、ヘビメタ騒音で切羽詰まって、つらかったな。
* * *
むなしいので限界です。
これから、歯医者に行くけど、……。
まだ時間がある……。
けど、この雰囲気。あああ。
俺の人生、意味 なかったな。