2019年11月30日土曜日

せいぜいのところ、「心地よい日影」を想定して、ものごとを言っている


置かれた場所で咲きなさい



生まれも育ちもいい人が、こういうことを、生まれも育ちも悪い人に言ってるんだよな。こんなの、どうしてうけるのか?



だいたい、命令形なのが気にくわない。「咲きなさい」だと? どうして、命令形を使うのか? こういう言葉は、差別を肯定するためにある言葉だ。

構造的な貧富の差を認めずに、貧しい人間に、「虐げられた場所で、がんばればいい」と言っているだけだ。



なんで、こんなのがうけるんだろうな? 自己責任論とおなじで、なんかおかしいんだよな。恵まれた人の無理解が根底にある。

しかし、そうは思っていないのである。恵まれた家に生まれて、恵まれた状態で生きてきた人には、根本的にどれだけ努力してもどうにもならない場所があるということがわかってない。努力すら、毒でできないような状態というのが根本的にわかってない。

まあ、なにを信じるかは人の好き好きなので、底辺の人が「そのとおりだ」と思ってこの人の言っていることを信じるのはかまわない。けど、それ、手短に言うと、かもになっている。



差別構造を肯定する底辺の人たちがいるんだよ。この人たちは、自分をくるしめているものがなんなのかぜんぜんわかってない。

日影でもいい場所はある。そういう場所で、ひっそりと咲くということであればなんの問題もないと思う。けど、汚染された場所がある。汚染された場所で咲こうとしても、毒にやられて死んでしまうぞ。

構造的に汚染された土地がある状態で、そんなことを言われても、汚染された土地の上に住んでいる人は、どうすることもできない。どうすることもできないというか、苦しんで死んでしまう。苦しんでいるときに、希望をすてずに努力したとしても、汚染された土地の上で生きている以上、毒にやられて死んでしまう。

毒と言ってもいろいろあるけど、まあ、放射能でも水銀でもなんでもいいとするよ。まあ、汚染された土地というのは、比喩だ。基本的に努力が一切合切実を結ばない場所というのがあるのだ。

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」という言い方もある。こっちの方が好きだけど、差別構造を肯定していることにはかわりがない。

たとえば、カースト制度があっとして、カースト制度で下の方にいる人たちが、「置かれた場所で咲こう」と思っても、うまくいかない。いま現在は、実は、カースト制度に対する反動があった「あと」だから、逆差別のようなものも生じているのだけど、ここでは、カースト制度が確固たる制度で、その制度に対する批判や疑問があまりない社会を前提にしてものごとを考えてみよう。

ようは、カースト制度全盛時代に、カースト制度・上位の人が、カースト制度・下位の人に対して「置かれた場所で咲きなさい」と言っているのとおなじなのではないかということだ。

現在の日本には、カースト制度はない。しかし、それは、制度としてはないというだけで、実質的には、カースト制度がもたらすような経済的な差、文化的な差はある。

だから、経済的な差において上位の人が、経済的な差において下位の人に向かって、「置かれたところで咲けばいいのだ」と言うことは、カースト制度全盛時代に、カースト上位のものが、カースト下位のものに対して「差別を受け入れろ」と言っているに等しいところがある。文化的な差において上位の人が、文化的な差において下位の人に言う場合もおなじだ。(ここで言っている経済的な差というのは、うまれながらの経済的な差に限定しておく。文化的な差も同様。)


日本はこういうまやかしの言葉がはやる時代になっている。なんとしても、自己責任にして、社会を維持したいのだ。

何度も言うけど、「日影でもいい場所」はある。だから、日影にいる人がこの人の言葉……「置かれた場所で咲きなさい」ということを聞いて、日影でがんばるというのはわるいことではない。けど、汚染された土地の上にいる人が、この人の言葉……「置かれた場所で咲きなさい」ということを聞いて、汚染された土地でがんばっても、いいことにならない。いいことなんてない。

もちろん、その個体にとっていいことにはならないだけで、言っている人は汚染された土地に住んでいないのだから、普通に生きて死んでいくということになる。だから、汚染された土地に住んで、がんばったにもかかわらず、毒にやられて、苦しんで死んでいった人のことなんて、知らないままだ。

眼中にない。

汚染された土地に住んでいる人たちのことは、考えない。

せいぜいのところ、「心地よい日影」を想定して、ものごとを言っている。どうしてそうなるかというと、人間というのは、たとえ、カースト上位でも、文化的な差において上位でも、経済的な差において上位でも、人間として、ある程度の「苦労」はしているからだ。しかし、そういう人たちの「苦労」と、汚染された土地に住むしかない人たちの「苦労」はぜんぜんちがう。

けど、それがわからない。どうしてかというと、文化的な差において上位にいるのであれば、あるいは、経済的な差において上位にいるのであれば、汚染された土地の上には住んでないからだ。自分の経験した「苦労」をもとにして、ものごとを言っているからそういうことになる。

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人間というのは、どこにうまれようが苦労を強いられる存在なのだ。それは、カースト制度上位にうまれようがかわらない。しかし、カースト制度下位に産まれた場合と、カースト制度上位にうまれた場合は、苦労の質と量がちがう。
現在の日本だって、隠されてはいるけど、カースト制度のような不公平が存在している。それは、うまれながらに存在している。カースト制度上位のものが「気にする必要はない」と言っても、現実として押しつけられているほうは、気にすることになる。気にするべきことか、気にするべきことではないのかということを吟味して気にするようにしている場合は、気にする必要性がなくなれば、たしかに、気にする必要はなくなるから、気にしなくてもすむようになる。しかし、それは、事前に吟味して気にしたような、気になることに限定される。

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『置かれた場所で咲きなさい』
 単行本(ソフトカバー) – 2012/4/25
渡辺 和子

Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。

著者 渡辺 和子 について
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、89年三木記念賞受賞。ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長。現在、ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』『美しい人に』『愛と励ましの言葉366日』『幸せのありか』『マザー・テレサ 愛と祈りのことば<翻訳>』(以上、PHP研究所)他多数がある。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。