2020年4月16日木曜日

この認めなさが、また、ひどいんだよ

昨日、帰ってくるとき自転車をこぐのがきつくなって、自転車を引いて歩いた。
まあ、そうやって、のんびりと帰ってきた。
ほんとうに、つかれている。




ヘビメタで人生がない。あれだけやめろと言ったのに。あれだけ、やめろと言ったのに。ほんとうに、気違い野郎が……。ほんとうに、気にしないで鳴らす。どれだけ言っても、無視して鳴らす。鳴らしたって、ぜんぜん悪いと思ってない。〇・一デシベルでもしずかにしてやれば、それで「しずかにしてやった」と本気で思える。ぜんぜんしずかになってないから「ちゃんとしずかにしてくれ」と言いに行くと「しずかにしてやったのになんだ」と気違い思考で怒り狂う。で、絶対にきいてやんねぇ……モードで……やりまくる。


で、そういうモードでやりまくったことは、ほんとうに、「やってない」のとおなじなのである。記憶はちょっとはあるかもしれないけど、ぜんぜん自分に関係がないことなのである。「やったってやってなくたっておなじことなのに、こいつはなにを言っているんだ」という気持ちにしかならない。


で、そういう気持のまま、そういうモードでやり続ける。兄貴がそういうモードでやり続ける。毎日、どんなに細かい時間も、すべての時間、気違いヘビメタを鳴らしているのに、本人は、まったく気にしない。「やっているつもりがとくにないまま」鳴らし続ける。それは、おかしい感覚なのだけど、そういう感覚で鳴らし続ける。

で、こういう感覚は、親父にも成り立っている。というか、親父のまねをしたという感じだ。気違い兄貴が親父のまねをして、親父の感覚で、ヘビメタを鳴らし始めたということだ。ほんとうに、うちではあたりまえ、なのである。気違い兄貴が〇歳の時から、気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始める一五歳の時まで、いつも、気違い親父はこういう感覚だったんだぞ。おなじなんだよ。感覚も態度も、モードもおなじ。そういうふうに、「はいっちゃっている」。そういうふうに「できている」。そうしたら、「うちではあたりまえ」なんだよ。矛盾した態度、矛盾した行為なのだけど、普通に成り立っている。

で、そういうふうにしているほうは、利益がある。ほんとうは「やっちゃいけないこと」を普通にやることができる。しかも、本人のなかでは「とくにやってない」という記憶が残る。あるいは、「やったかもしれないけど、そんなのは(やったとしても)問題がない」という認識だけが残る。相手の必死さ、なんて、まったく関係がないのである。相手がどれだけしつこく言っても、関係がないのである。まるで自分に関係がないことで文句を言われるような感じしかないから、そのとき!!!「おこって」おしまいなのである。

で、やり続ける。「おこって」おしまいと書いたけど、このときの怒り方が尋常じゃないのである。気違い家族がいるひとじゃないとわからない。そういう人間が家族であるような人しかわからない。ほんとうに想像を絶する気違い的な意地で怒るし、認めない。この認めなさが、また、ひどいんだよ。

けっきょく、全部やりきっているのに、「そんなのぜんぜんやってない」「なんだそんなこと言ってきて」と思ったまま、やってないつもりでやりきる。それだってなんだって、あたりまえなのである。気違い親父の「家での態度」というのは、つねにそうだった。ときどきそうなるわけじゃなくて、つねにそうなのである。

これは、会社でいやなことがあったから、八つ当たりしているということとはちがう。あるいは、そういう態度全体とはちがう。まったく、ちがう。けど、他の人はそういうことの類推でしか、うちの親父の態度、うちの兄貴の態度のことを、理解できない。

それじゃ、そういう「あたまのくせ」がある人のやっていることだから、ゆるせるかというとそうじゃないんだよ。ゆるせないことは、ゆるせない。これも、他人は……。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。